法人に「地域の絆」を名づけて早5年が経っている昨今です。絆を大切に、人と人との恕リがりを大切に、ネットワークを大切に、日々実践をしてきたつもりです。「つもり」と書いたのは、それが真になされていなかった猛省から来ています。過日お世話になった恩人より、大変貴重なご助言を頂きその「猛省」が生まれたのです。
問題は、その絆の在り方にありました。地域の絆は、開設から現在に至るまで多くの理解・協力者があってここまでやって来ることが出来ました。振り返ると、実に多くの理解者のご支援を賜り、苦難を乗り越えても来れたものです。その時々にお世話になった方々には、心より深く感謝し、その思いをぶつけても参りました。しかし、平素になるとどうでしょうか?お中元やお歳暮等のやり取り等に終始し、足を運ぶことが少なくなっているのが事実です。
困った時だけ協力を要請し、平素になれば疎遠になる関係性に一体何の価値があるのでしょうか。自身の目先の利益のためだけに繋がる関係性に、その力が発揮される日が来るのでしょうか。そうではないと、恩人は示唆して下さったのです。
公益と私益は繋がっている。これは自身の座右の銘にも成りつつある言葉ですが、そのことの意味を私は真に理解できていなかったようです。目先の利益が必要な際に、窮した際に、繋がり、それ以外は疎遠になるネットワークや絆に何の価値を見出すことができるのでしょうか。また、そのような相手に対して、連携先は協力的になれるのでしょうか。考えれば、当然のことなのですが、その当然の事すら若輩は理解していなかったようです。
困った時や、目先の利益を追求する際にのみ繋がるネットワークや絆は、何ら力を擁していないと見るべきです。自身が窮した時だけ、利益を求める時にだけ、連携を求めてくる相手を信用することが出来ますか。そうではなく、平素より、日常的な繋がりや絆こそが大切なのではないでしょうか。そこで培われた信頼関係こそが財産や資源となるのでしょう。公益と私益は繋がっているのですから、性急に見返りとしての私益を求めるのではなく、公益のために黙々と行動を取れば良いのでしょう。そして、それが私益に繋がるのはずっとずっと後のことなのです。
今自身にそのように語りかけている最中です。
この記事にコメントする