2006年5月6日の私の手記には、ある方から叱咤された様子が書かれています。表題は、「『理解』するということ」です。次のような要旨が綴られています。
――――最近の若い人は、言ったことをすぐに「理解」するね。簡単に「そうですか・・・。○○なんですね」と。しかし、真に「理解」しようと思えば、その様な反応にはならないはずだ。様々な考察を脳裏に張り巡らし、「うーん」と考え込むに違いない。物事は本来直ぐには「理解」に到達しない。
これはある著名な方とお会いした際、その方に仕事のアドバイスをいただける機会がありました。その時に彼がおっしゃられた助言に対して、「なるほど、よく分かります」と反応した際に彼が述べた言葉です。最近の若者は直ぐに分かりましたというが、本当に分かっているのか?そんなに浅い話をしているつもりはないのだが…、という意図で話されているわけです。言われた折、しまったと思い、その後自宅に帰って色々と考え込んで手記を残しておりました。
私は毎日の生活の中で、人と話した会話の中身や、新聞・雑誌・テレビの内容、様々な事象を観察する中で、気づいたことは手記を残しています。パソコンの「ワード」に入力し続け今や400頁に到達する勢いです。そして、時折ファイルを開いてパソコンの画面上で眺めるのです。今日はこの部分に目が留まった次第です。
前回のブログでお示ししたように、理解したことを示すには、理論や実践を自分の言葉で言語化出来ることが一つの指標となるようです。それが出来なければ「分かった」とは言えないはずです。その為には、多忙を極める実践の中で原点を忘れたままでは非常にまずく、立ち止まり深慮する実践が強く求められます。
「たとえば、学生から『分かっているんだけど、言葉では説明できないんです』と言われることがある。世の中には言語化しにくい理解ももちろんあるのだが、私の授業では言語化できることしか教えていないので、『それは分かっていないことだよ』と言う。学生は不満そうな顔をする。
そこで、受講生全員に対して、私の授業では次のようなことができたときに『分かった』とみなすということを説明することにしている。
◇その定義を言えるようになる(丸暗記でもOK)。
◇その定義を自分の言葉で言い換えられるようになる。
◇その定義にあてはまる例と例外を区別できるようになる。
◇その定義の例を自分で考えられるようになる。
『分かった』ことをここまで具体的に定義すると、『分かっているけど説明できない』と主張する学生はいなくなる」※。
近ごろ、人前で話す機会や職員の指導・教育場面が増えています。学び手に「理解」をしてもらうことの責任と難しさを痛感している毎日です。その折に、改めて「理解」することの定義と意義を再確認したのが今日のブログです。
学びは本来非常に奥深きものです。であるからこそ、学び手と同時に、教え手の責任は更に重大です。「分かる」ために、教え手は学び手に如上の観点で「理解」させる必要があるのですから。
そして、その責任の帰すところは、学び手と共に教え手にあるのです。
※島宗 理氏『インストラクショナルデザイン 教師のためのルールブック』米田出版 P81-82 2007年6月
コミュニティホーム仁伍正面玄関
グループホームでは、ユニットごとに玄関が設けられています。生活の中で最低限必要な段差は、敢えて残しているのが特徴かも知れません。
風致地区なので、緑がたくさんあり、癒される空間となっています。
ユニットの名前は、「楽♥楽」と「遊々」に決定です。
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