なぜ、今地域の絆が求められているのでしょうか?それは、持続可能な循環型社会が求められ始めている現状と、大いに整合性があるようです。
本ブログでもお話してきた様に、社会の構造や関係性の中で生きている私たちにとって、「私益」と「公益」は本来相互作用の関係にあるのですが、現代社会においてそれは潜在化され、そうでは無いかの如く「操作」されてきたように見受けられます。なぜ、「操作」する必要があるのかは、然程深い考察を必要とせずとも、察しがつきます。経済至上主義・競争原理主義社会においては、「私益」と「公益」を分別することがその礎となるからでしょう。いわゆる、勝ち組と負け組を作る必要性があったからではないでしょうか。
しかし、近頃、社会に格差があることは実は、全国民にとって良くないことではないかと、理解され始めております。そこで、注目を集めているのが、持続可能な循環型社会です。
そもそも、真に「豊かな」社会とは、循環型の社会そのものの事を言うようです。循環とは、自分たちの行いが、巡り巡って、いずれ、子や孫の代に「返ってくる」ことを意味します。自明の理として、「私益」と「公益」は循環しているのです。その「返ってくる」時間差に、利益を掠め取ることができた人を勝ち組と捉えても差し支えないのかも知れませんね。
「公益」と「私益」を循環させるそんな絆をつくっていきたい!それこそが、誰もが自分らしく安心して暮らせる社会構築への一里塚となるのかも知れません。地域の絆は、持続可能な循環型社会を構築する推進器となるのでしょうか?そうあって欲しいものです。
若輩浅学の私のコメントでは物足りませんので、最近拝読した文献より、引用させて頂きます。
「因縁とは、因果関係と縁である。すべての物事や存在はつながっていて、互いに因であり果である。個人の言動は全て「因」となり、必ず未来に何らかの影響を与える。何より、循環して自分に帰ってくる。その反対が直線的な「戻って来ない、循環しない」時間で、戻って来ないから「今のうちに」利益をかすめ取っておけば「勝ち」という考えになる。そこに、取ってしまえる者(勝つ者)と、取ってしまえなかった者(負けた者)が生まれる。これが、近代の「さもしさ」なのだ」(『週刊金曜日』2009.9.11.(766号)「風速計」「未来のための江戸学」田中優子氏)。
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