特に介護保険制度が創設されて以降、社会福祉サービスの多様化が顕著であります。これ自体は、歓迎されるべき事であり、クライエントの多様なニーズに応え得る良質な実践へと繋がるものと喜んでいる所です。しかし、中には思わず、首を傾げたくなるサービスも御見受けします。社会福祉施設を利用していることを近隣住民に知られたくないので、施設のステッカーを全て送迎車両から外した状態で来てもらいたいとの要望に対して、いわゆる福祉車両のそれが分からぬようステッカーを外して送迎をしている施設が数多あるようです。このことは、クライエントや家族のニーズに柔軟に対応したサービスと一部評されてもいるようですね。その為か、ノンステッカーの福祉車両を昨今よく目にします。
人々が社会で暮らす上で、そこには当然に様々な困難や課題が生じてきます。そんな時に、その理由如何によらず、最低限の生存権と尊厳の保障が成されているのが我が国であるはずです。つまり、医療も当然ながら、社会福祉サービスを受けることは国民の当然の権利としてある訳です。その当然の権利を行使するに当たって、人目を憚ってでしか、そのサービスの受給が出来ないことにこそ問題を感じずにはいられません。本人の意志だからと、サービス提供者は思っているのかも知れません。しかし、その本人の願いは、どのような社会的背景から生じているのかまで考えたのでしょうか。昔は根強く存在していた「福祉の世話になったら終わりだ」という意識が、社会の中で払拭されていないことがその背景にあると私は考えます。要するに、偏見のまなざしで見られるであろう人目があるからこそ、ステッカーを拒否するのであって、社会福祉サービスを受給するのは国民の当たり前の権利だと周囲が十分理解したまなざしで見るのであればステッカーの拒否などあり得ない訳です。
この様に考えれば、私たち社会福祉実践家が成すべきは、クライエントの暮らしに不可欠な社会福祉サービスをクライエントが人目を憚ることなく堂々と利用できる社会を構築することにこそあると言えます。社会福祉サービスの受給に対するスティグマを押されたままの状態で隠すのではなく、むしろ、そのスティグマを払拭するべく行動を起こす必要があるのではないでしょうか。であればこそ、私は考えます。福祉車両のステッカーは、むしろ、それが分かる様に大々的に貼っておけばよろしい。
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