「通って、泊まれて、家にもきてくれる」「住み慣れた家で24時間365日の安心」「臨機応変な対応、自立支援、医療の安心」特定非営利活動法人 地域の絆

Googleサイト内検索
NPO法人 地域の絆

NPO法人 地域の絆

中島康晴

地域の絆 代表理事 中島康晴

大同連合の秋

2013/09/14 19:16:30  社会全般

 例えば我がまち福山では、鞆の浦の埋め立て架橋の是非を巡って住民同士が対立関係に陥っています。福島の原発事故においても、「県外退避」組と「県内在留」組とで対立関係が見られると言いますし、原発立地地域内における再稼働に対する推進派と反対派の対立構造が取り沙汰されています。沖縄における基地問題も然りです。また、我らが社会福祉分野で考えると、障がいのある当事者団体同士が対立することもありますし、専門職団体同士が対立することも見受けられます。このような事例は、地域性や分野に関係なく枚挙に遑がないほど挙げることが出来ます。

 もちろん、これらは人々の生活に直結する重要な問題であるため、そこに意見の齟齬や対立が起こり得ることは自明の理だと言えます。皆自らの生活を守るために、それだけ必死に生きていることの証とも言えるでしょう。しかし、例えば、如上で挙げた対立構造を銘々取り上げて考えた際、これらは本当に対立すべくその関係に陥っているのか、といった疑念を「普通」に抱いてしまいます。なぜ、本来は利益を共有すべき人々が対立しなければならないのか。そこに大きな疑問を抱かざるを得ない訳です。

 本来は手を繋ぐべき人々が対立構造に陥る要因は素人ながら数点確認することが出来ます。一つは、市場原理下において、個人の幸福が自由競争に委ねられていること、二つ目に、同じ社会を構成する人々の利益が互いにどこかで繋がっていることが実感できないこと、すなわち、大局観を持って共通の利益を描くことが出来ないでいること、最後に、斯様な様相を構築するために、そこに社会的力動が作用しているということではないかと考えています。一つ目は、ここで深く論じるまでもありますまい。社会保障制度改革国民会議報告書でも分かるように、社会保障も今や市場原理に晒されている訳ですから、人々は、自分の生活を「自己責任」において守ることが強要されるため、他者の生活に慮っている余裕もなく、利己的にならざるを得ないというものです。実は、二つ目が重要で、その中でも、私たちには実は共通の利益があるにも拘わらず、その下に人々が連携することが出来ないことに端を発したものと言えます。誰かの哀しみは、いつかそれが自らの哀しみに繋がること、誰かの喜びはいつかそれが私たちの幸せに繋がっていることに多くの人々が実感的に気づいていないことに問題があるのではないでしょうか。そのためには常に、大局観を持って、共通の利益、即ち「人間の利益」(井手英策氏)を描いて人々が連携を図る必要があります。最後の問題ですが、それは、時に意図的に、時に無意識に社会環境から仕掛けられていることがあると言うことにも注視が必要です。冒頭の対立構造にあって、一番トクをする人々の面々を思い起こせば、これは大変わかりやすい。この辺りは、世界史的にも真なる知識人たちによって、搾取や侵略の方法として、それを「する側」が、それを「される側」を分断させる手段として対立構造を意図的に活用してきたことを考えれば、何も想像に難しくない問題かと思われます。しかしながら、たとえそうではあっても、だからと言って、そこで新たな対立構造を浮き彫りにしようとは考えないのが若輩の立場であります。これは、お互いの立場の違いを明確にしながらも、大局論で折り合いをつけながらでなければ物事は前には進まないことを経験則上学んできた若輩なりの物の捉え方でもあるのです。

 大局観や、共通の利益、即ち「人間の利益」(井手英策氏)を人々が共有するためには何が必要なのでしょうか。昨今自らの回想を通して、あることに気づかされました。それは、多様な人々に囲まれた豊かな社会環境との接点にあるのではないかと思われます。私は、幼年時代より、障がいのある子どもたちとの接点が身近にありました。また、小学校時代においては、民間の体操教室に通っていたのですが、そこでも障がいのある子どもたちとの日常的な関わりがあったのです。共に跳び箱を飛んだり、跳び箱の飛ぶ順番を伝えたり、先に飛んで後から飛んでもらったり…。そして、そこで彼ら友人のご両親が、その友人の将来を憂いで、貯金をするためにバザーを催したり、内職をされたりしている姿も目の当たりにしました。私にとってそれはごく自然なことでした。ですので、中学校に進学した際、障がいのある友人に対して攻撃的な友人がいれば、そこに強い憤りを感じましたし、そのことで喧々諤々も喧嘩もしたものです。

 ところが、今の時代はどうでしょうか。教育場面においても、社会全般においても、例えば、障がいのある方の生活がどれほど多くの方に、日常的に触れ合う機会があるのでしょうか。また、福島における原発事故という人災に遭われた人々の生活や、沖縄の基地周辺にお住いの人々の生活などにも触れる機会が如何ほどあるのでしょうか。多様性を認める社会を構築し、理念を共有するためには、まずは社会や地域において、多様な人々が暮らしていることを認識する必要があると自身は考えます。その認識なくして、私たちは多様な人々と手を繋ぐことは出来ないのでしょう。多様性を認める社会を阻害する差別や偏見といった対立構造は、多様な関わりのないところで生まれているのではないでしょうか。問題の捉え方は、その体験によって創造される。問題の捉え方が、その人の言動を規定する。そのように考えれば、多様な人々との接点を有する体験が、人々が共通の利益を共有し、その実現のために手と手を取り合う実践にそれが繋がるのではないかと淡い期待を抱いているものです。

 ですので、当法人の運営する地域交流事業において、クライエントの姿を見て頂き、その生活に触れて頂くことを重要視しているのはこのためです。また、その生活を側面から支えている私たち専門職の仕事にも触れて頂くことを大切にしているのです。

 対立構造からは何も生まれない。昔は違いましたが、今はそう思っています。でも、私たちソーシャルワーカーは、クライエントや少数派の立場を支持します。それでも、対立構造に陥ってはいけないと。では、何をすればよいのか。それは、少数派たる私たちの存在と社会に示していくことにあるのではないかと考えます。ここに我々がいる事を、決して隠すことなく、その存在をしっかりと社会に示していく、同じ利益を有する社会の構成員として我々があることを。その存在までを否定する権利は誰にもないのですから。

 今のような時代だからこそ、私たちは手を取り合う必要があります。その手を取り合うために、私たちは、共通する利益を互いに探し求める必要があります。もちろん、避けられない対立もあることでしょう。しかし、私たちはその過程を重要視しながらも、共通の利益を導き出す作業を惜しむべきではありません。そのような、小さな実践の積み重ねこそが、社会を変革する確たる一歩となることを信じるものです。



コメント

コメントはありません
中島康晴 特定非営利活動法人 地域の絆 代表理事
1973年10月6日生まれ。大学では、八木晃介先生(花園大学教授・元毎日新聞記者)の下、社会学を中心に社会福祉学を学ぶ。巷で言われる「常識」「普通」に対しては、いつも猜疑心を持っている。1億2千万人の客観性などあり得ない事実を鑑みると、「普通」や「常識」は誰にとってのそれであるのか、常に思いを巡らせておく必要性を感じる。いわゆる少数派の側から常に社会を捉え、社会の変化を促すことが、実は誰もが自分らしく安心して暮らせる社会の構築に繋がると信じている。
主な職歴は、デイサービスセンター生活相談員、老人保健施設介護職リーダー、デイサービス・グループホーム管理者。福祉専門職がまちづくりに関与していく実践の必要性を感じ、2006年2月20日特定非営利活動法人地域の絆を設立。学生時代に参加した市民運動「市民の絆」の名前をヒントに命名。
カテゴリ
<<2013年09月>>
MonTueWebThuFriSatSun
1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
30
最新エントリ
最新コメント
ブログリスト
当サイトで使用されている全ての画像および文章を無断で複製・転載・販売することを堅く禁じます。
すべての内容は日本の著作権法及び国際条約によって保護を受けています。
Copyright 特定非営利活動法人 地域の絆 All Rights Reserved.

▲