組織から独立して事業を立ち上げ漸く7年の歳月が経とうとしています。斯様に一定の月日を経ながらも、当方における実践は依然過渡期にあり、まだまだ確たる成果を導き出すには至っていません。そんな中では有るものの、独立・起業を志す多くの人々に話をさせて頂く場面が続いています。話の場面は、講演であったり、直接相談によるものであったりします。話を聞いて下さる方々の多くは、既存の組織や機関では応えられぬ社会的ニーズに対応すべく独立への道を選択しようとされている方々であり、端的に捉えると程度の差こそあれ多くは社会の変革を意図されているとも言えそうです。既存の制度や組織では対応できない実践を行うことによって、社会的ニーズに応えて行く、延いては、その様な社会的ニーズに応え得る社会へと変革していくことを目的としているケースが多く見受けられるのです。
その様な場において、実は7年前から全く同様のお話をさせて頂いている事柄があります。それは、実践家が行う社会変革の方法は、大別すれば2つに分けることができるというものです。その内1つは、独立・起業によるものであり、無いものを嘆くより創れば良いという発想に依拠しているものと思われます。目指すべき社会構築に接近する方法を既存の制度や組織・機関では採ることが出来ない。よって、無いのであれば、自らがその様な組織・機関を創設し、延いてはその実践の中で制度を揺るがしていく。その様な発想から端を発するものと言えるのではないでしょうか。そして、もう一つは、既存の制度や組織・機関の中に居座りながら、その中に敢えて自身を据えた上で、制度や組織・機関を揺さぶって変革していくというものです。自らが理想とする制度や組織・機関を、組織を飛び出して自らが創造するのではなく、理想とは言い難い既存の枠組みの中に敢えて自らの身を置き、その仕組みを内から変えて行くという発想が後者になります。そして、ここで最も重要なのは後者であると説明しているのです。自身が前者の道を取っている訳ですから、何とも無責任で且つ説得力に欠ける説明であり、よって、話を聞いて下さる方の多くは若干驚愕される傾向にあります。
既存の大きな制度や組織・機関の枠組みから飛び出し、新たな取り組みを生み出すこと、その様な小さな実践を増やしていくことは社会を変革する有効な方法であることは言うまでもありません。それを信じるからこそ、自身も独立・起業を試みました。しかし、小さな実践を沢山構築していくよりも、やはり、既存の大きな制度・組織の枠組みの中に居座り続けて、内部からじわりじわりとそれを変革していくことこそが、最も有効な方法ではないかと考えているのです。自身がその最も有効と思われる方法ではない前者を選択した理由は、自身の性格・嗜好に因るところが大きかったように思われます。敷かれたレールの上を上手く走ることが出来ない拡散性の個性が強い自身にとっては、前者の方法の方がより自身の能力を活かすことが出来るのではないかと勝手に判断したに過ぎません。よって、自身の個性が後者に適していれば、恐らくは後者の道を選んだことでしょう。
得てして、何らかの形で社会変革を志す人々は、既存の組織においては“手に余る”人々であることが多いようです。もう少し直言すれば、組織においては“歓迎されぬ”人々であるのでしょう。よって、その様な人々が組織を飛び出すこと自体、当の組織では大変“感謝”“歓迎”されると言うことになります。そして、その人々が、組織を飛び出し細切れとなって小さな実践を各地で積み上げたところで、果たして、社会変革を促進する大きな力にそれがなり得るのか少々疑わしく思うのです。
「君、地獄への道には善意が敷き詰められている」(サミュエル=ジョンソン氏)とは有名な件ですが、近視眼的な「正しい選択」が「正しい結果」を導き出すとは言えないと日々考えています。つまり、実践家に求められているのは、常に結果であると。自らが信じる「正しい結果」に近づけるために、その方法は数多あるわけで、方法にまでも「正しさ」を求める必要は無いのではないかと考える訳です。
この国が暮らしにくいからといった理由で、外国に移住される方々がいらっしゃいます。しかし、それで根本的問題が解決するわけではありません。どうせ結果が見えている、また良い選択肢が見つからないとの理由で選挙権を行使しない人々がいます。その悪循環が、今の政治を規定しているのではないでしょうか。法人税が高いので、企業が海外に移転するとのことですが、その様な社会的責任や愛民族心・愛国心の無い企業が海外に流出し成功を収めるとは考え難いのではないでしょうか。
アマルティア=セン氏もグローバル化を家庭に喩えて次のように述べています。「たとえて言うなら、家庭内の取り決めが女性にとってひどく差別的であると議論する場面で、家庭などないほうが女性はまともに暮らせる、と主張する必要はありません。その取り決めでは、利益の配分がきわめて不平等であることを示せばいいのです」※1。つまり、問題となっているのはグローバル化そのものではなく、その中にある制度的枠組みであり、その不公平さにあると述べているようです。
思想や理論の相違から、その国や組織から距離を置くこと自体は難しい事ではありません。しかしながら、社会変革を志す者が孤高の状況にあってはそれは本末転倒であると言えます。私たちは、煩わしいものにほど距離を置いてはなりません。意見や理論の相違があっても、大局観をもって共通の価値観を相互に携えながら、断絶することなくそこに関わり続ける必要があります。その様な忍耐のいる地道な実践の積み重ねこそが社会の変化を促進させていくのだと信じるからです。
実践方法としての社会変革には2つの視点があるとのことでしたが、実は独立・起業の方法を選択したとしても、組織からは自由になれても、グローバルな社会からは自由にはなり得ません。人は皆、社会化されて暮らしている訳ですからこれは自明の理です。ましてや、理想の社会構築を目指す、そのための社会変革を促進する立場にある者が、その社会から距離を置くことなどは大よそ意味を有しません。前者の選択者であれ、後者の選択者であっても、社会構造の中で、その制約を多分に受け、そのことを実感し向き合いながら、社会変革を促進していくことは全くもって共通の視点となることでしょう。その上で、後者の重要性についていつも触れるのは、社会変革は綺麗ごとではないと言うことに尽きます。特に、クライエントの側に立った実践を展開する私たちソーシャルワーカーの社会変革は、相当な忍耐と妥協を有する作業になることは想像に難しくはありません。少数派の側から社会を変革していく訳ですから、こちらの言い分を通すためにはその何倍もの妥協を繰り返さなければ恐らく実現などしますまい。それでも、1つの言い分を通し、社会を変革させることが出来たとすればこれほど素晴らしいことは無いと自身は考えます。屈辱的とも言える妥協を繰り返しながら、それを忍耐をもって乗り越えて行く、その中で僅かな変化を積み重ねて行く。また、それを実践するために重要なことは、常に大局観を持って共通の理念を模索し連携できる仲間を見出すこと。これら、一見地味にも思われる地道な実践を重ねて行く帰結として社会変革があることを強く認識すべきではないでしょうか。
独立・起業し、派手な実践を重ねるだけでは、真なる社会変革の促進は成されません。独立・起業の道を選ぼうとも、既存の組織に居座り続けようとも、私たちは変革を求める現下の社会と距離を置いてはなりません。特に、独立・起業さえすれば、自らの理想的実践が貫徹できると言う訳では断じてありません。独立・起業しようとも、信念を持って、社会変革を迫ろうとすればするほど、多くの制約を受け、妥協を繰り返す中、忍耐と戦略をもって僅かな変化を積み重ねて行くことしか出来ません。しかし、社会の変革とは斯様にある種非常に地味に成されるものなのでしょう。これに関しては、独立・起業した者の答弁ですので、若干説得力があるものと言えそうです。
※1 著:アマルティア=セン訳:東郷えりか『人間の安全保障』集英社新書P.57 2011年10月
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