第46回衆議院総選挙では、野党第一党の自民党が2005年郵政選挙以来の大勝を収めました。多くのマスコミの予想が見事的中しましたので、その意において、大きな驚きや感動は特にはありませんでした。
小選挙区制では、そこに死票が多く発生すること、組織票を保有している大規模政党に有利な展開となることは自明の理であり、民主党の支持率を鑑みれば、当然の結果に帰結したと言うことになります。また、比例票においては、自民党は前回大敗を帰した得票数よりも少ない得票数であった(今回1660万票であり、前回2009年の1880万票から220万票減少)ことを鑑みれば、この大勝が如何に民意を反映していないのかが伺えるでしょう。一部マスコミもこの点を取り上げており、選挙制度自体の問題が改めて浮き彫りになった選挙でもありました。また、今回の選挙は最高裁が「違憲状態」と判断した一票の格差の問題が解決されぬまま行われていますので、三権分立における司法の役割が今後強く問われることになるでしょう。
しかし、ここで一番私が引っかかっている事。それは、59%前後と言われる投票率の低さにあります。各県で軒並み最低の投票率が記録されていると報じられているのです。人々の政治離れがここ20年ほど取り沙汰されています。なぜ人々は政治に関心を示さないのか。周囲にいらっしゃる高い見識を持つ方ほど、投票行動を起こさない傾向があったりして驚かされることがあります。ブログや執筆物を拝見すると、あまりにも愚劣すぎるので白票を投ずると書かれているものも…。
小選挙区制という特性を鑑みて、各マスコミの予想がほぼ的中すると言うことは、組織票で多くが決まってしまったことを物語っているのではないでしょうか。組織票、つまりは大きな声を出すことの出来る一部の有権者の声が、この選挙の結果を体現していると言えます。この状況は真なる民主主義の姿ではありますまい。私たちは、マスコミが予測できない結果こそを、市井に示すべきでした。組織票では物語れない民衆の声を反映した結果を。
古くから言われている、「その国の国民は、自らの民度以上の政府を持つことは出来ない」ことは自明の理ではありますが、白票を投じる国民性もその民度を測る指標とすべきでしょう。選挙権は権利であると同時に、義務でもあるはずです。先進諸国の中には、投票率90%を切る選挙は全て無効として、何度もやり直しを行う所もあるようです。わが国においても、その様な法整備を行うべきではないでしょうか。愚劣だとその活動から距離を置いて、そのことに何の働きかけも行わなければ、その愚劣さは更に度し難いものへと凋落していくことでしょう。愚劣なものほど関わりを避けるべきではありません。
たかが一票と思うその行為が、私たちの生活の基を成す民主主義を頽廃させているのです。
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