「『サ高住』とともに、政府の成長戦略や競争力会議で議論されている『ヘルスケアリート』の創設でも、役所の思惑が先行する。
『高齢者住宅にこんなにお金に群がる人がいるのか。ヘルスケア施設とは何か。国交省が考えたのか。厚労省は認めているのか』
『REIT(リート)(不動産投資信託)』と呼ばれる金融商品をつかって施設整備の資金を投資家から集めようという『ヘルスケア施設供給促進のための不動産証券化手法活用の検討委員会』の昨秋の初会合。委員の一人で、医療法人博愛会の菅間博理事長の発言に、室内の空気がピンと張った」※1。
社会保障の領域にも市場原理の波が瀰漫的に広がりつつある昨今。税金や社会保険料を主たる財源とした事業の利益が、法人や職員ではなく株主や投資家に行き渡りつつある象徴的な記事に目を留めました。人々の生活と生命に係る領域を公的責任ではなく、何処まで自助・互助そして、市場に頼ろうというのでしょうか。今まさに社会保障制度の本質・根幹を揺るがす事態が起こっているのではないでしょうか。
中国・韓国・スウェーデンの福祉や介護に昨今触れてきましたが、その国の福祉や介護の様相は、当然にその社会構造の在り方に依るものです。つまり、国民が有する普遍的な価値規範に大きくその内容が規定されているということであって、その価値規範は社会構造や文化によって構築されているものです。これは尤も自明のことではありますが、それでも改めて考えれば、我が国における現下の社会保障の在り方ははやり社会構造全般における課題としてあることが確認できます。
1974年11月。私が生まれた丁度翌年に書かれた論文を引用しよう。「今のところ、空気はまだ完全には買い占められていない。たとえば、ある地域の空間に巨大なガラスかビニールが張られ、中の空気を『これはみんな俺のものだ』と主張する奴は現れていない。しかし、これは決して空想次元のものではないだろう。水や土地については、同じことが非常なスピードですすんでいるからだ」※2。今から40年前に書かれた本文の“予言”は見事に的中してしまいました。二酸化炭素は売買の対象となり、飲料水や浄水器に係る水も当然の如くお金で買わねばならぬものとなってしまいました。そもそも、土地や空、河川や海は一体誰のものなのでしょうか。福島第一原発事故で汚染されたそれらは、そこに住む住民や働く人々にすら十分な補償が成されぬままではありますが、万が一、その補償が成されていたとしてもそれで済む話ではないと自身は考えます。これらは、そこで暮らす人々だけのものではない。つまり、土地や空、海はやはり誰のものでもないのだと自身は考えます。事実、環境ホルモン然り、放射能汚染も潮の流れに乗り、生物の生態系と相俟って今後果てしなく蔓延していくことでしょう。やはり、誰のモノとも定義できぬモノなのでしょう。であるならば、それらは本来売買の対象とはなり得ぬはずです。所有者が明らかではないのですから。
昨今「デザイナーベビー」の報道を耳にしました。遺伝子解析技術を駆使して、親が望む特徴をもつ赤ちゃんをつくることの特許がアメリカで認められたのだとか。「青い目で足が速く、乳がんになるリスクが低い子ども」の“選別”が可能になるのだそうです※3。このまま定向進化すれば、人の個性や性格までも、生前に選別することが出来るようになるのではないでしょうか。科学技術の発展と市場化が相俟った帰結として、人々の生命や生活の領域にまで、優位的価値基準に基づいた画一化・効率化が望まれているのです。
話は変わって、インターネット販売大手企業が、書籍の定価をポイント還元することによって、再販売価格維持制度が揺らいでいる模様です。ご存知の通り、本制度は、出版物の多様性と、知へのアクセス保障、言論・表現の自由であったり、その個人・地域格差の是正を行うための最後の砦であり、そこが、市場原理によって崩壊することはあってはならぬことでしょう。学校教育現場においても、企業が望むべき人材の育成が中核的な位置を占めつつあります。本来の学校教育とは、多様性を認め、自らと価値観の異なる人々とどのように社会を構築していくのかを学ぶべきものであって、それは、企業が求める人材とは概ね相容れないものであったとしてもです。
同じように国家も企業とは異なります。こんなことを改めて叙述せねばならぬほどに市場原理はあらゆる分野に蔓延しているのではないでしょうか。政治における市場化も顕著な様相です。政治こそ、市場原理とは相まみえぬものなのでしょうが。先の参院選結果の主な要因として、「スピード感」と「効率化」を優先した有権者の意識を内田樹氏は挙げられています。「国民国家はおよそ孫子までの3代、『寿命百年』の生物を基準としておのれのふるまいの適否を判断する。『国家百年の計』とはそのことである。一方、株式会社の平均寿命ははるかに短い。今ある会社で20年後に存在するものがいくつあるかは、すでに私たちの想像の埒外である。だが、経営者はその短命生物の寿命を基準にして企業活動の適否を判断する。『短期的には持ち出しだが、長期的に見れば孫子の代に見返りがある』という政策は、国民国家にとっては十分な適切性を持っているが、株式会社にとってはそうではない」※4。
斯くの如き科学技術と市場原理が強調され、人文学などが衰退の一途にある均衡を欠いた構造下に我々の社会はあるのでしょう。その社会構造の影響を強く受けながら、私たちソーシャルワーカーの仕事があることを私たち自らがしっかりと認識をする必要があります。でなければ、地域包括ケアは、恐らく誤った形に発展していくことになりそうです。なぜなら、社会保障制度の本質が守られず、セーフティーネットの無い中で展開される互助や共助においては、そこに厳然とある格差を前に、社会保障を切望する人々とそうでは無い人々との間で対立の構造を生むことが想定されるからです。真なる地域包括ケアを推進するために、また、真に堅実な経済運営を行うためにも、社会保障制度は必要不可欠なものであり、それを市場に委ねることが、100年先の危機に直結することは誰もが分かっているはずです。
表題の「義なくして利なし」とは、恐らく古くから産業界の経営者の間で語られていたものなのでしょう。今ほど「義」が顧みられない時代だからこそ、立ち止まってこの「義」について考えてみたいと思いますし、市場原理が蔓延する構造下にて揺さぶられながらも、自らがそこから解放されずにいながらも、この「義」について考え抜きたいと切望する毎日です。
※1 西井泰之・松浦新・松田史朗「限界にっぽん 第5部 アベノミクスと雇用4 医師や介護スタッフ来ない」『朝日新聞』2013年10月21日
※2 本多勝一「侵略としての『開発』」『殺される側の論理』朝日文庫P.254 1992年9月
※3 『朝日新聞』2013年10月20日
「特許化されたのは、米国の個人向け遺伝子解析会社の大手「23アンドミー」(本社・米国カリフォルニア)の手法で、米特許商標庁が9月24日付で認めた。
同社はIT大手グーグルの共同設立者らが出資。2007年から、唾液(だえき)に含まれるDNAの遺伝子配列のわずかな違い(SNP)を分析して、アルツハイマー病や糖尿病など約120の病気のリスクのほか、目の色や筋肉のタイプなど計250項目を判定する事業を展開している。価格は99ドル(約1万円)で、利用者は50カ国以上、日本人を含め40万人を超えている。
今回、特許が認められたのは、これまでに得られた病気のリスクなど独自のデータや情報を利用する手法だ。具体的には、不妊クリニックや商業的バンクに保存されている精子や卵子の提供者と、利用者の遺伝情報をかけ合わせて解析する。利用者は『大腸がんリスクが低い』『青い目』など、望む子どもの特徴を示せば、提供者ごとに、子どもにそれぞれの特徴がどの程度表れるのか確率がはじき出される。利用者の希望を満たす度合いに基づき採点、点数の高い提供者を知ることができる。希望できる特徴には、身長や性格、寿命、酒の強さ、運動能力、病気の発症リスクなどがある」。
※4 内田 樹「寄稿 2013参院選 『複雑な解釈』」『朝日新聞』2013年7月23日
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