首都圏を車窓から眺めながらいつも思うことがあります。数十年前に建てられた高層ビルやマンションの何と多い事か。そして、これらの膨大な建造物はあと何十年健全に聳えていられるのだろうか。そう思うと、島嶼部に架かるたった一本しかない橋を行き交う車輌を眺めながら、また、365日休むことなく一日数十往復を繰り返す新幹線の橋脚を見て、この状態をあと何年健全に維持することが出来るのか地方においても不安な思いに駆られながら生活を送っていました。高度経済成長期以降、その減退が続いている今でも、その成長戦略が謳われ、新しいものが造られ続けている昨今です。しかし、これから数十年における当面の課題は、今まで安易に造り続けてきたモノをいかに維持するのか。また、それを如何に再構築するのか。またそのための費用は如何ほどなのか。と言ったことと真摯に向き合うことが避けられそうにもありません。そのことを前提に、未来永劫続く建造物はあり得ないことを前提に、いつどの程度の費用を要して修繕・改築を図るのかを考えながら、新たな建造をすることが求められると思われますし、建造コストが高くとも極力永く維持が出来る建造物の創出を検討することも不可欠となるでしょう。
新たに造る時代から、維持する、改築する時代に突入しているのだと認識しております。建造に関して全くの素人の私の直截的な思いを吐露させて頂きましたが、そんな時代なのに、リニアモーターカー然り、次々と新しいものを造り続ける社会に疑問を抱いております。
いみじくも、中央道・笹子トンネル(山梨県)で天井板崩落の事故が発生しました。まさに、建造物の維持・改築の課題が浮き彫りになった象徴的な事故であると捉えています。実は人間は、自らが建造したそれが、厳密に何年維持することが可能であり、その後どのような改築方法を取れば現在の状況を末永く維持できるのかについて明確な答えを持っていないのではないでしょうか。人体実験と言う実体験を通して、これから人類は経験を重ねていくようにも見受けられます。
福島第一原発の事故においても「想定外」という言葉が流行りました。しかし、そもそも人間に「想定できる」ものは極僅かであり、常に「想定外」が普遍化していることを自覚すべきではないでしょうか。であれば、恐らくは「想定外」などという、言うも無知さをさらけ出す自明の言葉を発することもありますまい。10代の頃より思うことですが、他生物に比べて人間は賢くも優秀でもないと思っていました。このまま環境破壊を繰り返せば、恐らくは恐竜よりも短命に終わることを考えると、少なくとも他生物よりも劣等な立場にあるのではないだろうかと考えずにはいられませんでした。
人間は自らが考えるほど有能ではない。その大前提に拠って立てば、成長戦略とは違った「豊かさ」を私たちは見つけられるのかも知れません。
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