過日とある地域の公民館長と地域課題について議論をさせて頂く機会がありました。ここで紹介すべき要旨は以下の通りです。
―――基礎自治体の補助金をもらって、週に3日ほど住民主体で「何でも相談・支援」を行っている。ある高齢者から電話が入り、自宅の敷地から公道に飛び出して生えている植栽の剪定を頼まれた。頼まれる際、「幾らでやってもらえるのか?」と尋ねられた。これは自治体の補助金でやっていることなので、「無料でいいですよ。電動鋸の電気はそちらのコンセントから取らせてもらいますがね」と答えた。次の住民からは、自宅の電球を変えてもらいたいと依頼があった。電球の種類が多く、どの電球が適合するのか分からずに多くを買い込んでいる様子。数部屋分の電球が切れていたので、全て取り替えて家を出ようとすると、「幾ら払えば良いのか?」と尋ねられる。「無料でいいんですよ」と返答した。また、ある相談では、雨漏りがすると言われ自宅に伺うと、屋根の瓦がズレていたので早速直した。帰り際、「幾らですか」と聞かれたので、これに対しても「無料ですよ」と答えた。―――
もう何が言いたいのか、お分かりでしょう。社会のあらゆる分野に市場原理が導入されて以来、私たちの生活の営みの多くは全て金銭で解決できるかの如き様相を帯びています。例えば、地域連帯・連携の中で営まれた冠婚葬祭ですら、その全てが金銭で対応可能な世の中になっています。コンビニエンスストアに行けば、深夜でも弁当を買うことが出来ますし、また昨今では、店舗までわざわざ足を運ばずともインターネットで商品を注文すれば配送のサービスを受けることも可能です。
お金を払って買うものが多すぎる。若輩は思います。どんなことでもお金を払って済ませれば良い。斯様な社会の価値規範が、如上の地域住民の「幾らですか?」の精神に直結している様に思えるのです。でも、どうでしょうか。道路にはみ出した植栽の剪定や、電球の交換など、この様なことは少し昔であれば、隣近所の声掛けですぐに解決を果たしたことではないのでしょうか。地域住民同士の日々の会話や、その継続の上に培われてきた信頼関係があった時代。その関係性を礎に、斯くの如く些細な問題はお互いに声を掛け合うだけで解消されてきたのでしょう。その信頼に裏打ちされた支え合いを、お金で買おうとしているのが今の私たちの暮らしの有り様なのです。
科学の発展と利便性を甘受した私たちは、社会の市場原理化とそれが相俟って、信頼を礎にした暮らしではなく、金銭に依拠した暮らしを無意識のうちに選択してきました。金銭を支払えば何でも買えるという幻想が、人々の連帯・連携を阻んでいると改めて認識し得るお話ではないでしょうか。市場に過度なる依存をすることが、人間同士の信頼を阻害している。自身の目にはそう映ってなりません。
であるならば、金銭で購入すべき範囲をより限定的に捉えていくことが、人々に信頼と連携を醸成することにそれが繋がるのかも知れません。社会保障が現金給付であるよりは、現物給付の方が望ましいと若輩が考えるのもこの事と関連しています。また、社会保障に係る社会サービスを国民が自己負担(「応益負担」という名の現金)で購入することに異を唱えるのもこのためです。
今一度、自身の暮らしを見直してみようと思います。金銭で購入すべきものの範囲と、金銭を用いるべきではないその領域を。そこに、私たちが目指すべき地域や社会の在り方があるのかも知れません。
コメント
コメントはありません