NHKの人気番組『プロフェッショナル仕事の流儀』(アンコール2010年1月26日放送「修業は、一生終わらない 鮨職人 小野二郎氏」)を視ました。自身の信念を持って、妥協を許さぬ実践をしている出演者達から、若輩浅学の私が学べることは多々ありますので、時間の許す限り好んで視ている番組です。仕事の内容や、立場、理念によっては、大いに参考になる方から、あまり参考にならない事例もありますが、大なり小なり学べるものが詰まっていると認識しています。
今回は、80代の鮨職人が、年を重ねるごとにその「専門性」を高めてきたその姿に強い感銘を受けました。高齢になっても高まる能力、若僧には無くて、高齢者にしかない優れた能力があることをどこかで信じている私にとっては、非常に思慮深いことです。
私が注視したのはこの点ばかりではなく、「無駄が極上を生む」と小野氏が認識していることでした。この番組では更にもう一点感慨深い点がありましたが、この事はまたの機会にお伝えできればと思います。
つまり、「『手当て』(仕込み)を施した魚のすべてが客に出されるわけではない。例えば、同じ手当てを施した締め鯖でも、二郎が味を見て、その舌にかなったものだけが、鮨として握られ、残りは賄いに回る。こうした『無駄』が、うまい鮨を握るために欠かせないという」(NHKのホームページより)。
「無駄」や、「回り道」を忌避したり、恐れていては良い仕事が出来ないと予ねてより私は考えています。よい仕事には、「無駄」があるということを覚悟しておらねばならぬ、ということなのでしょう。私たちの実践に置き替えて換言すれば、「無駄」というよりも、「試行錯誤」となるのでしょうか。多くの実践から「試行錯誤」したうち、そこから得られて実益に繋がるものは、僅かかも知れませんが、実益に繋がらず、陽の目を見なかった「取り組み」も自身の身となり骨と化すのではないでしょうか。自身の財産として、蓄えられ、いつかその経験が、自身の信念を具現化する際効力を発揮するのでしょう。飽くなき信念へのこだわりと矜持があればこそ、妥協は決して許されず、厳しい試行錯誤が欠かせない。厳しい試行錯誤の中で、取捨選択が繰り返され、本物が残る。そのことを毎日繰り返すことに、「上達」のヒントがあるように思われます。まさに、失敗は成功のもとなのかもしれませんね。
時期をずらして、『中国新聞』2009年12月27日の記事から(「今を読む」広島大大学院 総合科学研究科教授 吉村慎太郎氏)。
「近年、大学院生のなかにも資料を注意深く読まないだけでなく、文献収集さえ怠る者が増えているようだ。私は院生時代、1冊の本を借りるため、東京から大阪に行ったこともあるが、そうした経験は今の院生には『おとぎ話』かもしれない。
『省エネ』的発想からすれば、読むべき文献量を最小限に絞り込み、短期間に論文という成果を出すことが望ましい。しかし、そうすれば、すそ野の狭い、深みに欠けた内容になりかねない。何ごともスピードと生産量を求め、さらに『省エネ』が加わると、論文の『粗製乱造』になる。研究は研究以外に目的はなく、無駄な作業なつきものだ。(中略)
視覚に訴える教材がもてはやされる。漫画やTVゲーム『熱中症』の半面、熟読がすたれ、聞きかじりの言葉やレッテルに飛び付き、それぞれの妥当性の是非や奥深い背景を理解しようとさえしない。記憶と反復、流行のとらえ方をなぞるがごとき『模倣』が繰り返される。(中略)
『無駄なことはやらない』という『省エネ』的発想ではなく、人的エネルギーの『浪費』こそが、現状に突破口をもたらす教育研究の原点であるとの認識も必要だろう。(中略)
自らのエネルギーを積極的に『浪費』する姿勢は、『模倣』がもたらす以上の成果を、遠回りであれ、人間に残す『贅沢』なのだ」。
私は、19歳より、新聞・雑誌のスクラップを続けております。また、心の残った文章は全て、引用先を明らかにしたうえで、パソコンのフォルダーに蓄積しています。これらの作業には非常に手間がかかり、「こんなことを続けて意味があるのかな?」と思いながらも、早18年が経ちます。
この一見、何の役に立つのかわからぬ営みこそが、私にとっての「贅沢」なのかも知れません。
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