6月8日(水)の22時25分~22時50分放送のNHK『仕事学のすすめ』(出演:川口淳一郎氏(「はやぶさ」プロジェクトマネージャー)・聞き手:勝間和代氏)を拝見しました。
ビールを片手にほろ酔い状態で、テレビのチャンネルをクルクル回していた際、終盤を拝見したのですが、そこではオリジナリティについての議論が展開されていました。
川口氏によれば、オリジナリティは文献等の他者からの情報からは生まれないのだそうです。オリジナリティを発揮させるためには、最低3ヵ月間他者の文献等に目を通さずに、他者の意見を聞かずに、自分の内にある思考を絞り出して構築する作業が必要なのだとか。入社したての若者にもそのことをまずは求めるのだそうです。
そこで一つの疑問が湧き上がってきました。では、文部科学省のカリキュラムに則った大学までの勉強は一体何だったのでしょうか?そもそも学びとは、社会をより良くするために、あらゆる人々が幸せになるために、そのための方策や理論を学ぶべきものでしょう。そこには一つの答えなどなく、創造性と独創性がその過程において、必要不可欠なのは自明の理です。つまり、創造性や独創性の無い学びなど、全く不毛なものだと私は認識しています。
であるにも拘らず、大学を卒業したての新卒者に創造性や独創性を改めて教育せねばならぬとは全く解せません。私が受けたニュアンスとしては、むしろ大学までに受けてきた教育の在り方を改めさせるため、そこから脱却させるために、川口氏はその様な指導を行っているのではないでしょうか。
であれば、文部科学省の教育下では、真に「有能」な人材は育成されないことになります。創造性や独創性こそが国際競争社会で生き残れる重要な指標であると私は考えています。ゼロから物事を生み出すことのできる力、既存の選択肢を時に全て却下し、新たな選択肢を構築する力、この様な力が組織や社会を動かすためには必要不可欠となるはずです。独創性や創造性とは、「普通」や「常識」、「公理」から脱却した新たな考えや理論を構築することだと私は認識しています。その為には、「普通」や「常識」に捉われない自身の考えや思いに真摯に耳を傾ける時間と機会が不可欠であることは言うまでもありません。少なくとも大学においては、そのような真なる勉強が行われるべきだと私は考えます。
もちろん偏差値教育下では、独創性や創造性が培われないことは常識的に言われていることだと認識しています。記憶をインプットし、アウトプットする能力を高める学習方法でしか、好成績を修めることができない代物ではないでしょうか。しかし、その似非勉強は大学入学時に終焉するものだと私は思っていました。
この度問題だと強く感じたことは、川口氏のお話をお伺いするに、その似非勉強がどうも大学のカリキュラムにまで浸透しているかも知れぬという事実でした。
自民族の誇りを持ち、国際社会での立ち位置を確立するべく人材は、記憶のインプットとアウトプットではまず育成出来ません。その意味において、今後現在の偏差値教育の在り方は変革を強く求められることになるでしょう。少なくとも、大学での教育は、自身の考えや思いに耳を傾け、そのことを確立するためのものでなければなりませんし、自分の考えや思いを他者に吐露し、その理論に一定の責任を持つことまで出来て始めて最低限の学びが成されたことになります。