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NPO法人 地域の絆

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中島康晴

地域の絆 代表理事 中島康晴

「支援」が「支配」に変容するとき

2014/12/01 10:37:51  社会福祉
 身体・精神・社会面において暮らしの課題を抱えているクライエントとその支援に携わる私たちの関係が、権力関係に陥らないようにするためには一体何が必要なのでしょうか。このことは、私が、この分野で仕事を始めるに当たって真っ先に考えたことでした。また、実は今も自問自答すべきテーマであり、社会福祉実践家としての生涯に渡る重要なテーマの一つと言えるかも知れません。

 特に、2000年の社会福祉基礎構造改革以降、サービス提供者と利用者との対等な関係が強く謳われてきました。また、その後、児童・DV・高齢・障がいの4つの分野の虐待防止法が施行されています。裏を返せば、それだけクライエントの権利が脆弱な状況にあることを政府が認めているとも言えます。私たちは、まず、クライエントの権利が侵害されやすいものであることに強い自覚を持つ必要があるのです。

 心身の機能やそれに伴う判断能力の低下が見られるクライエントと支援者との間には、力の均衡が取れていない現実があります。端的に言うと“力のある側”と“力のない側”の関係がそこにあり、この関係に無自覚であればあるほど、両者の関係は支配・権力関係へと陥りやすくなると言えます。私は、障がいのある人々が「弱者」で、健常者を「強者」という二分法でのみ物事を捉えることには与しませんが、競争原理と効率優先の社会構造下にあることを前提とすれば、上記の二分法は、現下の社会において主流となる区分であると捉えています。つまり、社会構造が、競争原理と効率化を中心に据えた画一化したあり方ではなく、価値観の多様性を尊重して行かない限り、この二分法の関係からは脱却できないであろうと考えるのです。

 このことを踏まえつつも、“力のある側”と“力のない側”が対等な関係を構築するためには何が必要なのかを実践段階では考えておく必要があります。それは、“力のある側”が一歩も二歩も“下がって”、受容的な対応を意図的に行うしかないと私は考えます。いわゆる、受容・共感・傾聴を意図的に行う必要があるのです。そうすることによって初めて、クライエントの自己決定の尊重の基礎が担保されることとなります。一見当たり前のお話の様ですが、実践家の多くはこのことに無自覚である様に見受けられます。恐らく、私たちは、無自覚にクライエントの権利を蔑ろにし、無意識にクライエントの自己決定を度外視している事があるのではないでしょうか。

 悪意のある権利侵害は、本人にも自覚があり、また他者から見てもそれが分かりやすく早急な対応も可能となります。最もたちが悪いのが、無自覚・無意識の内に小さな権利侵害や不適切なケアが水面下で進行していくことにあります。私たちには、自らの立ち位置を時折立ち止まって確認する作業が必要です。

 限られた予算と、時間、人手でクライエントと向き合う中、その慌ただしい毎日の現場の中で、私たちは「経験的判断」を優先にした実践を無自覚に行っています。「経験的判断」とは、「私は何ができるのだろうか」「わたしはどんな選択肢を利用できるのだろうか」といった目の前の現実や出来事に関する判断と言われています。一方、クライエントの尊厳とは何か、社会福祉実践の拠り所とは何か、ケア専門職はどうあるべきか、つまりは、「私は何をすべきなのか」「わたしにとって、何をするのが正しいことなのか」といった目的・価値などに関する判断を「価値判断」もしくは「道徳的判断」と呼ぶそうです※1。

 しかし、これら二つの判断はどちらを優先にすべきかといった、優先順位を確認するものではありません。双方の視点が大事であると言われているものです。ですから、「経験的判断」も大切なのです。しかし、現場の只中にいると、どうしても「経験的判断」が優先され、「価値判断」が等閑になることが多いのではないでしょうか。

 確かに、私たちには、日々やり遂げなければならない決められた業務があり、限られた人員配置で援助活動を行っている訳ですから、どうしても目先の業務に視点が奪われがちであることは否めません。であればこそ、私たちは、時折立ち止まって「価値判断」に基づき、自らの実践を点検する機会を設ける必要があります。それが、現場を離れた会議・事例検討会・研修会・読書等の場であると言えます。その様な機会を定期的に設けなければ、私たちはクライエントの権利を無自覚に蔑ろにしてしまう恐れがあります。

 そして、これらのことを共通理解した上で、私たちの法人では、「私たち地域の絆の行動指針」の中に「私たちとご利用者との約束」と題して、3つの行動指針を示しています。


〃標譴任話します。
¬楡を同じ高さか、それ以下にしてお話します。
L仁畄繊福屐○してください」)を使わずに、依頼形(「○○していただけますか」)を用います。


 当然にこれ以外に守るべきルールは数多あることでしょう。しかし、私たちの法人における目標・ルール等の様々な決め事は3つである事を基本にしています。どれだけ多くとも7つまでが原則です。これは人の記憶の限界を鑑みてのことです。3つだと記憶の保持はもとより、想起まで瞬時に行うことが可能です。7つですと、保持はできますが、瞬時の想起は不可能です。もちろん、これは私の経験則ですから、個別性があり、7つでも瞬時に想起が出来る方もいることでしょう。しかし、以上の事から、私たちの定める行動指針はこの3つに絞っています。逆に、この3つを押さえておくことで、最低限の権利侵害を防ぐことか出来るという項目を選定しています。これら3つの行動指針は、私たちとクライエントの関係が、権力関係に陥らないように、私たちが受容と共感を意図的に実践する様に設けられたものです。ですので、サービス業だから設けているものなどでは断じてなく、クライエントをひとりの人間として捉える為に、そして、その権利を侵害しないようにする歯止めの意味を込めて設けられたものです。

 私たちの社会には多くの関係においてそこに権力関係が存在します。上司と部下、教師と生徒、専門職とクライエント等。このことに無自覚であることは、対人援助職としてその実践に大きな瑕疵を有していると言えます。大変危険なことだと思います。であればこそ、私たちは定期的に立ち止まって自らの立ち位置を確認し、これら現実に目を向ける必要があります。また、その共通理解を行った上で、その権力関係に歯止めをかけるにはどの様な言動が具体的に求められているのかまで共有すべきです。これらの営みを通してでしか、「支援」が「支配」になることを避けることは出来ないでしょう。支援者が間違っても、支配者になることは許されないのです。しかも、それが無自覚・無意識の内に成されているとしたら…。

 最後に、クライエントに敬語を用いる事に反論を頂くことがあります。その反論の要旨としては、堅苦しいのでクライエントとコミュニケーションが却って取りづらくなる、と言ったものが大半です。また、田舎に行けば敬語など使っていないという反論もあります。それらを受けても、やはり、私たちの法人では原則敬語を重要視しています。例えば、私の周囲には年上の仕事仲間が数多おります。彼らと話すときには、私は敬語で話をしています。その年上の彼らとは、共に風呂に入ったり何でも話せる関係ですが、私は敬語を用いています。逆に、その彼らが65歳以上になり、要介護高齢者になって介護保険サービスを利用した途端、私は彼らに対して敬語を用いなくなるのでしょうか。もしそうだとしたら、そこにはどんな関係上の変化が起こっているのでしょうか。一言で言えば、要介護状態になった彼を私は軽んじていると言うことではないでしょうか。しかも、無自覚のままに…。

 また、コミュニケーション論で言えば、言語的コミュニケーションと非言語的コミュニケーションの割合は35%と65%であるとか、7%と93%であると言われています※2。よって、敬語という言語が、コミュニケーションに与える影響は7%〜35%といっても過言ではありません。であれば、クライエントとの信頼関係や親密度を高めるために敬語が障壁になると言う理論は成立しないと私は考えています。非言語を駆使すれば、幾らでも、親密度を高めるコミュニケーションを取ることが可能だからです。

 もちろん、ここには、クライエント本人がどう呼ばれたいのか、という問題があります。クライエントの意志が明確に確認され、敬語を使わないでくれ、と表明すれば我々はそのことを尊重すべきでしょう。しかし、クライエントの意志が曖昧な状況であれば、私は、無難な方を取った方が良いと考えています。つまり、敬語を用います。仮に、クライエントの意志が不明瞭であったとして、敬語で呼ばれたいと思っているクライエントに非敬語で接するよりも、敬語で呼ばれたいと思っていないクライエントに敬語で接する事の方がクライエントに対する権利侵害の可能性は低いと認識しているからです。

 そして、ここには、敬語で話す話さない以上に、大きな問題がその背景にあることを理解すべきです。つまり、私たちが無自覚・無意識にクライエントと関わる限りにおいて、両者の力の不均衡が進行した帰結として、恐らくそのクライエントの権利の多くが蔑ろにされているという事実にあります。そのことに、畏敬の念を持ちながら、絶えず自認しながら実践を行うことによってこそ、クライエントを権利侵害から守り、延いては、その権利擁護に繋がっていく未来への道筋が見えてくるというものです。



※1 R.A.ダール『デモクラシーとは何か?』岩波書店 P.35 2010年10月
※2 著:マジョリー=F=ヴァーガス 訳:石丸正 『非言語コミュニケーション』新潮新書P.15・P.99 2013年12月
「非言語コミュニケーション研究のリーダーの一人、レイ・L・バードウィステルは、対人コミュニケーションをつぎのように分析している――『二者間の対話では、ことばによって伝えられるメッセージ(コミュニケーションの内容)は、全体の三五パーセントにすぎず、残りの六五パーセントは、話しぶり、動作、ジェスチャー、相手との間のとり方など、ことば以外の手段によって伝えられる』と」。
「アメリカで多年にわたり非言語コミュニケーションを研究しているアルバート・メラビアンは、人間の態度や性向を推定する場合、その人間のことばによって判断されるのはわずか七パーセントであり、残りの九三パーセントのうち、三八パーセントは周辺言語、五五パーセントは顔の表情によるものだと述べている」。



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中島康晴 特定非営利活動法人 地域の絆 代表理事
1973年10月6日生まれ。大学では、八木晃介先生(花園大学教授・元毎日新聞記者)の下、社会学を中心に社会福祉学を学ぶ。巷で言われる「常識」「普通」に対しては、いつも猜疑心を持っている。1億2千万人の客観性などあり得ない事実を鑑みると、「普通」や「常識」は誰にとってのそれであるのか、常に思いを巡らせておく必要性を感じる。いわゆる少数派の側から常に社会を捉え、社会の変化を促すことが、実は誰もが自分らしく安心して暮らせる社会の構築に繋がると信じている。
主な職歴は、デイサービスセンター生活相談員、老人保健施設介護職リーダー、デイサービス・グループホーム管理者。福祉専門職がまちづくりに関与していく実践の必要性を感じ、2006年2月20日特定非営利活動法人地域の絆を設立。学生時代に参加した市民運動「市民の絆」の名前をヒントに命名。
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