経営者になるに当たって、周囲より、孔子の「論語」を読むことを勧められ、何度か手に取って読んでいます。社会福祉専門職として、これからの日本の社会構築と言ったマクロな視点に拠って立てば、この「論語」は然程重要な位置には立っていないと若輩ながら認識しているところです。それでも、一経営者として、一専門職として、自身を律し、成長へと導くには有効な示唆が多分にあると自覚し、時折手にするようにしています。
「教育とは、理想を語ることである」私の周囲にいらっしゃる古参の専門職の言葉ですが、そのことを胸に、私はことあるごとに理想を語るよう努めています。当法人においては職員教育のために、そして、教育機関に出入りする際は学生に対する教育のために。また、当法人では、理想が語れる職場風土を大切にしています。
何時も何処でも述べていることですが、今出来ていないことが問題でははく、それを目指そうとしないことが問題だと毎日考えています。恥ずかしいことは、今出来ていないことではなく、今出来ていないことに居直ったり、開き直ったりして、それを改善しようとしないその姿勢にあります。逆に言えば、今出来ていなくとも、そこに悩み、省みて、その改善に日々努める姿勢は尊いものだと思っています。
ですので、理想や理念を語ることは非常に大切な営みと言えます。但し敢えて気を付けないといけないと思っている事柄が次の件に含まれています。
「論語 憲問 第十四
子曰わく、その言のこれ怍じざるは、則ちこれを為すに難し。
【通解】
先生はおっしゃった。
『自分の口にした臆面もない広言をはずかしいと思わないようでは、広言したことを実行するのは難しい』※。
つまり、理想や理念を語るだけで、それが実現できたと錯覚しては本末転倒ではないかと。法人内の職員教育や、教育機関内の講義において理想を語る際、出来ていない現実を顧みながら、些かの不安や恥ずかしさを覚える自分が存在します。余りにも崇高な理念や理想の前に、本当に実現できるのだろうかと言った不安や、現実とのギャップによる恥ずかしさを感じるのは否めない事実です。しかし、それでも、率先垂範の姿勢で、弛み無くそれを語り、実践する姿勢を示していこうと努めています。トップがそれを示せない様では、経営理念を遂行することも、またそれに近づくことすら儘ならないと認識しているからです。
ただここで大事になってくるのは、出来ていない現状から目を背けないことにあります。現状における課題や弱みを真摯に受け止め、その要因分析と対策を一つ一つ丁寧に積み上げて行く姿勢が求められるのでしょう。出来ていないことを自覚せずして、夢に近づくことは出来ません。そして、出来ていない現状を悩み、時には恥じる気持ちがあればこそ、対応策と改善点が見えてくるはずです。
理想を語って恥ずかしく思ったり、不安を感じることは大切な営みです。それは、出来ていない今の現状をしっかりと認識できているからでもあります。また、現状の課題や弱みの把握なくして、理想に近づくことは出来ません。
出来ていないことを自覚し、現状の課題と弱みに向き合うことは、理想や理念に向かって歩み出す最初の第一歩なのかも知れません。
※野村克也氏『野村の実践「論語」』小学館P.60 2010年11月
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