本日から第19回日本社会福祉士会全国大会が京都で開かれています。全国大会へは久しぶりの参加をさせて頂きましたが、その参加者数の多さに驚かされました。流石全国大会です。
多様な講師陣が登壇されましたが、最も印象に残ったのはやはり、湯浅誠氏の講演でした。湯浅氏の思想や立ち位置自体に元来共感を覚えている若輩ですので、お話の内容は全て腑に落ちるものでしたが、中でも以下の2点はなるほどと再認識をさせて頂くことができ、深く感謝しているところです。
一つ目は、夢を見るためには、頑張るためにはそのための条件の整備が必要であるというお話です。夢を見るためには、誰もが総じて、努力すれば夢や目標に到達できる可能性を担保する条件が必要なのだと言うことです。社会がそれをせずして、夢を見なさい、頑張りなさいと子どもに言うのは酷であるとおっしゃられていました。
いわゆる自己責任論に対する反論です。「女性が差別されるのは、女性の努力が足りないからだ。女性はもっと努力すべきだ」という理論をテレビで展開していた評論家が、厚生労働大臣になったことのある国です。自己責任論は、我が国の社会構造に根深く存在しているのではないでしょうか。障害者の生活の質が高まらないのは、障害者の努力が足りないからだ。母子家庭が生活苦なのは、簡単に離婚してしまったからだ。この様な少し頭を働かせば、その欺瞞性を見抜けることのできる理論が蔓延っているのではないでしょうか。
障害者や女性に圧倒的に不利な、社会構造を作っておいて、その生活の質が低いのは自らの努力が足りないからだと喝破する論理。そして、当事者及び社会全体がそのこと信じ、当事者のパワーレス状態が生じているのが社会福祉の現場なのだと私は認識しております。
もう一つは、制度の狭間にいる人たちの支援が出来ない現状に対して、その様な課題を解決していくことが社会福祉士の役割であること。制度の守り手だけになるのではなく、外を見て、ソーシャルワークの力を強め、社会に働きかけ、個人にも働きかける。ひとり一人の頑張れる条件をつくっていく役割が求められているのだとおっしゃられます。
そうです。私たちは、制度の守り手の立場を享受するのみがその使命ではないはずです。クライエントの側に立ち、その制度がクライエントの利益に繋がるよう適宜点検を行い、状況に応じて変更への提言を行うことがその仕事となるはずです。現実的には、基礎自治体等でなされているローカルルール程度のものは随時変更するよう提言することがその仕事となるのではないでしょうか。
法令遵守はもちろん重要ですが、そこに必要以上に縛られて硬直化した実践をするのではなく、時に制度やルールを変える提言を行っていくことが私たちにしか出来ぬ実践なのでしょう。その意味において、湯浅氏の実践はまさにソーシャルワークそのものでした。社会福祉士ではない、またその専門教育を受けていない湯浅氏がソーシャルワークの実践を行い、社会福祉士で、専門教育を受けている私たちがその実践を怠っているとするならば、これほど恥ずかしいことはありません。
問題なのは、その彼の話を聞いて、恥ずかしいと思えた参加者が何人いたのか、また、自らの実践とは少し違った分野の実践であると他人事に捉えてはいないか、にあるようです。話を聞いて、恥ずかしいと感じ、ソーシャルワークの役割に危機感を抱くことができなければ、私たちの実践に明日はありません。