まちづくりに関わる専門職として、日本型の地域福祉のあり方を彷彿することがあります。過日訪れたスウェーデンでは、手厚い公的支援を礎とした地域福祉の実践を目の当たりにしたばかりですが、日本のそれはどうあるべきかと若輩浅学ながら考えているわけです。
例えば、広島県呉市では、今から一年ほど前に、下校中の小学校一年生の女児が市営バスにはねられて死亡した経緯がありますが、登下校の見守り活動を以前よりも強化したまちづくりの実践が行われています。そこには大きく二つの視点が存在するようです。
「ただ、活動回数の多い一部の保護者の負担が大きいのも現実。(中略)幅員約3メートルで離合が難しく、交通量も多い事故現場のバス停付近。市と県警は3月中旬、横断歩道を新設した。側溝にふたをし白線で区切った歩行者スペースも確保した。改善はされたが、(中略)主婦は『歩行者スペースはランドセルがはみ出すような狭さ』と指摘。(中略)『横断歩道を増やしてほしい』と求める。(中略)(市教委の)学校安全課長は『子どもの安全を守るために、地域や保護者の協力は不可欠だ』と訴える。ただ、(中略)主婦は、見守り活動の現状を受け『熱心な人ばかりに負担をかけられない。集団登下校やスクールバスで対応しては』と提案する。(中略)PTA会長は『できるだけ見守りを続けるが、大人が教えるだけでは児童が自分で自分の身を守る意識は育ちにくい』と実感する」※1。
住民が自らの力で物事を処理する視点と、行政対応で処理する視点。私は両者のバランスがとても大切であると認識しています。見守り強化において、一部の住民負担が向上することは芳しくありませんが、それを直ちに、スクールバスで対応することにも躊躇を抱く考えを持っています。行政が全てにおいて責任を持って対応するのではなく、地域住民が自らの責任で処理するべき部分も幾分か残しておく必要性を感じるのです。
元鳥取県知事で、現在は慶応大学教授の片山善博氏は、――――「『地方自治の本旨』とは、団体自治と住民自治の二つの要素が満たされることだと、どの憲法の教科書にも書かれている。団体自治とは、国から独立した団体(自治体)が権限や財源を持ち、国の支配を受けることなく自主的に運営できることをいう。住民自治とは、その団体の内部において主権者である住民の意思に基づいた意思決定がなされることをいう」とした上で、現在政府の掲げる「地域主権」は、「団体自治」優先の体をなしていると批判されています。「地域のことは、その地域に住む住民が責任を持って決める」ことこそ、「地方自治の本旨」であると発言され、住民自治の重要性を説かれていました※2。
福祉やまちづくりの第一義的責任は、政府や地方自治体にあることは言うまでもありません。福祉専門職は、時として、その責任を追及し、摑かんで放さない実践も求められることでしょう。しかし、そこに全てを押しつけてしまっては、真に福祉やまちづくりは成立しないように思われます。市民ひとり一人が、主権者としての責任と自負を持って、自らが出来る実践や、意思表示を行うことなくして、自らの地域や国を守ることはできません。またその考える営みを通して、人と人との繋がりの必要性を実感し、他者への配慮が出来る教育的効果も見込めるものと信じています。
つまり、日本型の地域福祉やまちづくりとは、公的責任を全うすることを第一義としつつも、そこで敢えて全てを補わず、住民自治の意思によって、地域住民による互助や共助で補完する実践が理想的ではなかろうかと考えるのです。地域住民が、地域のことを真摯に鑑みれば、日本社会全体の課題も見えてくるはずですし、地域の中で困っている方を支援しようとする心も芽生えてくるはずです。住民自治の心は、そのような「宝器」を地域にもたらすのです。これを引き出さない手はありません。
※1 「呉・東広島」『中国新聞』2010年4月8日(木)
※2 「今を、読む」『中国新聞』片山善博氏 2010年5月2日(日)
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