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NPO法人 地域の絆

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中島康晴

地域の絆 代表理事 中島康晴

9・11から10年

2011/09/11 12:00:00  社会全般
宇品(広島市)⇔高田(江田島市)の高速艇内。最終便なので、私以外誰も乗っていない様です。

 10年毎に区切りをつける発想は、十進法を選定しているからに過ぎない。よって、十進法を選定していない民族にとってみれば、10年とは然程大した意味を成さない。あるジャーナリストが確かその様な事をおっしゃっていました。それを今思い起こすと言うことは、その発想に自身も賛意を持っていることになります。しかしながら、マスコミが数多取り上げている「9・11から10年」の今についてここでは少し触れておきたいと思います。

 私が最も着目するのは、ブッシュ氏の言う「正義の戦争」の「正義」にあります。「正義」とは一体何でしょうか?「普通」や「常識」においても同様のことが言えますが、それは「誰にとっての」ものなのかによって、その内実が大きく変化するのは自明の理でしょう。ブッシュ氏にとっては正義であっても、アメリカのある市民にとってはそうでは無いかも知れませんし、私たち日本国民にとっての正義も異なっていたはずです。中東の国々にとっては、どうであったのでしょうか。この辺りの検証は、この「10年の節目」にて清算しておく必要があるでしょう。

 よく政治家が「国民のために」と言いますが、その際も、“どの層”の“何処に所属している”国民のためであるのかをしっかりと見据える必要があるのではないでしょうか。どこに負担を求め、どこを優遇しようとしているのか、私たち市民は矯めつ眇めつ見ていかなければなりません。

 抽象的で、耳触りの良い言葉に流されることなく、それを具体的に再言語化していくことがジャーナリズムの使命であると認識していますし、延いてはそれは国民の責務であるとも認識しています。

 社会福祉の現場においても、「利用者本位」や、「その人らしさの支援」、「権利擁護」、「尊厳の保持」、「自立支援」等の言葉が飛び交っています。クライエントを目の前に、どのような具体的実践が如上の実践に繋がるのかが理解できなければ、その実践は画餅に帰してしまうことになります。

 私たち日本人は、特に、耳触りの良い抽象言語を、具体的な言語へと再定義をする習慣を持たなければなりません。そのようなことを省みながら今「10年目」を迎えます。

 我々人類は バカ
 過去・現在・未来 バカ
 正義はあったのか バカ
 正義は勝ったのか バカ
 くり返し くり返し くり返し 歌う ※


 ※1  「皆殺しのメロディ」THE BLUE HEARTS 作詞・作曲 甲本 ヒロト氏



状況に応じたモデルの取捨選択

2011/08/16 12:00:00  社会全般
天安門広場の前をタクシーで通過しました。共産党結党90周年にて多くの観光客で賑わっていました。
 「ロンドン北部のトットナムで6日夜、警官が市民を射殺したことに抗議するデモが一部暴徒化し、車や建物などが放火されたほか、銀行や商店、自治体の建物などが襲われた」※1事態に世界中が注目を寄せています。主な理由としては、「キャメロン政権発足後、財政赤字削減に向けた緊縮財政と増税が進められているが、失業率が非常に高いトットナムでは、住民の不満が増大している」※1と言ったものが取り沙汰されているようです。ロンドンオリンピックを1年後に控えたイギリスにとっては、早期に終息を図りたい所の様で、「キャメロン首相は10日に開いた緊急の治安対策会議で『われわれは反撃しなければならない』と述べ、暴動の参加者に厳しく対処する方針を改めて打ち出」※2す始末。 但し、「この暴動で、これまでロンドンで805人が逮捕されるなど、英国全土の逮捕者は1000人以上に上って」※2いるそうです。

 遠く離れた日本としては、「他者の“失敗”から学ぶ」視点でこのことを鑑みる必要性を感じています。日本の若者はある程度、従順に制御されている感がありますので同様の事態が起こることは想定しづらいまでも、同じ事態に陥ってしまう素地があるように考えるからです。

 この暴動の発端は、国民のストレスフルな感情にあるようですが、そのストレスの背景は大きく次のようなことがあるようです。�々發ぜ禺圓亮唆販─↓�格差の拡大、�B膤悗粒愴颪旅眛�等。赤字財政を立て直すため緊縮政策を打ち出した結果であると報じられていますが、これらは社会を不安定にさせるには十分な要素として機能することでしょう。

 �ー禺圓�働けない理由は、社会構造に起因していることが殆どではないでしょか。少なくとも個人的な要因ではないところで、就職が決まっていないのは自明の理でしょう。そこを是正する社会変革及び政策誘導が不可欠であると認識しています。

 サッカーの南アフリカ大会を思い出しますが、治安の悪さから日本人は夜の外出が禁じられていました。中国でもスリが多いと聞きました。貧富の格差は治安の悪化を招きます。これは至極単純で分かりやすいことだと思います。一生懸命働いていても、同様に働いている別の人間の方が裕福な生活を送っているとしたら、平然としていられる人間の方が少ないのは想像に難しくないことでしょう。先進諸国は、その発展過程において格差が治安の悪化を招き発展を妨げるとして、セフティネットの整備としての社会保障の充足を図りました。格差の拡大は、必ずや全国民を不幸に導きます。

 ��1998年までイギリスの大学は公費で運営されており、授業料は無料であったと聞きます。それが、日本に近いまでの授業料の徴収を行う法案が通っているそうです。日本のように端から、高額な費用を負担しなければ高等教育を受けることができない国家体制とは異なり、高等教育を受ける条件に貧富の差が反映されない様配慮された理想的な政策が、一転して、日本型に陥った理由は若輩には分かりませんが、これは若者にとっては暴動に値する出来事だったのかも知れません。

 赤字財政を立て直すことは確かに重要ですが、そのための手法は分野に応じて講じる必要性を感じています。かつては、学校の会社化を進めた著名な経営者がいると耳にしたことがありますが、学校は会社では断じてありません。教育はもちろん、福祉や医療、環境、芸術、文化などもビジネスモデルで語られるべきものではないと私は考えています。もちろん、効率と効果の観点からそのモデルの一部を的確に導入することは否定するものではありませんが、全てをビジネスモデルで考えるものでは全くありません。つまり、人の生命や人生を左右させる人権の根幹をなす分野においては、近視眼的な効率と効果を指標に持つビジネスモデルでは対応できないのだと若輩は理解しています。

 近頃保育の分野でも、ビジネスモデルの導入が図られているようですが、専門性をはき違えたものも多く散見します。砂場を塩素消毒し、動物を飼育しない、怪我を極力させないよう安全な活動に焦点化したものが多く目につきます。それに代わって、楽器の演奏や、イギリス語会話の教室を導入している所もあるようですね。

 ビジネスモデルの主要な活動は、顧客を獲得することにあります。そのために、顧客満足度の高いサービスを提供するわけですが、この場合の顧客満足は、社会福祉で言うところのニーズの充足ではないと自身は解釈しています。つまり、福祉サービス利用者のニーズではなく、市場サービス消費者の欲求に対応するのがビジネスモデルの実践であるとの認識です。社会福祉分野で言うところの、demandやfelt needsに近いものが該当すると考えます。

 また、社会福祉サービスにおいて最も重要視されるべき点は、クライエント中心主義の視点です。クライエントの問題はクライエントにしか解決できない自明の理に基づいて、クライエントの自己決定を尊重し、時にはクライエントの思いを代弁し、社会環境を調整していくことが求められているのです。しかしながら、ビジネスモデルにおいては、顧客を獲得することが第一義となってしまいますので、顧客になることを決定する権利を持っている方(家族や親族、養護者等)の意向を優先させて、顧客当事者の意向を軽視する活動も顕著となってしまいます。

 事実、如上の保育サービスの実践はまさにこの陥穽に嵌っていると言わざるを得ません。クライエントである子どものニーズを中心に置いた活動としては不適切と言わざるを得ないからです。おそらくこれは、「危ないことはさせないでもらいたい」「他者に胸を張れる保育をしてもらいたい」といった顧客になる決定権を有している両親のニーズを中心に据えたものではないでしょうか。「危ない」のは誰にとってのそれなのか、少し考えれば容易に理解できるものです。近視眼的な“危険”を避けて育てることが、その子の長い将来において大きな“危険”を背負わすことに繋がることなど想像に難しくはありません。如上の例で言えば、両親にとって「危ない」ことを避けることが、子どもにとっては将来のリスクをさらに高めることに繋がるのです。無菌室でしか育たない、自然の摂理を教えない、人の限界や痛みを学ばない保育をさせて、果たしてそれがクライエント中心主義のサービスと言えるのでしょうか。

 財政赤字を是正するためとは言え、近視眼的な効率と効果で推し測って進めるビジネスモデルで全てを進めることは非常に危険だと自身は認識しております。対象分野や状況、時勢に応じて、使うモデルは本来変えるべきものでしょう。特に、人が生きていく上で重要なもの、医療・福祉・教育・環境・文化・芸術等は、ビジネスモデルの適応外の分野と言えそうです。社会的コスト上赤字になるからと言って、病院や介護施設はもちろん、警察や消防署を無くしても良いという人間はまずいないでしょう。

 この度のイギリスにおける暴動。暴動という行為そのものは愚劣だと言えますが、その行為の背景をみるのも私たち福祉専門職の面目躍如たるものがあるはずです。その“問題”行動の背景には、必ずや複数の要因が絡んでいるからです。このイギリス暴動の背景をみることにこそ、私たち日本人がこれからの社会構築に当たって進むべき里程標が見えてくるのかも知れません。



※1 『朝日新聞』2011年8月8日
※2 『朝日新聞』2011年8月11日



絆の力が生きるとき

2011/07/15 12:00:00  社会全般
宇品港から切串港への道程。意外と多くの船舶が往来しています。であるにも拘らず、海の事故は少ないように見受けられます。
 法人に「地域の絆」を名づけて早5年が経っている昨今です。絆を大切に、人と人との恕リがりを大切に、ネットワークを大切に、日々実践をしてきたつもりです。「つもり」と書いたのは、それが真になされていなかった猛省から来ています。過日お世話になった恩人より、大変貴重なご助言を頂きその「猛省」が生まれたのです。

 問題は、その絆の在り方にありました。地域の絆は、開設から現在に至るまで多くの理解・協力者があってここまでやって来ることが出来ました。振り返ると、実に多くの理解者のご支援を賜り、苦難を乗り越えても来れたものです。その時々にお世話になった方々には、心より深く感謝し、その思いをぶつけても参りました。しかし、平素になるとどうでしょうか?お中元やお歳暮等のやり取り等に終始し、足を運ぶことが少なくなっているのが事実です。

 困った時だけ協力を要請し、平素になれば疎遠になる関係性に一体何の価値があるのでしょうか。自身の目先の利益のためだけに繋がる関係性に、その力が発揮される日が来るのでしょうか。そうではないと、恩人は示唆して下さったのです。

 公益と私益は繋がっている。これは自身の座右の銘にも成りつつある言葉ですが、そのことの意味を私は真に理解できていなかったようです。目先の利益が必要な際に、窮した際に、繋がり、それ以外は疎遠になるネットワークや絆に何の価値を見出すことができるのでしょうか。また、そのような相手に対して、連携先は協力的になれるのでしょうか。考えれば、当然のことなのですが、その当然の事すら若輩は理解していなかったようです。

 困った時や、目先の利益を追求する際にのみ繋がるネットワークや絆は、何ら力を擁していないと見るべきです。自身が窮した時だけ、利益を求める時にだけ、連携を求めてくる相手を信用することが出来ますか。そうではなく、平素より、日常的な繋がりや絆こそが大切なのではないでしょうか。そこで培われた信頼関係こそが財産や資源となるのでしょう。公益と私益は繋がっているのですから、性急に見返りとしての私益を求めるのではなく、公益のために黙々と行動を取れば良いのでしょう。そして、それが私益に繋がるのはずっとずっと後のことなのです。

 今自身にそのように語りかけている最中です。


「ピンチはチャンス」における「チャンス」の有効期限

2011/07/03 12:00:00  社会全般
株式会社ファシリテーター 代表取締役 小田 明則 先生をお招きして、「チームワーク力向上研修」を開催していただきました。法人としても、職員としても満足度の高い超お勧めの研修です。小田先生、有難うございました。


 予てから私は、「ピンチはチャンス」という言葉を、座右の銘の一つとして大事にしてきました。前職で大変お世話になった師の口癖は、「失敗は成功の元」でしたし、「ピンチ」を乗り越えるために初めて人は深い思考展開を実践するのであり、結果としてそこに成長への「チャンス」が芽生えるのだと理解してきました。特に私の場合、元来はゆったりとしたマイペース型の人間ですので、追い込まれなければ中々行動に移らない側面があります。私のような人間にこそ、「ピンチ」の際はしっかりと頭を打って、自らを追い込み悩むことが何よりも必要な営みであると認識しているところです。

 「失敗したとき、人間は、『もう同じ失敗はしたくない』と思います。そして、『どうして失敗したか』『失敗しないためにはどうすればいいのか』を自然と考え始めます。結論は簡単には出ません。答えを導き出すために、さまざまなことを体験し、時にはさらに失敗を重ねていくこともあるでしょう。しかし、その過程で一つずつ新しい知識を得て、いつしか、失敗しないやり方を見つけます。このとき、その人の頭の中には、そのやり方だけではなく、『どうしてそのやり方だと失敗しないのか』という因果関係がしっかりと刻み込まれているはずです。だから、もし予期せぬことが起きたとしても、『どうしてこんなことが起きたのか』を冷静に考え、対処することができるでしょう。だからこそ、真の科学的理解は、失敗を通じてしか得ることができないと言えるのです」※1。失敗学の提唱者である畑村洋太郎氏の言葉ですが、畑村氏は、失敗をした際の「体感実感」も重要な要素として取り上げられています。人は失敗をした際、そのことに対する実感や反省をまず行います。その「体感実感」によって、新たな「知識」「経験」「思考」を身に着けることができ、延いてはそれが「真の科学的理解」に繋がるのだとおっしゃっているわけです。

 「ピンチはチャンス」で私が重要視しているのはこの「体感実感」にあります。例えば、今回の福島第一原発の事故において、現在はこの失敗に対する実感と反省が市井には溢れ返っています。その「体感実感」によって、なぜこのような事故が起こったのかを猛省し、新たな思考と行動の発展に繋げていくことが必須となるはずです。しかしながら、人間は脳科学的にも物事を忘れる動物でもあります。明確で具体的な事故の検証や、新たなエネルギー政策を打ち出す等の対応策に対する道筋を今しっかりと確立していかなければ、この「体感実感」は時間とともに希釈され、この度の失敗は「真の科学的理解」にも全く繋がらないばかりか、福島県民の被爆体験は全く不毛に生かされることなく終始してしまいかねません。

 つまり、「チャンス」の源泉である「ピンチ」は、時間軸に応じて希釈されると考えるべきでしょう。「ピンチ」には、“賞味期限”があるのです。その期限を過ぎてしまえば、それが「チャンス」に発展する確率がぐんと低下します。真摯に要因分析と対応策の検討を実践させる原動力としての「体感実感」が希薄化してしまうからです。

 また今回の原発事故の要因分析としては、東京電力組織内部にばかり目を向けるのではなく、なぜ原発一辺倒のエネルギー政策が実施されてきたのか、そしてそれを傍観してきた多くのマスメディアの在り方や国民の意識に至るまで、広範に及ぶ検証が不可欠であると私は認識しております。畑村氏は、2005年の4月に起きた「JR福知山線脱線事故」の本質的な原因を「利便性を追求する社会にこそ責任はある」※2と断じていらっしゃいます。原子力政策に偏向したエネルギー政策を取らざるを得なくしてきた数多ある要因を洗いざらい俎上に載せて、要因分析を行う必要性を実感しているところです。

 如上のように、「ピンチ」は間違いなく「チャンス」に繋がる貴重な源泉であることは偽らざる事実です。しかし、「ピンチ」後直ぐに、要因分析と対応策の策定を実施しなければ、その「ピンチ」は「ピンチ」のまま流されていく可能性を秘めていると言えます。少なくとも「体感実感」の十分存在する期間に、要因分析と対応策の検討が求められるのでしょう。当法人でも、苦情や事故は法人の“宝”であると認識し、要因分析と対応策の検討を非常に丁寧に実施しているところです。が、どうやらその際の要諦は、その日に起こった苦情や事故はその日のうちに要因分析と対応策の検討を実施することにあるようです。


※1 畑村 洋太郎氏『だから失敗は起こる』NHK出版P.10-11 2006年8月
※2 畑村 洋太郎氏『だから失敗は起こる』NHK出版P.80 2006年8月



「風評被害」という言葉

2011/06/22 12:00:00  社会全般
統合され移転された後の江田島市大君小学校跡地。今ではまちづくりの拠点として機能しているようです。


 東京電力の原発事故で、福島県産や茨城県産の農作物や水産物が売れない被害が生じています。その際、必ずと言ってよいほどマスコミが使うのは「風評被害」という言葉。これは、原発推進メディアも反原発メディアでも同様に使われているようです。

 「風評被害」とは一般的に、根拠のない噂によって受ける被害であると言われています。もちろん基準値を下回る作物が売れないのは、根拠のない噂のせいかも知れません。しかし、その基準値が、「ただちに健康に影響が出るものではない」といった曖昧模糊としたものであったり、完全に危険ではないもしくは安全であると断言できない不確定な根拠に基づくものであった場合、それは全て根拠のない噂として処理されるべきなのでしょうか。

 例えば、予防原則に則れば、安全が証明されなければ危険であると認識されますが、日本の安全基準は危険が証明されなければ安全であるという基準に依拠しているのではないでしょうか。であれば、そのような甘い安全基準に依拠した基準値をどこまで信用したらよいのか不安は尽きません。

 そう考えればこれは本当に「風評被害」なのか?と私は思うのです。そして、仮にこれを「風評被害」と言い張った際、誰が損をし誰が得をするのでしょうか。

 基準値を下回っていても売れないのは、国民の認識不足であって、情報提供の不正確さにある。だから、その責任の全ては東京電力であったり、政府が担う必要はない。これは「風評」による被害であって、原発事故による直接的な被害ではないからだ。このような理論がまかり通ってしまう可能性があります。

 基準値を下回っていれば、本当に安全なのでしょうか。そこに明確な根拠が示せない以上は、これは「風評被害」ではなく、真なる原発事故被害と言えるのではないでしょうか。つまり、全ての被害は東京電力と政府が補償するべき産物なのです。

 安全が証明されていない作物を誰しも購入などしたくはありません。それを国民が購入しないのは、国民の認識不足であり、それが「風評被害」であるという理論。あまりにも無責任で、厚顔無恥としか言いようがありません。

 今更敢えて言うまでもありませんが、福島県産や茨城県産の作物を購入することがいけないと言っているのでは断じてありません。これは「風評被害」などではなく、原発事故被害であり、この政府やマスコミが喧伝する「風評被害」に対しても、政府と東京電力が全てを補償しなければならぬ対象であると強く言いたいのです。




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中島康晴 特定非営利活動法人 地域の絆 代表理事
1973年10月6日生まれ。大学では、八木晃介先生(花園大学教授・元毎日新聞記者)の下、社会学を中心に社会福祉学を学ぶ。巷で言われる「常識」「普通」に対しては、いつも猜疑心を持っている。1億2千万人の客観性などあり得ない事実を鑑みると、「普通」や「常識」は誰にとってのそれであるのか、常に思いを巡らせておく必要性を感じる。いわゆる少数派の側から常に社会を捉え、社会の変化を促すことが、実は誰もが自分らしく安心して暮らせる社会の構築に繋がると信じている。
主な職歴は、デイサービスセンター生活相談員、老人保健施設介護職リーダー、デイサービス・グループホーム管理者。福祉専門職がまちづくりに関与していく実践の必要性を感じ、2006年2月20日特定非営利活動法人地域の絆を設立。学生時代に参加した市民運動「市民の絆」の名前をヒントに命名。
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