旧日本軍の『慰安婦』制度にかかる橋下徹氏(日本維新の会共同代表・大阪市長)の一連の発言問題。当初の発言に対して橋本氏は、「戦場の性の問題は、旧日本軍だけが抱えた問題ではありません。『戦時においては』『世界各国の軍が』女性を必要としていたのではないかと発言したところ、『私自身が』必要と考える、『私が』容認していると誤報されてしまいました」と、あれはメディアの「誤報」であったと断じました※1。同じく『沖縄タイムス』の社説では以下の行が見受けられます。
「橋下発言の引き金になったのは歴史認識をめぐる安倍晋三首相の一連の発言である。
安倍首相はこの際、旧日本軍の関与と強制性を認めた1993年の『河野談話』に対する考えをあらためて国民に明らかにすべきである。
橋下氏が共同代表を務める日本維新の会の国会議員らからは元『慰安婦』に対する暴言がやまない。
来日中の韓国人の元『慰安婦』2人が橋下氏との面談を政治利用されることを懸念して取りやめた。中山成彬代議士会長はツイッターで『化けの皮が剥がれるところだったのに残念』と書き込んだ。
平沼赳夫代表代行は講演で『従軍慰安婦と言われている人たちは「戦地売春婦」だ』と述べた。
西村真悟衆院議員(除名処分)は『日本には韓国人の売春婦がうようよいる』と発言した。
共同代表の石原慎太郎氏は『橋下氏は間違ったことは言っていない』といち早く擁護に回った。
聞くに堪えないような言葉が党幹部の口から次々に飛び出す。人権感覚、国際感覚が欠けていると言わざるを得ない」※1。
皆さんは、如上の政治家諸氏の発言について、どう思われるでしょうか。これらは、単なる誤報・失言がその要因としてあるとは私には思えません。一体何が本質的な問題なのか。意見は様々あることでしょう。彼らの特徴としては、常にその信条に愛国心を掲げていることがその共通項としてあるようです。しかし、私にも愛国心や愛民族心がありますが、このような発言は容認しがたい訳です。では、一体どこに本質的問題が潜んでいるのか。
要するに「愛」の捉え方そのものに誤認があるのではないでしょうか。「愛する」とは、辞書などによれば「かけがえのないものとしてそれを心から大切にする」とあります。例えば、皆さんの会社に「愛社」精神旺盛な社員の方々がいて、その人たちがライバル企業に対してその人権を蹂躙するに相応しいほどの言論攻撃を公衆の面前で仕掛けたとしたらどう思われるでしょうか。それは、本当に会社を「愛する」言動なのか、疑わしく思うことでしょう。結果論から言えば、それはむしろ逆ではないでしょうか。つまり、会社の恥を世間に晒していることになる。
よって、「愛社」精神を対外に主張するには、自社の利益だけに先鋭化した言動ではなく、多くの他社の利益にも慮った言動を発することこそが最も有効であると言えます。つまり、我が物顔で仕事をするのではなく、社会全体の利益、即ち真の公益を念頭に置きながら行動できる社員こそが真の愛社精神を有していると言えるのでしょう。
「愛する」その言動が、独りよがりなものであればあるほど、それは、本来の意味とは逆に機能することになり、他者への尊敬の念を持つことによってこそ、本来の意味たる実践が出来るようになるということなのでしょう。
これら一連の無恥なる発言を契機に、「愛する」ことについて、少し照れくささはあるものの、考えてみるこれは丁度良い機会になるのではないでしょうか。
※1 「社説[橋下氏会見]『不快感』だけが残った」『沖縄タイムス』2013年5月28日
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