予てから私は、「ピンチはチャンス」という言葉を、座右の銘の一つとして大事にしてきました。前職で大変お世話になった師の口癖は、「失敗は成功の元」でしたし、「ピンチ」を乗り越えるために初めて人は深い思考展開を実践するのであり、結果としてそこに成長への「チャンス」が芽生えるのだと理解してきました。特に私の場合、元来はゆったりとしたマイペース型の人間ですので、追い込まれなければ中々行動に移らない側面があります。私のような人間にこそ、「ピンチ」の際はしっかりと頭を打って、自らを追い込み悩むことが何よりも必要な営みであると認識しているところです。
「失敗したとき、人間は、『もう同じ失敗はしたくない』と思います。そして、『どうして失敗したか』『失敗しないためにはどうすればいいのか』を自然と考え始めます。結論は簡単には出ません。答えを導き出すために、さまざまなことを体験し、時にはさらに失敗を重ねていくこともあるでしょう。しかし、その過程で一つずつ新しい知識を得て、いつしか、失敗しないやり方を見つけます。このとき、その人の頭の中には、そのやり方だけではなく、『どうしてそのやり方だと失敗しないのか』という因果関係がしっかりと刻み込まれているはずです。だから、もし予期せぬことが起きたとしても、『どうしてこんなことが起きたのか』を冷静に考え、対処することができるでしょう。だからこそ、真の科学的理解は、失敗を通じてしか得ることができないと言えるのです」※1。失敗学の提唱者である畑村洋太郎氏の言葉ですが、畑村氏は、失敗をした際の「体感実感」も重要な要素として取り上げられています。人は失敗をした際、そのことに対する実感や反省をまず行います。その「体感実感」によって、新たな「知識」「経験」「思考」を身に着けることができ、延いてはそれが「真の科学的理解」に繋がるのだとおっしゃっているわけです。
「ピンチはチャンス」で私が重要視しているのはこの「体感実感」にあります。例えば、今回の福島第一原発の事故において、現在はこの失敗に対する実感と反省が市井には溢れ返っています。その「体感実感」によって、なぜこのような事故が起こったのかを猛省し、新たな思考と行動の発展に繋げていくことが必須となるはずです。しかしながら、人間は脳科学的にも物事を忘れる動物でもあります。明確で具体的な事故の検証や、新たなエネルギー政策を打ち出す等の対応策に対する道筋を今しっかりと確立していかなければ、この「体感実感」は時間とともに希釈され、この度の失敗は「真の科学的理解」にも全く繋がらないばかりか、福島県民の被爆体験は全く不毛に生かされることなく終始してしまいかねません。
つまり、「チャンス」の源泉である「ピンチ」は、時間軸に応じて希釈されると考えるべきでしょう。「ピンチ」には、“賞味期限”があるのです。その期限を過ぎてしまえば、それが「チャンス」に発展する確率がぐんと低下します。真摯に要因分析と対応策の検討を実践させる原動力としての「体感実感」が希薄化してしまうからです。
また今回の原発事故の要因分析としては、東京電力組織内部にばかり目を向けるのではなく、なぜ原発一辺倒のエネルギー政策が実施されてきたのか、そしてそれを傍観してきた多くのマスメディアの在り方や国民の意識に至るまで、広範に及ぶ検証が不可欠であると私は認識しております。畑村氏は、2005年の4月に起きた「JR福知山線脱線事故」の本質的な原因を「利便性を追求する社会にこそ責任はある」※2と断じていらっしゃいます。原子力政策に偏向したエネルギー政策を取らざるを得なくしてきた数多ある要因を洗いざらい俎上に載せて、要因分析を行う必要性を実感しているところです。
如上のように、「ピンチ」は間違いなく「チャンス」に繋がる貴重な源泉であることは偽らざる事実です。しかし、「ピンチ」後直ぐに、要因分析と対応策の策定を実施しなければ、その「ピンチ」は「ピンチ」のまま流されていく可能性を秘めていると言えます。少なくとも「体感実感」の十分存在する期間に、要因分析と対応策の検討が求められるのでしょう。当法人でも、苦情や事故は法人の“宝”であると認識し、要因分析と対応策の検討を非常に丁寧に実施しているところです。が、どうやらその際の要諦は、その日に起こった苦情や事故はその日のうちに要因分析と対応策の検討を実施することにあるようです。
※1 畑村 洋太郎氏『だから失敗は起こる』NHK出版P.10-11 2006年8月
※2 畑村 洋太郎氏『だから失敗は起こる』NHK出版P.80 2006年8月
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