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NPO法人 地域の絆

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中島康晴

地域の絆 代表理事 中島康晴

「荒廃する世界のなかで」の社会福祉

2014/08/13 17:40:36  社会福祉


 我が国の社会福祉施策はいま一つの岐路に立っている。私がこの様に考える理由は、生活保護法の改悪と生活困窮者自立支援法の創設・医療介護総合推進法の成立・社会福祉法人制度の改革等、これらは社会福祉制度と実践の双方を漸次あるべき方向へと揺り動かす変革であると認識するからです。私たち社会福祉実践家は、今その時々、目の前の制度の変更にだけに目を奪われていてよいものではありません。政府が、このひとつ一つの変革を堆積し、人々をどのような社会へと誘っているのかを検証する必要があるのです。なぜならば、現下の社会がどのような趨勢・構造にあるのか、その事を理解することなしに、真の社会福祉実践など成し得ないからです。政府がどのような社会をめざし、そして、いま私たちの社会がどのような構造下にあるのか、少し饒舌感はありますが、ソーシャルワーカーの立場から検証を試みます。

 著書『荒廃する世界のなかで』を記した故トニー=ジャット氏によれば、公的部門の民営化は、納税者たる国民全体からみれば非効率であると断じています※1。赤字経営の状態にある公的部門を民間に委託するためには、政府による「法外な値引き」やリスクの除去・軽減が不可欠であり、その結果として「国家が安く売れば、損をするのは国民全体」という構図になるからです。また、氏によれば、民営化それ自体が経済の長期成長の刺激となっていることを確認しながらも、そこで得られた富の分配は、納税者・消費者から民間企業の株式所有者へと逆累進的に再分配が進んでいると指摘しています。

 巷間でよく見かける例で言えば、佐賀県武雄市の図書館業務のTSUTAYAとスターバックスへの委託、同市における小学校の一部業務をさいたま市の学習塾花まる学習会に委託することなどはその代表例として挙げることが出来るでしょう。この武雄市の取り組みなどは、マスコミも先駆的な実践として賛意を持って報道しているのですが、実は、これらの実践が蔓延していけば、国民全体にとっては不利益に帰結することへの理解が必要です。

 更に氏は、政府は、これら事業の「所有権」を民間部門に移行することで、道徳的責任を放棄することができるとも述べています。イギリスを例に挙げ、政府から民間部門に委託された事業の内、最も急激に上昇したのが、高齢者・子ども・精神障がい者向けの施設ケアであり、その結果、企業の利益や配当を増やすためにサービスの質が最低限度まで下げられたと結論づけているのです。社会福祉実践において、この公的責任の所在の問題ははるかに重要です。例えば、横浜市介護支援専門員連絡協議会の調査によると、「地域包括支援センターに併設されていない居宅介護支援事業所の半数以上が、新規利用者の獲得に苦慮している」と報じられています※2。同協議会の意見にもあるように、問題なのは、地域包括支援センターの多くが自治体から民間事業者に委託されているという事実であり、「結果的に市が特定の民間事業者を優遇してしまっている形になっている点」にあります。民間は公益よりも、組織の利益を優先する。そこから連なるように、公平性を欠いた判断をすることになるという典型例としてこれは分かりやすい調査結果ではないでしょうか。そもそも長きに渡って公的部門で成されていた事業は、それなりの理由があって、その役割を公的機関に委ねてきたはずです。そこには、公的な責任の固守であり、公正なる統制の機能があったことを忘却すべきではありません。

 さて、政府が目指す、そして、現下の社会構造の一つの特徴が民営化・市場化であることは言うまでもないでしょう。しかし、ここで問題にしているのは、長年公的部門で運営されてきた事業を次々に民間部門へと移行することの弊害です。民間部門は、自らの存続をかけて、常に利益を追求し続ける組織です。仮に、赤字になれば、事業の撤退・撤廃を検討するのが自然の流れでしょう。しかし、従来公的部門で担われているものの殆どが、たとえ赤字になったとしても、その事業の運営を継続しなければならないものなのです。消防や警察が赤字になるから撤廃すべきだという人はいないでしょう。福島第一原発のいつ終焉するのかさえ、誰も分からない最重大事故の処理を、膨大な経費の垂れ流しに繋がるので今すぐやめた方が良いという人も当然いないはずです。この様に、教育や医療、福祉、防犯・防災、環境などの人々の生命と暮らしにかかる分野は、収益の見込みがなくとも政府がその責任において取り組むべき範疇にあります。ここまで読めばお分かりでしょうが…、この社会における大前提となる基を失して議論がなされていることが、現下の社会福祉制度と実践の大いなる課題であるし、この流れが加速度化する分岐点に私たちは立っているとの認識が冒頭の発言に繋がるのです。

 であればこそ、目下議論の渦中にある社会福祉法人制度改革についてもこの視座によって論点を整理すべきであると考えています。社会福祉法人が収益を目的化する傾向が強まったのは、2000年の社会福祉基礎構造改革を淵源としていることは当時現場にいた者の皮膚感覚として強く理解しているところです。それ以前は、自治体直営の施設・事業所と社会福祉法人がほぼ対等な形で、各地における社会福祉の発展のため協働体制がとられていました。「対等」というのは、例えば、公立の社会福祉施設と同等の待遇を確保する観点から職員の給与や退職金(社会福祉施設退職手当共済)について公務員水準を確保すべく公的資金が補填されていたことを指します。

 しかし、社会福祉基礎構造改革以後、特に介護保険制度の創設によって、民間部門の参入を政府が促進し、社会福祉法人と営利法人の競争が始まると、競争における公平性の議論が喚起されることになります。その結果、イコールフッティングという名のもとに、社会福祉法人が今まで受けていた如上の“恩恵”は全て廃止されて来たのです。イコールフッティングというのであれば、別に、優遇されていない側を優遇されている側に合わせるという発想があっても良いものだと思いますが、政府の方針には公的負担の軽減が根底にある訳ですから、そうはならなかったわけです。

 また、地域に根差した互いに顔の見える中小規模の社会福祉法人と自治体の関係も、基礎構造改革以前は、凭れ合い・馴れ合いの関係であるとの批判を有しながらも、しかし、そこには一定の信頼関係が成立していた様に感じていました。顔と顔の見える関係を地域に構築し、両者の関わりの機会が多分にあった当時は、その信頼関係こそが双方の活動においてより重要であったのだと認識しています。当時は、自治体とサービス提供機関には、信頼の関係に基づいた指導・監督と運営があったのだと考えるのです。それが、大手の営利法人や多種多様な法人の参入によって、自治体とサービス提供機関は上記の信頼関係を逸していきます。この結果、自治体は信頼に基づく指導・監督ではなく、不審を前提としたものにその方法を転換せざるを得なくなりました。

 斯くして、サービス提供機関に対する自治体のチェック機能は強化されてきたのです。この様に民営化と市場化は、行政に膨大なるチェック機能を強いる結果となり、更にその帰結として、社会的コストが高じることや、自治体とサービス提供機関における信頼関係に悪影響を及ぼしていることにも注視が必要です。であればこそ、本来は自主性・創造性の重んじられる社会福祉法人の社会貢献活動についても、政府が義務化を図る対象とせざるを得ないのでしょう。

 しかし、いくら自治体がチェック機能を強化したとしても、民間に委託している以上、細部に渡るまでその機能を敷衍していくことは不可能です。その例は、いま巷を騒がしている未届・有料老人ホームや泊りデイサービスの実態把握及び指導・監督の難しさにも見てとれます。以上の様に、民営化と市場化は、自治体とサービス提供機関との信頼関係をも揺るがし、この瑕疵を基盤としながら、自治体のチェック機能の強化とそれを忌避するサービス提供機関との軋轢や対立を一部招いているようにも見受けられます。

 かてて加えてもう一つ、論じておくべきことがあります。先のトニー=ジャット氏によれば、「公共セクター崩壊がもたらす衝撃的な結果の一つは、私たちは自分と他者との共通点を理解することが次第に困難になってしまった、ということ」だと述べています※3。つまり、民営化と市場化そして、グローバル化によって、公益と私益が繋がっているという人々の共通理解が形骸化していることに警鐘を鳴らしているのです。私たちが皆社会化されている以上、他者との関係の中で各々の暮らしが成り立っていることは自明の理でしょう。自らの喜びは誰かの喜びに連なり、誰かの悲しみはやがて自らの悲しみへと繋がっていることが、公益と私益が相互作用の関係にあると捉える所以であると認識しています。そして氏は、この共通理解の希薄化が、例えとして、バスや電車、駅等の街並みにおける色とデザインの統一化を妨げるに至った現状についても論じています。このことは、まちづくりや地域福祉実践においてはとても重要なことで、民営化と市場化が、これら私たちの実践の妨げになっていると受け止めることができるのです。民営化と市場化が、人々の共通理解の稀釈を図るものであれば、現下の社会福祉実践における地域福祉や地域包括ケアが困難を極めている現実の理由についてもおおよそ納得がいくのではないでしょうか。

 以上、私たちがいま、社会福祉施策の岐路に立っている旨論じてきました。私たちの社会は、公的部門が公的責任において担うべき事業についても民営化・市場化が顕著であり、その結果として、国民の全体性からみた非効率化を招いていると結論づけることができます。この「非効率化」は、経済的な非効率性も然る事ながら、人々の信頼関係やそれに纏わる共通理解の喪失、まちづくりにおける弊害に至るまで多岐に渡って悪影響を及ぼしているのです。これら社会構造を大局観を持って捉えた上で、社会福祉の制度や実践を今一度捉えなおす必要性を感じています。なぜ、このような自明の理を執拗に論じなければならないのかと言いますと、社会福祉分野の研究者と実践家は、この社会構造をとらえる力や視点を度外視ていている傾向が強いように感じているからです。

 もちろん、実践家である私たちは、如上の構造に注視しながらも日々目の前の困難と向き合う必要があります。実践家はその実践をとどめる訳にはいきません。では、私たちがこの流れの中にあって今できることは何でしょうか。

 私たちの社会では今、人々は他者との関わりに忌避感を抱いています。例えば、高い塀に囲われた保育園。これらは、不審者の侵入を防ぐためであり、子どもたちの遊び声たる“騒音”で地域住民に迷惑をかけないための設えです。地域で挨拶をしても黙殺され、大学の学食ではカウンター式の“お一人様席”が流行しているのだとか。この様に他者との関わりの機会を減退させて行けば、他者に対する無関心化が進みます。無関心で留まっておればまだ救われるのですが、これが定向進化すると、人々は、他者に対する不安や恐怖を抱くことになります。障がいのある人にどう接してよいか分からない、といったことや、認知症のある人が地域で問題を起こさないだろうか、といった疑問や不安を住民が提示することもあります。不安と恐怖が更に深化すれば、言わずもがな、そこには軋轢や対立が生じてきます。障がい者の施設開設に反対する住民運動などを耳にすることもまだまだ珍しくはないのです。これら一見面倒な他者との関わりを横目に、人々は他者との接点を更に忌避するようになるという悪循環の中に私たちの社会はあります。そして、このことは社会における民営化・市場化の仕組みと密接な関係があると私は捉えています。

 そのことを前提に、私たち実践家が成すべきことは、この負の循環を正の循環に戻していくことにあると言えるのではないでしょうか。それは、限定された空間たる地域の中で、多様な人々同士の直接的な関わり合いや接点を創出していく取り組みであるとも言えます。中でも重要なことは、地域から排他・排斥されている傾向にある私たちのクライエントと、地域住民との関わりと接点の機会を積極的に創り出していく実践であると確信しています。先ほどの例で言えば、保育園の外壁を敢えて取っ払い、子どもたちの暮らしと存在、職員の仕事ぶりを地域にひらいていくことこそが重要なのです。このことは、子どもたちと私たちの職務を、地域住民に対して潜在化させるのではなく、意図して可視化・顕在化させていく活動であるとも言えます。もちろん、その地域にひらく過程での地域住民との対話の堆積は不可欠ですが…。

 私は人間を信じています。多様な他者との関わりの体験を通して、人々は他者への理解と慮りができるようになるものと信じるのです。障がいのある人との直接的な関わりを通して、認知症のある人に対する支援への体験を通じて、障がいや認知症の問題を身近なものとして、延いては、自らの事として捉える力を人間は有しているのだと信じています。

 また、この様な体験的な学習こそが、人々の意識と行動を変えるものと理解しています。人々は体験を通じて、自らの意識を構成しているのです。であればこそ、体験こそがその社会と時代を構築しているとも言えるでしょう。戦争体験の希薄化したこの社会の様相を見れば、これはとても分かりやすいことではないでしょうか。そこから転じて、これら直接接点を有する他者への慮りを始めた人々は、直接関わりを持たない他者への理解を獲得することができるとも考えています。例えば、空間的に離れた沖縄や福島の人々に対して、また、時間的に巡り逢うことのできない次世代の子どもたちへと。

 もちろん、これら他者との関わりは容易なことではありません。私たちも様々な他者と向き合いながら、共通理解が中々進まないことがあります。無関心や無理解のみならず、時には対立や軋轢を感じる場面に遭遇する事も決して珍しくはありません。しかし、この様な“煩わしさ”を乗り越えなければ、私たちは他者との共通理解に近づくことはできないでしょう。この他者との関わりにおける忌避感と煩わしさこそが、私たち社会福祉実践家が乗り越えなければならない第一の障壁であると言えるし、この忌避感と煩わしさの中にこそ、冒頭より叙述してきた人々が嵌まりつつある陥穽からの出口が見えるはずです。

 上記のことからもやはり、私たちの実践は常に地域にひらかれたものでなければならないと言えます。クライエントの暮らしと存在、そして私たちの仕事を地域にひらいていく実践こそが、民営化と市場化に代表される社会福祉制度と実践の過ちを少しは緩和してくれるのではないかと信じているのです。


※1 著トニー=ジャット・訳森本醇『荒廃する世界のなかで-これからの「社会民主主義」を語ろう』みすず書房2011年2月PP.124-138
※2 『週刊高齢者住宅新聞』2014年5月28日
※3 著トニー=ジャット・訳森本醇『荒廃する世界のなかで-これからの「社会民主主義」を語ろう』みすず書房2011年2月PP.138-154



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中島康晴 特定非営利活動法人 地域の絆 代表理事
1973年10月6日生まれ。大学では、八木晃介先生(花園大学教授・元毎日新聞記者)の下、社会学を中心に社会福祉学を学ぶ。巷で言われる「常識」「普通」に対しては、いつも猜疑心を持っている。1億2千万人の客観性などあり得ない事実を鑑みると、「普通」や「常識」は誰にとってのそれであるのか、常に思いを巡らせておく必要性を感じる。いわゆる少数派の側から常に社会を捉え、社会の変化を促すことが、実は誰もが自分らしく安心して暮らせる社会の構築に繋がると信じている。
主な職歴は、デイサービスセンター生活相談員、老人保健施設介護職リーダー、デイサービス・グループホーム管理者。福祉専門職がまちづくりに関与していく実践の必要性を感じ、2006年2月20日特定非営利活動法人地域の絆を設立。学生時代に参加した市民運動「市民の絆」の名前をヒントに命名。
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