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NPO法人 地域の絆

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中島康晴

地域の絆 代表理事 中島康晴

サンタバーバラでの学び

2013/11/08 13:21:52  日常

 世界的研究者に教えを乞いに来たここサンタバーバラとも明日でお別れです。彼の専門分野は社会福祉ではありませんでした。しかし、こちらに伺う前からの予想通り、いやそれ以上の社会福祉実践における薫陶を受けることが出来ました。細やかな学びについては、別途個人的に纏めておくとして、ここでは発信でき得る3つのことについて叙述しておきたいと思います。

 1つは、熟慮の不足する社会に対する憂い。ジョン=ロックや、アダム=スミスといった伝統的哲学や経済学の原書を読まないその道の実践家が増えているとのお話でした。斯様な原書を手に取って、時間をかけて熟読し、自らの人生や現下の社会に思いをはせながら熟慮する必要があるのだと。確かに、現下の社会は熟慮の必要の無い、ある種自身にとって“負担”の少ない音楽や書籍が流行っているとも思われます。私たちは、深く考えることをいつから止めてしまったのでしょうか。また、そうさせているものは一体何なのか。

 例えば、「変革」や「発展」の定義についても原書を基にした解説を頂きました。そこに、従来からの自身の捉え方とは異なる示唆がある訳です。私たちは、職務を含んだ日常の暮らしの中で、如何に物事の意味を考えずに生きているのか、斯様な熟慮の機会を逸して生活しているのか、幾度か自問自答せずにはいられませんでした。と同時に、脳裏に浮かんだことは、「尊厳の保持」「利用者本位」「その人らしさ」「自立支援」といった当分野におけるその一見美しい言葉の数々でした。これらは、真に何を意味する言葉なのか。その理解無くしてその実践は不可能であるにもかかわらず、その熟慮の機会を私たちは有していないのではないでしょうか。まさに、言葉の遊びを重ねつつ、自己満足に浸る実践が津々浦々で展開されつつあるのではないでしょうか。

 こんな時代だからこそ、私たちは率先して、一見面倒臭い事や、回りくどいとも思われる熟慮の機会を忌避せず取り込んでいかなければなりません。もちろん、これらの取り組みが、私たちの実践に即効性ある形で成果として現れることは期待できないでしょう。しかし、比較的長い人生において、その実践の幅と深さを押し広げ、やがて実践における大いなるそれが糧となることは誰もが否定するものではありますまい。また、斯くの如く熟慮の過程においてのみ人間は成長していくものなのかも知れません。容易に手に入る知識や技術による実践では、やはり先駆性や卓越性は期待できないものと再認識することが出来ました。人生や社会に係る伝統的書物や「意味ある他者」との出逢いを通じて、自らが頭を使い、足で稼いだ熟慮の結果にこそ、私たちが人間として、また、社会が「発展」することにそれが繋がるのでしょう。

 2つ目は、やはり、他分野から学ぶことの大切さにありました。ご教示頂いた彼の専門分野は社会福祉ではない旨叙述しましたが、それに加えて、彼は研究者としての実践家であり、分野と実践形態の異なる世界でその名を轟かせておられる方です。思想的には近くとも、その視点が異なれば、従来全く気づき得なかった学びが生成されるものだと改めて気づかされました。例えば、ソーシャルワークの援助過程やソーシャルワーク定義における一般的図式の「間違い」を指摘したり、当分野において自明に用いられている「その人らしさの支援」や「自己決定支援」における「違和感」についておっしゃられていました。援助過程においては、時々に変化する利用者のニーズに対応することを考えれば、矢印の在り方は螺旋形が相応しいことや、「自己決定」や「その人らしさ」はクライエントが決める事であるため、それを他者が支援することに些か違和感を有するとのことでした。ご指摘は尤もだと認識します。今まで、当たり前に思っていたことがそうではないと改めて気づかされた次第です。また、会話の中では、他分野の知見を援用して自らの実践に用いることは勿論なのですが、こちらの実践や理論を他分野に活用してもらうことを念頭に置いた実践やその発表の重要性も示唆されました。今後斯くの如き視点で、実践を展開していこう決意しました。

 そして、最後は、今ここの拠り所となる信念とそれに対する情熱を携えることの重要性にあります。とっても、情熱的な方でした。そして、その信念が実践に対する尊さを醸成されているようにも見受けられました。予てから、人間を説得させる要素は、理論・データ・情動性であると理解をしてきました。良くも悪くも、人々は情動性により、その行動を左右するのだと彷彿されました。またこの信念は、社会に対する視座そのものであり、社会に対する問題意識の在り方であること。社会に対する“あるべき姿”に向けての提言及びその実践が人と人とを強く結びつけるのだと強烈に感じることが出来ました。

 サンタバーバラの時間は19時を回ったところ。この度の学びを文書に纏めつつ、明日出立するための荷造りをしています。出逢いとは、人と人とが自らの思いに導かれた行動の帰結として成されるものだと学んだ記憶があります。つまり、出逢いは、運命ではないと。確かその様に、恩師の講義の中で語られていた覚えがあります。この度の斯様な出逢いに、深く感謝しながらも明日帰国の途に就きます。



公私混同の弁

2013/06/03 12:13:47  日常


 予てより、公私を混同させることこそが最も品位を貶める行為であると認識してきました。細かいところで言えば、公衆の場で、大声で私語を有することや、下の話や、性的な話は勿論忌避してきました。携帯電話の使用においても、食堂・レストラン等の公衆の場においては必ず店外に移動して通話をしています。公の場で、私的な行為を堂々とすることは下品なことであると理解しているからです。その意において、有名人が公にわが子を過保護に扱ったり、自らの権力を行使してわが子に便宜を図るなどは、最も愚劣な行為なのかも知れません。二世いや、三世議員の多く蔓延る政治の世界においてもこれはそっくりと当てはまる事象ではないでしょうか。

 と、少し前置きをした上で、それでも本日だけは敢えて私的なお話をさせて頂くことをご宥恕頂ければと思っています。ブログとは、元来「個人の日記」の意が多く含まれていますので、自身にとっての未来からの振り返りにも使えるよう今の思いを記録しておきたいとも思うのです。

 本日早朝、祖父・中島正が亡くなりました(享年92)。動機はよくは分かりませんが、長年社会福祉活動に人生を捧げてきた言わば、若輩にとっての先輩でもありました。民生委員活動に始まり、社会福祉法人の運営、特に地域福祉と児童福祉に興味を持っていたようでした。自らの田んぼに土を入れ、地域の広場を作ってまちづくりをしていましたし、子どもたちには自然環境との接点を多分に持たせる関わりをしていたように記憶します。生まれて間もなくから大阪で育った私にとっては特に、祖父の保育所に通ってくる園児たちの逞しさには毎度の様に圧倒させられていました。私が小学生のころ、祖父の下に帰省すれば、必ず決まって保育所に行き山羊・鶏・兎、時には狸もいましたが、の小屋の掃除と餌やりをさせられていました。その当時、保育園児を山羊の下に座らせて口を開けさせ、山羊の乳をそのまま飲ませていたことが思い起こされます。園児はみんな顔中を乳まみれにしながら、楽しそうに飲んでいました。

 当時は全く理解できませんでしたが、今であれば如上の行為の大切さを説明することが出来ます。子どもの頃から自然環境に触れることこそが、子どもの発達においては最も重要であること、そして、それは腹を下したり、怪我をする近視眼的な子どものリスクには繋がるものの、中長期で見ればそれは子どもにとって最も大切な行為であることを。自然環境によって生かされていることを忘れ、我が物顔で地球を席捲している人類の在り方とは一線を画して、私たちが自然環境の摂理の中で生きていることを敢えて子どもたちには伝えて行く必要性を感じています。例えば、小動物や昆虫の生態に触れる中で、生きることや死ぬこと、傷つくことが学べるわけですし、自らが他者から生かされている存在であることも無意識の内に理解することが出来る様になるはずです。私たちは自然環境の中で、宇宙の摂理を学んでいるのです。その重要な機会を子どもたちから簒奪する権利を私たちは有していないはずです。

 そして、例えば感染予防と言う名のもので、徹底的に消毒が施行され、“無菌”状態に近い環境下で育つことが、子どもにとっての中長期的なリスクにそれが繋がることも私たちは忘れている様に思われます。風邪をひかない・腹を下さない・怪我をしないことは、本当に子どもにとってのリスク回避になるのでしょうか。この様な馬鹿げた質問をしなければならない現状は、いったい誰のために成されているのでしょう。つまり、誰にとってのリスク回避を考えての行為なのか。言わずもがな、それはオトナにとってのリスクでしかなく、子どもにとってはむしろ、無用な消毒を極力控えた状況で、多くの菌を有する自然環境との接点を多分に設けることこそが、人生における一番のリスク回避となることでしょう。

 よく言えば、“器”が大きい受容力のある祖父でしたので、敵は少なく味方の多い人生であったように思われます。私はその所が少し違っていて、「yes」と受容できる社会を構築するためには、「no」と言わなければならないことがあると理解していますし、その行為によって民主主義社会は辛うじて保たれていくであろうと信じている者の一人です。しかし、生まれ持った気質的には、祖父の様な生き方が向いているのかも知れません。

 最後に、やはり人生は短いと思います。実は、自身は公の場における活動において、真なる思いは約3割程度しか披瀝をしておりません。それは、冒頭の公私混同に対する思いや、自身の年齢が若輩であったこととも関連します。しかし、祖父の死を前に、それを漸次5割程度までは吐露して行こうと考えています。自身も所詮いつかは死にます。その日を前に、言い残したことが数多あっては、その人生に決して満足できるものではありません。もう少し、思いの丈を今まで以上に吐露して行きます。

 祖父のおかげで、今この仕事に就くことが、誇りを有することができ、斯様に偉そうなことを叙述することが出来ていることは紛いもない事実であります。公私混同の謗りを敢えて受けつつも、この場をお借りして亡き祖父に感謝の意を捧げたいと思います。合掌。



facebook始めました

2011/10/25 12:00:00  日常
今夜仙台空港経由で市内に入りました。
 http://www.facebook.com/yasuharu.nakasima

 まだよく使い方が分かっていませんが、お友達を募集しております。ご応募お願い致します。

花園大学教授八木晃介先生 退職を祝う会

2010/06/13 12:00:00  日常
梅雨入り宣言直前の京都駅周辺の模様。
 京都市中京区三条先斗町の「ザ・洋食屋キチキチ」さんで、花園大学文学部教授・花園大学人権教育研究センター所長を昨年度定年退職された八木晃介先生を祝う会が開催されました。八木先生は現在も特任教授として花園大学で教鞭を取られていますが、一旦の仕切り直しを祝う会です。先生におかれましては、今後ますますのご活躍を切望致しております。
 思えばこの大学での勉強が、現在の私の取り組みの礎を創り上げたと言えそうです。高等学校までにおける「勉強」に殆ど興味が湧かず、自分を見失いつつある中、大学に進学しました。大学での勉強は、自分の考えや、思いを、言語化し、形成していくためのものでした。それは、自身の考えに耳を傾ける勉強でした。社会に数多ある矛盾や、ジレンマ、不正、不当に対して、流されることなくしっかりと受け止め、要因を分析し、その解決方法を模索する勉強です。それは、誰かに負けない為に、誰かを蹴落とすといった類の「勉強」ではなく、全ての人が幸せになる社会をつくるための勉強でした。高等学校までにおける「勉強」とは異なり、創造性や独創性の問われる真の意味における勉強に触れ、専門書を貪り読む毎日が始まりました。専門書を一頁読んでは、自身の頭の中でああでもない、こうでもないと連想し、時には八木先生に疑問を投げかけ、理論構築が成されて行きました。それは、私にとって掛け替えのない時間でした。
 素晴らしい恩師と、仲間に囲まれ現在の自分があることをしっかりと再認識し、それに恥じぬ生き方をしなければと思っております。今後とも、ご指導・ご鞭撻の程よろしくお願い致します。
 先生、一先ずのご退職、おめでとうございます!しかしながら、若輩がもう少し成長するまでの間は、引き続き第一線でのご活躍をお願い申し上げます。

先生の近著をプレゼント頂き記念撮影

参加できなかった元ゼミ生の方で、本ブログを読まれた方は、是非中島までご連絡ください!連絡をお待ちしております。

「高齢者虐待防止研修講師養成研修」への参加

2009/09/24 12:00:00  日常
大阪の難波周辺。この辺りは9年前に比べて、随分様変わりしました。
 大阪の国際交流センターで、上記の研修が開催されています。認知症介護研究・研修仙台センターが主催されている研修です。
 社会福祉分野においては、社団)日本社会福祉士会が率先して取り組んでこられた分野ではありますが、この度は、認知症ケアから派生する課題としての高齢者虐待といった視点から、認知症の研究・研修機関が主催の研修です。しかも、本研修を受講した者は、職場に帰って、職場内研修を開催しなければならない模様です。
 自身の、当法人における認知症ケアの質向上のために、是非ともご協力させて頂こうとは思っております。
 大阪府茨木市で27年過ごした私です。大阪の街は、やはり、なんとなく、癒される街でもあります。

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中島康晴 特定非営利活動法人 地域の絆 代表理事
1973年10月6日生まれ。大学では、八木晃介先生(花園大学教授・元毎日新聞記者)の下、社会学を中心に社会福祉学を学ぶ。巷で言われる「常識」「普通」に対しては、いつも猜疑心を持っている。1億2千万人の客観性などあり得ない事実を鑑みると、「普通」や「常識」は誰にとってのそれであるのか、常に思いを巡らせておく必要性を感じる。いわゆる少数派の側から常に社会を捉え、社会の変化を促すことが、実は誰もが自分らしく安心して暮らせる社会の構築に繋がると信じている。
主な職歴は、デイサービスセンター生活相談員、老人保健施設介護職リーダー、デイサービス・グループホーム管理者。福祉専門職がまちづくりに関与していく実践の必要性を感じ、2006年2月20日特定非営利活動法人地域の絆を設立。学生時代に参加した市民運動「市民の絆」の名前をヒントに命名。
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