東日本大震災から1年となる今日、政府主催の「追悼式」が東京(国立劇場)で開催されました。朝日新聞によれば、そこで野田総理は3つの誓いを立てられたそうです。
「一つ目は、被災地の復興を一日も早く、成し遂げることです。
今もなお、多くの方々が不自由な生活を余儀なくされています。そうした皆様の生活の再建を進めるとともに、生まれ育ったふるさとをより安全で、住みよい街として再生させようとする被災地の取り組みに最大限の支援を行ってまいります。
原発事故との戦いは続いています。福島を必ずや再生させ、美しいふるさとを取り戻すために全力を尽くします。
二つ目は、震災の教訓を未来に伝え、語り継いでいくことです。
自然災害が頻発する日本列島に生きる私たちは、大震災で得られた教訓や知見を、後世に伝承していかなければなりません。今般の教訓を踏まえた全国的な災害対策の強化を早急に進めてまいります。
三つ目は、私たちを取り結ぶ「助け合い」と「感謝」の心を忘れないことです。
被災地の復興には、これからも、震災発生直後と同様に、被災地以外の方々の支えが欠かせません。また、海外からの温かい支援に「恩返し」するためにも、国際社会への積極的な貢献に努めていかなければなりません。
我が国の繁栄を導いた先人たちは、危機のたびに、よりたくましく立ち上がってきました。私たちは、被災地の苦難の日々に寄り添いながら、共に手を携えて「復興を通じた日本の再生」という歴史的な使命を果たしてまいります」※1。その後総理は、首相官邸にて記者会見を開き、交付金配分の見直しや瓦礫の処理、原発再稼働の地元理解に向け先頭に立つこと等についてその決意を語られたそうです。
この日各政党が震災一年で談話を発表していますが、民主党はこの追悼式の挨拶及びその後の記者会見を談話に代えるとのことです。つまり、民主党の震災一年の談話がこれにあたります。
私はこの談話に強い違和感を抱きます。何か大きなことが抜けているのではないでしょうか?なぜ、野田総理は原子力政策に対して方針を明示しないのか。本日の記者会見でも、原発の再稼働を急ぐ姿勢を見せていましたが、菅直人前総理から引き継いだ脱原発依存の方針はどこに行ったのでしょうか。震災から1年経つ今も、放射能は垂れ流され、一向に終息の目途が立っていない福島第一原発を目の当たりにしながら、なぜ脱原発の方針を強固に打ち出さないのか理解に苦しみます。
ピンチはチャンスの観点に立てば、この度の震災でお亡くなりになられた方、そして生活を奪われた方々のその痛みから得た“学び”を子孫に残していくことが私達には強く求められているはずです。一つは自然災害に対する防災体制の確立は言うまでもありません。災害に強いまちづくりも一つのテーマとなるでしょう。しかし、人災としてのこの原発事故に関しては、検証を重ね猛省の上、大きな方針転換を行うことが自明のはずです。方針転換として残された選択肢は脱原発しかありますまい。それをしなければ、この人災によって生活を奪われた福島県民を中心とした国民に政府は何と言って詫びれば良いのでしょうか。
本日発表された政党毎の談話を見れば、脱原発社会を明示したのは社民党の1党だけでした。政府と言うよりも、政治そのものに強い不信感を抱いてしまいます。
昨夜から京都市内に滞在していましたので、本日久しぶりに『京都新聞』を手に取りました。京都府下には原発の無いせいか、非常に歯切れの良い論調で、脱原発の方針を示さない野田政権を社説でぶった切っていました。国民の側に立って権力に立ち向かうジャーナリズム本来の姿勢が伺えます。
「原発事故がもたらす計り知れない災禍を直視すれば、この国が取るべき道は、脱原発しかあるまい。多くの国民が望む方向でもあろう。
再稼働を急ぐ前に、野田首相はやるべきことがある。国政の太い柱として脱原発を打ち立て、めざす道筋を示すことだ。(中略)
野田政権も脱原発の方向だけでなく、ゴールを掲げる必要がある。この目標があればこそ、原発を減らしながら電力供給の策も立てられる。
国内の原発54基のうち、現在運転中は2基だけだ。関西ではゼロ。それでも暖房に電気を使う冬を、乗り切れそうだ。電力各社が電力不足を訴えた昨夏も、事なきを得た。
企業や家庭での節電、自家発電の効果もあったろう。いずれにしても、原発ゼロの社会が絵空事ではなく、その気になれば手に届きそうな社会であることを実感できた。その意義は大きい。
原発は54基も必要だったのか、との疑問も湧いてきた。
原発がむやみに電気をつくるから、エネルギーを浪費する社会になっていなかったか。まず、そこを反省するのが、脱原発社会への一歩だろう。(中略)
それでも原発は危険であることを、忘れてはならない。原発の経済的優位性をいくら言い募っても、事故を起こせば取り返しがつかない。福島第1原発事故で痛いほど分かった。(中略)
福島第1原発事故を受け、これまでの原子力政策を根本的に改め、再生エネルギーへかじを切ってもらいたい。ところが、野田首相の方針は見えにくい。もう一度言うが、脱原発をはっきり掲げるべきだ。
原子力政策の大きな柱である核燃サイクルに、もっと目を向けたい。原発で使ったウラン燃料を再利用する。福島第1原発事故で使用済み核燃料がプールに貯蔵されていたのが分かった。
高速増殖炉原型炉もんじゅ(福井県敦賀市)では、核燃料を再処理したプルトニウムとウランの混合酸化物(MOX)燃料を使うが、1994年の初臨界後は事故やトラブル続きだ。研究開発費など9400億円、運転中止中の現在も年間200億円前後の維持管理費がかかっている。
青森県六ケ所村の使用済み核燃料の再処理工場は、着工から18年経っても完成していない。投じた国費は2兆円を超す。
いずれも廃止すべきだ。いずれ原発をゼロにするのに、存続させる意味は全くない」※2。
「原発の経済的優位性をいくら言い募っても、事故を起こせば取り返しがつかない」。世界中を探しても、これほどハイリスクな事業が何処にあるのだろうか。リスクマネジメントの観点から言えば、事故はゼロにはならないのが自明の理です。しかし、原発にはそれが許されない。万が一の事故すらも許されない非常に危険な事業なのです。成り立つ訳がないと自身は認識しています。
本日の『京都新聞』では、もう二つの示唆が存在しました。一つは、国際原子力機関(IAEA)の天野之弥事務局長が、10日に共同通信とウィーンのIAEA本部で単独会見を行った記事です。そこで天野氏は、この度の事故拡大の背景に国の「東京電力に対する監督不足など『数々の人為的ミスがあった』と強調」、「事故で世界の原発への信頼は大きく損なわれたとし、日本国内での原発建設をどうするかは日本の判断としながらも『日本では(運転停止中の)原発の再開さえ難しい。新規建設が困難なのは分かる』」と語られたそうです※3。
また別の記事では、「福島事故後も原発増加」と題し、中国やインドなどの新興国を中心に、依然として原発建設が急ピッチに進んでいる世界の情勢について知らせています。前出の天野氏も「事故後も、原発を持つほとんどの国が施設の稼働を続けている」との見解を、世界原子力協会(WNA)のイアン=ホアレーシー広報部長は「福島の事故後、各国の政治家が原発の稼働停止に言及したが、現実は違う」とした上で、「世界の流れは変わっていない」との意見をそれぞれ紹介しています※3。
我が国で生活を奪われた方々に思いを馳せれば、私たちの取るべき道は然程難しくは無いと認識しています。今こそ日本が脱原発社会の構築を率先垂範すべきではないでしょうか。ヒロシマとナガサキを経験した私達こそが、脱原発を強固に宣言し、世界をリードすることに大義名分があるはずです。我が国が世界をリードする絶好の機会が“ここ”にあるのです。
沖縄の基地問題も然り、原発を誘致して数々の補助金や交付金を受給しても、それが真なるまちづくりには繋がらないことは、ソーシャルキャピタルや地域福祉分野においては自明の理です。そんなものは断固と拒否することから、真なるまちづくりは始まることでしょう。
ピンチをチャンスに変え得る機会は今目の前にあります。残念なのは、そのぶら下がっているチャンスに気が付かないことではないでしょうか。野田政権は時代の流れに逆行するべく、原発の輸出にご熱心なのだとか。今の福島の状況を目前に、他国にその輸出を行う論理的思考や人文レベルの低さと、哲学の不在を政治に対して感じる私にとっては今日が節目となったようです。
この度の震災において、傷を負われた全ての方々を思い妙心寺にて今日は御祈りを捧げてきました。私たちが成すべきことはまだまだ沢山あることを改めてお誓い申し上げます。合掌。
※1 『朝日新聞』2012年3月11日
※2 「社説」『京都新聞』2012年3月11日
※3 『京都新聞』2012年3月11日