政府主催の「主権回復・国際社会復帰を記念する式典」が4月28日東京で開かれました。同日同時刻に、沖縄県宜野湾市ではこれに抗議する集会が開かれています。4月28日を政府は「主権回復の日」と言い、沖縄では「屈辱の日」、奄美では「痛恨の日」とも言われているそうです。例えば、この4月28日という1日の意味についても立場が変わればその捉え方は180度違うわけです。もう一つ次の件を見てみましょう。「4・28を語る際、忘れてはならない視点がある。なぜ日本が占領されるに至ったのかということだ。言うまでもなく、日本が侵略戦争や植民地支配の過ちを犯し、その末に敗戦を迎えたという歴史である。占領下の7年間、日本は平和憲法を定め、軍国主義と決別して民主主義国として再出発することを内外に誓った。だからこそ、国際社会への復帰が認められたのではないか」※1。諸外国の人々からこの4月28日はどの様に映っているのかも、改めてその立場が異なれば捉え方が変わってきます。
前回叙述した「ひろしま菓子博2013」イベントにおける電動車いす拒否の問題においても、電動車いすを利用されている当事者の視点と、そうでは無い人々による視点によって問題の捉え方は異なっていると言えるでしょう。学校でいじめを受けている生徒と、そのような経験の無い生徒は、それぞれの立場から同じ学校の存在を大きく異なる捉え方をしているものと思われます。
100人いれば100通りの、1000人いれば1000通りの「普通」や「常識」がある訳ですから、それは何もおかしなことでは断じてないと皆さん感じていらっしゃることと思います。しかし、ここで注視したいのは、それでも特に我が国においては「普通」や「常識」が存在するということです。「普通でない」と言われると人格を否定された思いに駆られますし、「非常識」と言われれば馬鹿にされた思いになります。しかし、そもそも「普通」や「常識」は理論的にも物理的にも存在しないのです。
では、世間で言われている「普通」や「常識」は、どの視点であり、どの立場から見たそれなのかが非常に大切な要点となってきます。如上の例で言えば、政府の側であり、電動車いすを利用していない側、いじめを経験していない側となることは言うまでもありません。若輩は、ゲオルク=ジンメルの「排除されていない者は包括されている」※2との考えに賛意を持っていますので、その中間という存在は厳密には無いものと認識しております。つまり、「排除されていない者は」排除する側に「包括されている」との考えであり、それは、マザー=テレサの言うところの「愛の反対は憎しみではなく無関心」にも通づる考えに依拠してもおります。
要するに、「普通」や「常識」は、「排除する側」の視点に立っていると言えるのではないか。もしくは、もう少し穏やかな口調で言えば、多数派や大きな声を出すことのできる人々にとっての視点で構築されていると言えるのではないでしょうか。
社会は斯くの如く、異なる視点でみれば全く異なってその構造を捉えることが出来るものです。障がい者の立場から見た社会と、健常者の立場から見た社会の見え方が異なるように、視点が変われば同じものでも全く異なった“形”に見えるものです。「普通」や「常識」はそれを一方の角度からのみ捉えたものでしかなく、それは当然事実とは言えませんし、その一方的な角度から捉えたそれを過度に強調することによって事実からは大きく乖離していくことになるとも言えます。ですので、社会を捉える際には、「普通」や「常識」とは異なる視点で捉えなおす作業もしなければ、その捉え方は偏向していることになります。よく「偏っている」と人の考えを批判される方をお見受けしますが、その意において、その批判自体が大いに偏っているとも言えます。この世に「偏っていない」考えや意見など存在しないのですから。
と斯くの如く見てくれば、やはり改めて大きな疑問が湧いてきます。なぜ、私たちは「普通」や「常識」にこれ程までに捉われた生き方をしているのでしょうか。私を含めて、「普通」ではない、「常識」でないと非難されて悩んでおられる全ての方々にお伝えしたいと思います。この様な幻想に捉われて生きる必要が一体どこにあるのでしょうか。
人間所詮いつかは死にます。その限られた歳月の中で、悔いのない人生を送るには、この幻想から解き放たれた状態で、自身の思いと意見に耳を傾けそれを大事に育てていくことが最も有意義であるように思われます。もちろんその言動に責任を持つためにも、真の勉学に勤しむ必要があるのでしょう。
さあ、そのために今日も頑張ろうと思っています。
追記:その後、ひろしま菓子博2013においては、4月22日から電動車いすの全日受け入れが決まりました。事態は収拾されたかに見えますが、このような事がなぜ実施されたのか、問題提起の意味も含めて、前ブログはその当時の内容のまま掲載させて頂きます。
※1 「(社説)主権回復の日 過ちを総括してこそ」『朝日新聞』2013年4月29日
※2 ゲオルク=ジンメル著 居安正訳 『社会学 社会化の諸形式についての研究(上)』白水社 P.409 1999年10月
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