本日が一年の始まりであったり、今年が2013年ということに関しては、世界には多様な考え方のある中、ソーシャルワーカーとしてはそのことを尊重したいと毎年この時期に思っています。普遍化された価値規範としての「普通」や「常識」、「公理」といったものから距離を置いて、猜疑心をもってそれを見ることが出来なければクライエントの権利擁護は出来ないと、自明のことではありますが、それを大切に日々暮らしております身にございます。
そんな考えの私ではございますが、定期的にお立ち寄りいただいております皆様方に若輩の今の考えを少し吐露させて頂きたく存じます。
私たちの仕事は、まさに生活支援の現場であります。生活は、質的にも時間的にも幅の広いもので、そこには多様な捉え方がある分、多様な出来事が付きものであるとも言えるでしょう。私たちの現場では、様々な問題が日々起こっています。他分野・領域・業界では、大よそ考える必要のないような、厳しい問題とも直面しなければならないこともあります。人々の命を間接的にでも支えていく仕事であり、その人生に寄り添う仕事である以上、それは軽々しいものではなく、重く、時に苦しいものであると認識しています。そんな中、つらく、逃げ出したくなるような出来事に遭遇することもあるかも知れません。しかし、若輩浅学ながらいつも思っています。その様な重く、苦しい経験をし、そして、多くを感じ、考えることが何よりも尊く、それが、私たちを人間として成長させてくれるのではないかと。であればこそ、私たちはこの仕事を誇り得るのではないでしょうか。この仕事を3Kなどと一度たりとも思ったことは無く、むしろ、他の業界と引けを取らぬ素晴らしいものであると思ってきました。全ての仕事は尊いとは思っていますが、中でも、我われの仕事は如上の意においてそれを凌ぐほど尊いのではないか思う訳です。社会福祉の仕事に携わるあらゆる人々にお伝え致したいのは、つらい時、悲しい時こそ、前を向いて仕事をすること、そして、上を向いて仕事をして頂きたいと思っております。誇りを持って、そして、専門職としての研鑽・成長を促していくことが、大変な時こそ、求められていると、それを信条に今まで仕事をして参りました。
そして、もう一つ大切にしている信条が、常に大局を見ながら仕事をするということです。今現在の大きな社会構造を捉えながら、そして、時間軸を超えた100年先を見据えながら目の前の仕事をこなすということです。これは、社会的企業家として、ソーシャルワーカーとして、そして自称ジャーナリストとして不可欠な営みです。そもそも、社会福祉は、特に、自助では自立した生活を送ることが出来ない人々の権利を守ることを支援することがその仕事であるはずです。であれば、その様な人々の人権を軽視しないこと、つまり、多少の「犠牲」も許さないことをその信条としなければなりません。しかし、現下の社会はどうでしょうか。福島や沖縄における問題も然り、社会福祉専門職が目指すべき社会とは程遠い状況にあるのではありませんか。また、その意において、わが国の社会構造は、国際社会から見ても多分な遅れを取っていると認識しています。これは、経済的な後退以上に実は大きな問題であり、巷で言われている以上に大きく国益を損ねています。
更に大切なことは、私たちはその人々の人権を丁寧に支えていくことによって、反人権としての侵略や戦争といったものを抑止する役割も担っていることを改めて確認しておきたいと思います。過去の過ちを振り返ってみても、人々の人権や精神・信教・思想の自由が守られている状況で戦争に陥った国は無いはずです。そこを大切に守っている私たちの仕事は間違いなく世界の平和に寄与しているはずです。
年頭の辞として、お伝えしたいことは、我われの仕事は斯くの如く尊く、素晴らしいということです。そして、毎日の仕事から前向きに多くを学びとり、研鑽を重ねることを通して誇りを持って今年も仕事に取り掛かりたいと思っています。
第46回衆議院総選挙では、野党第一党の自民党が2005年郵政選挙以来の大勝を収めました。多くのマスコミの予想が見事的中しましたので、その意において、大きな驚きや感動は特にはありませんでした。
小選挙区制では、そこに死票が多く発生すること、組織票を保有している大規模政党に有利な展開となることは自明の理であり、民主党の支持率を鑑みれば、当然の結果に帰結したと言うことになります。また、比例票においては、自民党は前回大敗を帰した得票数よりも少ない得票数であった(今回1660万票であり、前回2009年の1880万票から220万票減少)ことを鑑みれば、この大勝が如何に民意を反映していないのかが伺えるでしょう。一部マスコミもこの点を取り上げており、選挙制度自体の問題が改めて浮き彫りになった選挙でもありました。また、今回の選挙は最高裁が「違憲状態」と判断した一票の格差の問題が解決されぬまま行われていますので、三権分立における司法の役割が今後強く問われることになるでしょう。
しかし、ここで一番私が引っかかっている事。それは、59%前後と言われる投票率の低さにあります。各県で軒並み最低の投票率が記録されていると報じられているのです。人々の政治離れがここ20年ほど取り沙汰されています。なぜ人々は政治に関心を示さないのか。周囲にいらっしゃる高い見識を持つ方ほど、投票行動を起こさない傾向があったりして驚かされることがあります。ブログや執筆物を拝見すると、あまりにも愚劣すぎるので白票を投ずると書かれているものも…。
小選挙区制という特性を鑑みて、各マスコミの予想がほぼ的中すると言うことは、組織票で多くが決まってしまったことを物語っているのではないでしょうか。組織票、つまりは大きな声を出すことの出来る一部の有権者の声が、この選挙の結果を体現していると言えます。この状況は真なる民主主義の姿ではありますまい。私たちは、マスコミが予測できない結果こそを、市井に示すべきでした。組織票では物語れない民衆の声を反映した結果を。
古くから言われている、「その国の国民は、自らの民度以上の政府を持つことは出来ない」ことは自明の理ではありますが、白票を投じる国民性もその民度を測る指標とすべきでしょう。選挙権は権利であると同時に、義務でもあるはずです。先進諸国の中には、投票率90%を切る選挙は全て無効として、何度もやり直しを行う所もあるようです。わが国においても、その様な法整備を行うべきではないでしょうか。愚劣だとその活動から距離を置いて、そのことに何の働きかけも行わなければ、その愚劣さは更に度し難いものへと凋落していくことでしょう。愚劣なものほど関わりを避けるべきではありません。
たかが一票と思うその行為が、私たちの生活の基を成す民主主義を頽廃させているのです。
首都圏を車窓から眺めながらいつも思うことがあります。数十年前に建てられた高層ビルやマンションの何と多い事か。そして、これらの膨大な建造物はあと何十年健全に聳えていられるのだろうか。そう思うと、島嶼部に架かるたった一本しかない橋を行き交う車輌を眺めながら、また、365日休むことなく一日数十往復を繰り返す新幹線の橋脚を見て、この状態をあと何年健全に維持することが出来るのか地方においても不安な思いに駆られながら生活を送っていました。高度経済成長期以降、その減退が続いている今でも、その成長戦略が謳われ、新しいものが造られ続けている昨今です。しかし、これから数十年における当面の課題は、今まで安易に造り続けてきたモノをいかに維持するのか。また、それを如何に再構築するのか。またそのための費用は如何ほどなのか。と言ったことと真摯に向き合うことが避けられそうにもありません。そのことを前提に、未来永劫続く建造物はあり得ないことを前提に、いつどの程度の費用を要して修繕・改築を図るのかを考えながら、新たな建造をすることが求められると思われますし、建造コストが高くとも極力永く維持が出来る建造物の創出を検討することも不可欠となるでしょう。
新たに造る時代から、維持する、改築する時代に突入しているのだと認識しております。建造に関して全くの素人の私の直截的な思いを吐露させて頂きましたが、そんな時代なのに、リニアモーターカー然り、次々と新しいものを造り続ける社会に疑問を抱いております。
いみじくも、中央道・笹子トンネル(山梨県)で天井板崩落の事故が発生しました。まさに、建造物の維持・改築の課題が浮き彫りになった象徴的な事故であると捉えています。実は人間は、自らが建造したそれが、厳密に何年維持することが可能であり、その後どのような改築方法を取れば現在の状況を末永く維持できるのかについて明確な答えを持っていないのではないでしょうか。人体実験と言う実体験を通して、これから人類は経験を重ねていくようにも見受けられます。
福島第一原発の事故においても「想定外」という言葉が流行りました。しかし、そもそも人間に「想定できる」ものは極僅かであり、常に「想定外」が普遍化していることを自覚すべきではないでしょうか。であれば、恐らくは「想定外」などという、言うも無知さをさらけ出す自明の言葉を発することもありますまい。10代の頃より思うことですが、他生物に比べて人間は賢くも優秀でもないと思っていました。このまま環境破壊を繰り返せば、恐らくは恐竜よりも短命に終わることを考えると、少なくとも他生物よりも劣等な立場にあるのではないだろうかと考えずにはいられませんでした。
人間は自らが考えるほど有能ではない。その大前提に拠って立てば、成長戦略とは違った「豊かさ」を私たちは見つけられるのかも知れません。
衆議院解散後、津々浦々で激しい選挙戦が繰り広げられています。この度の衆議院選は、12月4日公示、同16日の投票。違憲状態とされている衆議院「1票の格差」は是正されぬまま、この度は今の区割りで実施されるのだとか。
細かな点を鑑みれば際限がありませんが、この度の選挙に関して、大きく2つのことを今考えています。
第一に、「全ての国民を守る」視点がそこにあるのか否か。ここでは特に「全ての」の部分に拘りたいと考えます。政治の存在意義とは、自助努力では自身の生活を守れない人々を守ることにあると自身は信じています。経済・競争至上主義の現下の社会において、自助によって十分に自身の生活を守ることが出来ている人々ではなく、むしろそうではない人々に焦点を当てた実践が求められているのだとそれを信念として持っているわけです。それが出来なければ、政治は要らないと。であれば、医療・福祉等の社会保障は、その大きな切り札となるはずですから、そこを抑制・減退させることは政党・政治家としてはあり得ない提言であると認識致します。この視点で見れば、選挙前に合従連衡の如く政党が再編されているようですが、明らかに大きく二つに仕分けをすることが可能となります。福祉専門職としては、どちらに投票行動を起こすべきかは然程難しくは無いはずです。
因みに、野党第一党の政権公約をホームページで拝見いたしました。「生活保護制度については、真に必要な人に生活保護が行きわたるとともに、納税者の理解の得られる公正な制度に改善し、国民の信頼と安心感を取り戻します。そのため、自助努力による生計の維持ができない者に対する措置ということを原点に、不正受給への厳格な対処とともに、生活保護水準や医療費扶助の適正化、自治体における現金給付と現物給付の選択的実施、自立や就労の促進など必要な見直しを早急に実施します。生活保護水準については、勤労者の所得水準、物価、年金とのバランスを踏まえ、生活保護の給付水準を10%引き下げます」。
不正受給の取り締まりを強化するあまり、この生活保護制度の本質を見失っている様にも見受けられます。いや、不正受給を理由にこの制度を骨抜きにする狙いがあるのではと疑ってみたりもします。この「政権公約」は、「(案)」と付記されていますので、公示までの間に書き換えられることを切に願います。
二つ目は、投票行動の基本は、消去法であるとの見解です。よく、今がもうドン底だから、これ以上は悪くはならないだろうという言葉が聞かれますが、そんなことは断じてないと思っています。民主党政権においてもそこには功罪の功もあったはずです。誠に残念なのは、政権交代を果した理由の第一義たるマニフェストを反故にしたことでしょう。当時の民主党のマニフェストからは、確かに「全ての国民を守る」気概が読み取れました。しかし、現民主党のマニフェストは27日に発表されるそうですが、内容を聞かずともそこからは大きく乖離したものとなるでしょう。
ここで申し上げたいことは、今よりも更に悪化することを前提に、支持政党及び候補者を考えるべきだということです。ベストではなくベターで選択するという見解もよく耳にしますが、ベストもベターも中々見当たらないのが今の政治ではないでしょうか。であれば、もう少し現実的に、これ以上悪化させないためにどの政党及び候補者を支持するべきかとの視点も重要です。
その際のこの「悪化」の指標は、先ほどから申し上げております。自助では、自身の生活を十分に守ることが出来ない人々を守ろうとしているか否かにあります。エンパワメントやストレングスモデルの視点で考えれば、「守る」という表現は受動的で適切ではないとのご指摘もあるかも知れませんが、福祉専門職としてではなく、政治の役割としてはまさに「守る」べきだと認識しています。極論、それすら出来ない、しないのであれば、この世は全て自由競争で良いわけで、政治も行政も不在に等しいわけですから、その存在意義すら疑わざるを得ません。
ソーシャルワークのmissionとも言われている権利擁護。そこには大きく二つのことが言われています。端的に申し上げますと、�仝⇒�侵害から守ること、そして、防ぐこと、�⊆�己決定を最大限尊重することです。これらは多く専門書にも、教科書にも書かれていることです。しかし、最も大事な事は、社会変革にあります。そうです。ソーシャルアクション。自助で自らの生活を守ることが出来ない人々の、�,鉢△鮃圓Δ燭瓩砲蓮△修陵佑兵匆餞超�を整える必要があるはずです。そのためには、ソーシャルアクション及び結果としての社会変革が成されなければ、権利擁護は画餅に帰してしまうのではないでしょうか。こんなことは、小学生でも真剣に考えれば分かる事です。でも、パーソンセンタードケアの書物にもそのようなことは残念ながら書かれていません。私は、ここにケアワークの限界があると認識しています。これからのケアワークには、地域包括ケアが求められている訳ですから、そこにはソーシャルワークの視点がやはり必要になるものと思われます。
少し本論から逸れてしまいましたが、これから10年かけて、私たち福祉専門職は倍増することになります。労働者人口が倍増すると言うことは、選挙権も倍増する訳です。今後ますます私たちは力を有するようになります。その有する力を誰のために使うべきなのか。今から10年先を視野に入れながら今まさに熟慮するべきです。自助では自らの生活を守れない人々の一番近くにいる私たちが、その代弁者として声をあげるべき時が近付いている、そのような思いを胸に今これを書いています。
「強い日本、豊かな日本をつくっていくことが私に課せられた使命」。野党第一党の党首が語ります。愛国心や愛民族心を自負する私です。言葉の意味において、それは異論のないところです。問題なのは、その内実にあるようです。
さて、「強い」そして「豊か」な国とは、どのような社会構造を有するものでしょうか。今朝目にした朝刊には「男女の平等、日本101位に下落」の記事がありました。ダボス会議を主催する世界経済フォーラムが、政治・経済・健康・教育の4分野で評価したものですが、我が国は135か国中101位に位置付けられているらしい。特に、女性の議員や企業幹部が少なく、政治の項目では110位であったとあります※1。この様な不名誉な烙印を押され、若輩の愛国心は満身創痍の思いに駆られてしまいます。権力の中枢にいらっしゃる政治家諸氏もきっと同じ思いであることでしょう。
また、過日見かけた記事には、「富裕層:日本360万人で世界2位 スイスの金融大手発表」の文字が。「スイスの金融大手クレディ・スイスが22日発表した12年の世界の富裕層件数ランキングによると、純資産100万ドル(約8000万円)以上を持つ富裕層件は日本に約360万人おり、米国に次いで2位だった。前年より約8万3000人増え、17年には540万人に拡大すると予測している」※2らしい。普遍的経済状況は衰退し、若者は就職難に喘ぎ、生活保護受給者は年々増加、自殺者や孤独死の絶えない我が国において、富裕層は増加の一途を辿っています。また、今後もさらに増え続けるであろうと推計されているのです。個人の所得格差は年々増加し、いわゆる勝ち組は“勝ち”続け、負け組は“負け”た後の支援も希薄な中、更に転落を強いられるという構造。そこに、格差を増長する逆進性の強い消費税が導入されるわけです。そして、更にフェアでないのは、勝ち組が“勝つ”理由が個人の資質や能力によるものだけではないことであり、また負け組が“負け”る理由も同様である点にあります。もちろん、資本主義社会の力学の中にあって、全ての人が“勝つ”ことなどありえないことやも知れません。であればこそ、勝ち組は時代の趨勢や社会構造の中で優位に立ち振る舞った結果、“勝って”いる訳ですから、その利益を社会に還元することが大前提として必要になろうかと思います。年収3億円の経営者と、年収300万円のサラリーマンに、収入格差ほどの能力格差があるとは私には到底思えません。であれば、年収3億円の高額所得者は、より多くの納税を積極的に実施してこそ、その利益が社会的に認められると考えるべきものでしょう。それが、累進課税の考えであり、税の基本的な考え方であると若輩は認識しています。勝ち組と負け組が生れること自体は、現下の社会では仕方の無い事かも知れません。しかし、その代わりに、“勝った側”は、時代の趨勢に助けられて“勝った”のであって、“負けた”側を支援する義務が生じるのです。その為に、より多くを社会に還元すべきであり、それが、格差を是正し、結果“勝った”側にとっても暮らしやすい社会構築に繋がるものと理解できます。
冒頭の女性に対する課題や、沖縄や岩国の問題、そして、原発事故に曝された福島の問題。これらの問題は全て、女性の問題でも、沖縄の問題でも、福島の問題でもなく、我が国における問題であるはずです。いや、むしろ、当事者(「被害者」)以外の、その状況を構築している人々こそが取り組むべき問題であるとも言えます。私の考える「強い」そして、「豊かな」日本とは、如上の人々をしっかりと支えることが出来る国体を指すと認識しております。いつも吐露させて頂いております通り、真に成熟した社会とは、多少の犠牲も許さない社会であり、全ての人々が幸せに暮らせることを目指して作られている社会と言えます。その為に行うのが、学問であり、教育、そして政治であると強く理解をしているところです。
またタイトルで「犠牲」と書かずに「被害」と書いているのは、今まさに「犠牲」になっている人々は、自ら好んで身を挺している訳では全くなく、それを強いているのは当事者(「被害者」)以外の人々でありその人々から見れば「犠牲」という表現がしっくりと来るのかも知れませんが、当事者視点から言えばこれは明らかに「被害」以外の何ものでもない訳です。斯様に、視点が変われば、物事の捉え方も合わせて変じることは、成熟した社会の構築において理解しておくべき大切な視点となるでしょう。
多様な価値観を認め、誰かを排他・排斥することなく、誰かを蹴落とすことなく、多少の「犠牲」も許さない社会を目指していくこと、その営みが根強く担保されている国こそが、「強く」そして、「豊かな」他国に誇り得る国であると言えます。またそのような国こそが、世界のリーダーたり得ると私は強く認識します。
この度は久しぶりに、私なりの愛国心・愛民族心を吐露させて頂きましたが、今朝の「天声人語」の冒頭の行を最後に引用しておきましょう。
「『知るものは言わず、言うものは知らず』という。物事を深く理解する人は軽々に語らない、との戒めだ」※1。つまり、愛国心や愛民族心を日々声高に言わない人々の心にも、その思いは存在するし、その逆もまた然りであると言うことでしょう。
※1 2012年10月25日『朝日新聞』
※2 2012年10月22日『毎日新聞』