1月末日にかけて、『朝日新聞』では「欧州の安心」と題した3連載の記事が載っています。欧州における高齢者ケアの現状と課題に触れたものです。その中で、1月27日はフィンランドにおける地方ケアの状況が紹介されています。読み始めには、違和感を抱きながら拝読したのですが・・・。
「『いつまでも在宅で』は理想だが、家が点在し、介護職員の確保が難しい地方の町は、都市部とは異なった課題も多い。
高齢者向けのサービスセンターや施設などを一ヵ所に集中させることで、介護サービスの効率化と質の向上を目指す、フィンランドの地方自治体の取り組みを見た。(中略)」
在宅支援などの拠点となるサービスセンターに、介護が必要な老人ホーム(入所者36人)を併設。その周りに、認知症向けのサービスハウス(同12人)や介護度が低めの高齢者向けサービスハウス(同16人)、元気な人も入れる高齢者住宅(同61人)が配置されている。(中略)
(認知症向けのサービスハウス)は、12人の入居者に対して、7人の職員がいる。ゆったりとした雰囲気のなか、職員に見守られて、落ちついて暮らしている。
(ロッピ町)高齢者ケア課のシスコ・ハーペネン課長「高齢者のみなさんに『ここに来れば、必要なサービスがある』と思ってもらえることが大切」と、一極化の狙いを語る。(中略)
一方で、高齢者福祉で国が担うのは、国民年金などの所得保障政策だ。
高齢者が施設に入所した場合、利用料の個人負担は原則、所得の85%と定めている。収入に応じた額を納めながら、自由に使えるお金も手元に残す考えがある」(松浦祐子氏『朝日新聞』「欧州の安心 中」2010年1月27日)。
本ブログを読んでいただいている方には、「違和感」の意味がお分かりかと存じます。地域性における事情があるにせよ、高齢者だけを「一極化」して“集めて”なされるケアが、利用者の権利擁護の実践に繋がるのか、といった問題意識がここにあります。もともと地域社会には、老若男女多様な人間関係があり、その中にも、ひとり一人の住民にとっての関係性が存在します。その「関係性」こそが、その人の人生であり、生活の一部であることが認識されつつある昨今だからこそ、地域ケアが声高に叫ばれているのです。地域の中で培ってきた利用者ひとり一人の関係性を大切に、ケアの実践がなされることの重要性が認識されつつあります。中でも、日本においては共生型ケアの実践が顕著ですので、高齢者の「一極化」されたケアに対しては、私と同様に違和感を抱かれる方も多いのではないでしょうか。
しかし、本報告では、もう一つの側面を窺い知ることが出来ます。ケアの効率化の先に、「手厚い」ケアや、政策の存在が顕在化しているのです。効率化を図るために、高齢者に対する「一極化」ケアを実践し、その分高齢者に対して「手厚い」人員配置でケアにあたる姿勢や、政策において高齢者の所得保障を充実させている姿勢は、日本それとは雲泥の差ではないでしょうか。
日本においても、高齢者専用賃貸住宅と、小規模多機能型居宅介護・通所介護・訪問介護等の在宅サービスとの組み合わせにより、従来の在宅ケアよりも効率化にシフトした取り組みがなされていますが、効率化の帰結として、手厚い人員配置が行われている事例は全てではないにせよあまりお見受けできません。更に、従来の日本の社会福祉施策を鑑みると、効率化が図れるのであれば、介護報酬を下げるといった方策が打ち出される懸念も存在します。日本の社会福祉のあり方は、効率化を図って、法人レベルではそれを「計上利益」に繋げ、政策レベルでは公的負担の軽減を図ることに流れていくのであって、本報告に見るように、効率化の帰結としての、手厚いケアや、手厚い政策といった発想では断じてないことが理解されます。
実は、本報告は、そのようなことを示唆してくれているように「読む」ことができるのです。
高齢者ケアの「一極化」を図っているフィンランドですが、地域ケアの視点を担保するために以下のような取り組みがなされていることも、本報告では取り上げられています。
「ヘルシンキ近郊のベッドタウン、アスコラ町(人口約4700人)。ここも町役場近くに、老人ホームやサービスハウス、高齢者住宅などを集中させている。
正午近くになると、サービスセンター1階のレストランには、併設する施設に暮らす高齢者のほか、一般の市民がランチを食べにやってくる。高齢者に疎外感を感じさせないように、地域の人との交流の場をつくる、フィンランドではよく見かける工夫だ。
町高齢者ケア課のハンヌ・レイノ課長は言う。
『生まれ育った地域で、最期まで人間らしい生活ができるよう支援する。私たちはそれを大切にしています』」。