本日は、大学院の集中講義を広島で受けました。「ソーシャルワーク特論」と言う科目です。
その中で、先生より、「私益」と「公益」についてのお話がありましたので、今日はこのことについて、チョットだけ掘り下げて考えてみようと思います。
たとえば、ボランティア活動を例に考えると、個人の社会的有用感や、充実感といった「私益」を前提に活動されている方がいたとします。また、最近ではボランティアのポイント制度を導入されている市町村や、法人もあります(地域の絆でも導入してます)ので、それが、ポイント獲得のための行為であったとしても、これは「私益」を目的とした活動と言えるかも知れません。こういった活動は、「私益」を目的としていながら、結果としては、社会に対する「公益」にも繋がっていると言えます。
また、「認知症の方が、自分らしく安心して暮らせるまちづくり」のための活動は、「公益」活動と言えますが、結果としては、「自分が認知症になっても、自分らしく安心して暮らせるまちづくり」に繋がっていきますので、それは「私益」に繋がる活動と言えるでしょう。
それもそのはず、人は、社会との関係性の中で生きているわけですから、「私益」と「公益」に相関性があるのは、自明の理かも知れません。
大切なのは、私たちひとり一人が、社会の中で相互に支え、支えられ生きていることを前提に、「私益」と「公益」はどこかで繋がっているんだと、自覚することにあるのではないでしょうか。
であるならば、福祉専門職は、それを具体的に可視化していくこと、例えば、障害者が安心して活動できる街は、子どもや、高齢者のみならず、健常者にとっても安心して活動できる街であることや、反面、障害者が自分らしく生きていけない社会は、健常者にとっても自分らしさを喪失しやすい社会であることを、伝えていくことが求められているのかも知れません。
また、個々にある「私益」の活動を、調整して、「公益」の活動に変換していくことや、その逆も然りです。地域の絆では、高齢者の方がボランティア活動に参加されていますが、参加者の充実感や、有用感のための活動を、職員が介入することで、例えば、清掃ボランティアから、子どもを対象にした習字教室の先生をしていただくことで、地域の子どもにとっても有益な、「公益」活動への変換がなされています。
孫引きになりますが、カール=マルクスが何と高校生時(1835年8月)、「職業の選択に当面する一青年の考察」という課題作文にて下記のように書いているそうです。高校生がこんな事を考えるなんて・・・。
「地位を選択する場合にわれわれを導くべき主な道しるべは、人類の福祉ということとわれわれ自身の完成ということである。この二つの利害は、お互いに敵対して闘うものであり、一方は他方を否定するはずのものであるというように考えるのは過りであって、人間の天性は、その時代の完成と福祉のために、人間が働く場合にはじめて自己の完成をも達成することが出来るようになっているものである、と考えるのが正しい。
もし人間が、自分のためだけを考えてことをなすならば、たとえ名のある学者、たいへん賢い人、すぐれた詩人ていどのものになることは出来ても、決して完成した、真に偉大な人間になることは出来まい」。