昨日の朝刊のトップに「野田首相が大飯原発再稼働判断、『国民生活守るため必要』」の記事。「野田佳彦首相は8日、首相官邸で記者会見し、関西電力大飯原子力発電所3、4号機(福井県おおい町)について『国民の生活を守るために再起動すべきというのが私の判断』と述べ、国論を二分したこの問題に関する政治判断を示した。首相は、政府の最終決定に向け『立地自治体のご理解を改めてお願いしたい』と福井県に呼びかけた」※とあります。
どうやら「首相は会見で『全体の約3割の電力供給を担ってきた原子力発電を止めたままでは日本の社会は立ち行かない。計画停電がなされうる事態になれば、実際に行われるか否かに関わらず日常生活や経済活動は大きく混乱する』と強調した」※らしい。この件に関しましては、明らかに研究者の意見が分かれている所です。つまり、今すぐに原発を止めても電力供給に支障は出ないとの見解がある訳です。また、嘘に嘘を塗り固めて促進されてきたその促進力と力学を考えれば、どの情報が優位に普遍化してくのかは社会学を少しかじったことのある者であれば自明の理の如く理解が出来ます。いや、社会構造を少し考えれば誰にでもわかることではないでしょうか。
「首相は『化石燃料への依存を増やして電力価格が高騰すれば、小売り店や中小企業、家庭にも影響する。石油資源の7割を頼る中東からの輸入に支障が生じれば、かつての石油ショックのような痛みも覚悟しないといけない』などと語り、経済とエネルギー安全保障の観点からも原発は重要との認識し示した」※。もうお分かりですね。この首相が何を指標に動いているのか?国民一人一人の安全や安心でしょうか?福島で被災されている県民に対する支援でしょうか?
まさに経済至上主義。その物差しでしか動いていらっしゃらないことがはっきりと理解できます。マズローのヒューマンニーズの階層にあるように人には、生理的な欲求や、安全・安心の欲求がまずその大前提にある訳です。それを等閑にし、経済の停滞防止を最優先に対応されているのではないでしょうか。
また、「国民の生活を守るために」とおっしゃっていますが、この場合の「国民」とは誰のことを指すのでしょうか?原発周辺地域で不安に震えていらっしゃるその「国民」ですか?福島で被災されもう二度と原発の安全性は信じないと心に誓った「国民」ですか?おそらくは、電力会社及びその利権に纏わる立場にある「国民」のためだけに、その彼らの生活を守るためだけに、原発を再稼働しようとしているとしか私には思えません。
「国民」と言っても、人口は一億八千万人存在します。全ての「国民」のための行動などこの世には存在しないこともまた自明の理。そのバランスを取っていくことが政治には求められています。しかし、日本は資本主義社会であり、経済至上主義社会です。その社会において政治が成すべきことは、力学的に弱い立場にある人々をまずは守る事にあるはずです。総理はそうではなく、力学的に強い立場にいらっしゃる「国民の生活を守るために再起動」決めたのでしょう。そして、彼らにとってこそ「社会は立ち行かない」と断じるのです。
このように「国民」と言えばまるで皆のためにと捉えられてしまうかも知れませんが、斯様な抽象的な表現の中にはレトリックが潜んでいることを私たちはまず自覚しておく必要があります。政府の側が「国民」と名指しで訴える際は、その「国民」のどの層の方々のためであるのかまで慮って話を聞く必要があります。政府が言う「国民」とはいったい誰なのか?具体的な顔を思い浮かべて話を聞いてみることをお勧めします。これを書きながら、いま私には数名の方々の顔が脳裏に浮かびあがっています。
民主党は「国民の生活が第一」というマニフェストを打ち出して、政権交代を果しました。その時の「国民」はおそらく如上の社会的に弱い立場にある「国民」を指していたのではないでしょうか。当時の小沢 一郎氏の談話等を読む限り私はそのように受け止めています。その姿勢に私自身も一瞬大きな期待を寄せていたのですが、今やその精神は雲散霧消の状況にあるようです。
権力を有する側が斯様に「国民」なる抽象的な言葉を扱う際には、注視が必要であることを改めて強調しておきたいと思います。自身がいつも気を付けているその他の言葉として、「国」と言う言葉があります。「国」と言う言葉も概念が広く、時には一般市民としての国民もその範疇に入ることがあります。ですので、私はその言葉をなるべく使うことなく、政府と言ったり、行政と言う具体的な表現を常に心がけている所です。
「また、『20カ国・地域(G20)首脳会議に行き、世界経済が不透明な状況の中で日本としての立場を明確に打ち出さないといけない』と述べ、18日からメキシコで開かれるG20首脳会議への出席に意欲を示した」※。斯くの如き首相が、諸外国から尊敬の念を得て、リーダーシップなど図れることは全く持って期待できない。これもまた自明の理です。
※『朝日新聞』2012年6月9日
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