F=P=バイスッティクの「バイスティックの7つの原則」における第一の原則が「クライエントを個人として捉える」です。当法人の経営理念に掲げている憲法13条においても個人の幸福追求権が謳われていますし、ソーシャルワーカーのミッションとも言われている権利擁護における要諦は、個人の尊厳保持の支援であり、自己決定の尊重であると認識しています。
その人なりの幸福を一体だれが判断するのかなどは自明のこととして本人が決定するべきものです。クライエントの問題はクライエントにしか解決することが出来ないものであり、私たちはそれを傍で支援・調整する役割を持つに過ぎません。
このようなことを整理すれば、対人援助職にとって最も大事な視点は、クライエントの個別の価値や思いを大切にすることであると言えそうです。では個別化の対義語は何でしょう?おそらく画一化がこれに当るのではないでしょうか。しかしながら、私にはもう一つ注視したい言葉があります。「普通」や「常識」という言葉。
私の中にある「普通」や「常識」の定義は、100人いれば100通り、1,000人いれば1,000通りのそれがあるとの認識です。理論的・科学的に1億2千万人の「普通」や「常識」などは存在しません。であるにも拘らず、なぜ人は必要以上にそれに捉われて生きているのか?また、それは誰にとっての「普通」や「常識」なのか?といったことを10代の頃より私は悩み考えてきました。この度は次の記事を読んだ際、そのようなことを思い出しました。
「(大学では)最近は友だちと一緒でないと食堂で昼食をとれない学生が増えている。ランチメートを確実につくるため、昼休み前後の授業科目が友だちと同じになるようにカリキュラムを組む学生も目につく。一人で食べるのがつらいのではない。一人で食べているところを知人に見られるのがつらいのである。
一人でいる人間には価値がない―。
若者たちの間にはそんな見方が広がっている。自らの生活の充実にとって、個人的な能力や経済力より人間関係の方がはるかに重要と考えている。個々人が内面に持ち合わせている知識や技能、道徳性や倫理といったものではなく、どれだけ豊かな人間関係を持っているかによって、人間としての価値が決まるという発想である。
人間関係を偏重し、過剰と思えるほどの価値をそこに見いだすようになったのは、比喩的に言えば、人間関係の自由市場化(流動化)が進んだからである。人間関係上の制度的な拘束力が弱まり、自らの意思に反した関係に縛られることが減ってきたからである。(中略)制度的な枠組みがかつてのように関係を保証してくれなくなったということでもある。(中略)人間関係は、自己責任のもとに個々人がゼロから構築しなければならないものになっている。
(中略)安定した物差しを見失った人々は、それに代わって他者から受ける肯定的な反応、すなわち自己承認によって、自らの価値判断や行為選択を正当化しようとする。しかし、他者の評価次第で自己が大きく揺らぐということは、その肯定感の基盤が不安定なっていることを意味する。常に内面に不安を抱え込み、それを打ち消そうとさらに人間関係に埋没せざるを得ない」※。
如上の発想に加え、つまり、人間関係への過剰な偏重は、「普通」や「常識」への帰属意識もその要因であると認識しています。人から後ろ指を指されたくない、人間関係において孤立したくないという意識は、「普通」や「常識」からはみ出したくないという思いの表れであり、そのことに対する恐怖や不安に対する行動に整合性が見られます。
「普通」や「常識」は誰のためのものでしょうか?障害者の「常識」ですか?認知症高齢者の「普通」でしょうか?子どもたちの考えがそこに反映されているのでしょうか?否、そうではないようです。
例えば、先ほど私は「1,000通り」と表現した際、3桁でコンマを入れていますが、日本語を基調に考えればこれは4桁でコンマを入れた方が合理的と言えます。しかし、3桁コンマの表記が基盤となっているのはイギリス語を基調とした発想によるものでしかありません。このように社会の「常識」や「普通」は多数派のそれでしかなく、万人にとっての代物ではないことが至極当たり前のこととして理解ができそうです。
であるならば、私たち対人援助職は、社会の「普通」や「常識」とは、猜疑心を持ち一定の距離を置いて実践することが求められるのでしょう。そして利用者の価値やその思いを第一義に援助活動を実践しなければなりません。それが、「個別化の原則」であり、パーソンセンタードケアであると私は認識しています。利用者の価値や思いを大切にするとは、生活や人生における様々な判断を利用者にしていただく支援をすること他なりません。
この様に、「個別化の原則」や権利擁護の実践には、社会にある一般的な価値・意識と対峙することが求められているのです。しかし、その道のりは決して平坦なものではありません。
※筑波大学大学院教授 土井 隆義氏 中国新聞2010年10月24日
サンデーオピニオン「『ひとり』が怖い若者たち 人間関係の流動化重荷に」
朝6時の羽田空港 第二ターミナル
過日は、東京に出張後の翌日、広島市内の研修に間に合うように、朝一番の飛行機で羽田から広島まで空の便を活用しました。
驚いたのは、朝6時でもこの人の多さ。この人たちは毎日このような生活をされているのでしょうか?地方都市に長らく住んでいる人間にしてみれば非日常的な空間に感じてしまいました。
この光景を見ながら色々と感慨深いものがありました。
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