ある大臣の発言をめぐって、野党より猛烈な批判が巻き起こっている今日この頃です。実はあの発言の場に自身は立ち合っておりましたので、色々と感慨深く勉強になる側面もありました。
発言の内容自体は、国民感覚からして許し難いものでしたし、こんなこと言ってもいいのかな?、と不安感を持ちながら話を伺ってもおりました。発言内容が不適切であることは自明の理です。
私が勉強になったと感じる側面は、それが例えどのような状況であったとしても、その発言は独り歩きし、取り上げられるといった事実にあります。そもそも発言とは、一方的なものではなく、受け手との相互作用によって成立するものです。受けて度外視の一方的な発言をする政治家はいないでしょう。よって、その場の受けての雰囲気によって発言者は発言を変えてしまう傾向があるわけです。久しぶりの地元に帰られて、多くの支援者を目の前にした際、それが“冗談”として許される空気があり、その場で発した言葉であっても、その言葉は独り歩きし、別の場所で取り上げられます。それが言葉の重みであり、発言に対する責任なのでしょう。
特に人前で話すことの多い講師業に従事する者は、自戒の念を持って如上の問題に触れる必要があります。かつて、前職における大恩人より、「お前は人前で話すことの重要性を理解していない!」と叱咤されたことがありましたが、まさにそのことを自覚せずして人前での発言は許されないのでしょう。
福祉教育や啓発活動を担うことのあるソーシャルワーカーの実践においても、そのプレゼンテーション能力が不可欠であると言われています。人前で話すことの多い私たちも、自分の発言に責任を持たねばなりません。
自分の発言に責任を持つとは、その発言が独り歩きしても、別の場で取り上げられたとしても、その正当性が説明できること、そのような発言をすることではないでしょうか。自身の信念に基づいて、自身が正当性のあると考える思いを吐露すること、そしてその結果に責任を負うことを決っして発言することが、言葉の重みに繋がるのです。
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