お盆の最中、誰もいない職場で、スクラップの整理をしています。それを一枚一枚読みながら整理すればこそ、流石に中々作業が進まずにいます。そんな中、作家の井上ひさし氏が生前広島市に訪れた際の記事に強く目を留めました。2009年7月の記事です。そこには、昨今の戦争の傾向として圧倒的に軍人よりも一般人が死亡する確率が高まっていること。つまり、今戦争を始めれば、「戦争の始まりを見逃していた普通の人たちが死者のほとんどを占める」ことになると述べています。加えて、日本国憲法の前文及び第9条が南極条約締結に役立ったその功績についても語っています※1。
今本紙に目が留まる理由。それは、現下の社会が井上氏の求めた向きとは、真逆の方向に流れていることを若輩ながら実感しているからであります。いみじくも、憲法改正の手続きを経ずとも、集団的自衛権の行使が可能となる様、内閣法制局長官人事が実施され※2、首相の私的諮問機関(「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」)でもそれに向けた議論がお盛んだとか。
如上の大きな社会進捗の流れに、一見私たち社会福祉専門職は無力に見受けられます。私たちの仕事は、目の前のひとりの人の生活を守っているに過ぎないと。ひとりの人の生活の一部を支えているだけだと。果たしてそうだろうか、と私は思います。ひとりの人の生活と人権を守る営みの如何に尊いことか、そして、その実践の積み重ねが社会に与える影響の大きさ、その可能性を信じて憚らないからです。
先の参議院選挙において唯一喜ぶべき点があります。それは、成年被後見人に選挙権と被選挙権が認められたことでした。2013年3月14日の東京地裁判決を受けての公職選挙法改正に因るものですが、これによって、全国の被後見人約13万6千人の方々の選挙権・被選挙権が回復の日の目を見ました。これは非常に重要な出来事であって、東京地裁の「主権者としての地位を事実上奪うものであり、参政権を保障した憲法に違反する」とあるように、議会制民主主義の根幹を成す選挙権の重要性とそこに制限を設けることの困難性を如実に示したものと言えます。これは、被後見人における権利の問題のみならず、全ての国民における民主主義に係わる重要な問題であったとも敷衍できるでしょう。本件において、更に注視すべきことは、この度の公職選挙法改正がまさにひとりの人の人権を守ることから端を発していることにあります。6月4日付けの『朝日新聞』の「声」では次のような言葉が寄せられていました。「茨城県在住の名児耶匠(なごやたくみ)さんは、後見人がついたら突然、選挙権を取り上げられた。彼女が訴訟を起こし闘ったことで、支援さえあれば投票が可能な人の選挙権を封殺した行政の理不尽を、多くの国民が知り、怒ったと思う。黙っていたら、憲法に保障された投票の権利を取り戻せなかった。正当性を見極めて粘り強く信念を貫き、権利を手にした名児耶さんと支援者に深甚なる敬意を表したい」※3。斯様に、ひとりの人の訴える「声」が、支援者と共感者を呼び、大きな社会の変革へと帰結したのです。今回の変革の周辺には主として法曹人の役割があったようですが、日本社会福祉士会も会長声明を出すなど、本領域と社会福祉実践は大いに重複するところがあったと認識しております。
「ヒトラーは、選挙で選ばれたんだから」。とはまさにその通りかもしれませんが、問題の核心はそれが民主主義の手続きに則って成されたのかにあります。軍国主義の萌芽や戦争は一朝一夕に成されるものではありません。ひとりの人の言論や信教の自由、そして、その人権が軽んじられてこそ、そこに到達すべきものであることは歴史を見れば明らかでありましょう。この度の法改正に係わる中核には法曹人の姿があったわけですが、私たち社会福祉専門職の仕事は、まさにひとりの人の人権と権利を守ることこそがその使命とされており、この度の法改正に繋がる実践を日々積み重ねていることを再確認する必要があると思うのです。
「ひとりの人」の人権尊重が成されている社会が戦争や侵略に走ることはあり得ません。右や左のイデオロギー論争に与せずとも、私たち福祉専門職は、目の前の「ひとりの人」の生活と権利を守れば良いのです。そのことを通して、人と人が傷つけあう負の連鎖に楔を打つことができると信じています。かつて、社会構造を捉える社会学の知見が今ソーシャルワーカーには求められていると述べましたが、仮に社会構造を如何に捉えようとも、「ひとりの人」の生活と真摯に向き合い、その「人」の権利擁護を真剣に取り組んでいけば、その実践は誰もが暮らしやすい社会の構築へと繋がるものと思われます。つまり、マクロのとば口から入っても、ミクロの入り口から関わっても、ソーシャルワーカーの実践は恐らく同じ社会変革・社会構築へと帰結するものと信じる訳です。その上にあって、特に執拗に述べておきますが、個別支援においては皮相的実践では到底そこに辿り着くことが出来ず、真なる権利擁護を捉えた実践でなければ方向性を見誤る事があるので留意が必要です。
目の前のクライエントの生活と権利を守っている我々の仕事は、実は現下の平和を根底から支えている仕事であると換言することが出来るのではないでしょうか。ノーマライゼーションの提唱者であるニルス=エリク=バンク-ミケルセンが、それこそ第二次大戦中ナチスに抵抗して、デンマークでレジスタンス運動をしていたことは今ではよく知られている話です。「ひとりの人」の、延いては、その自己決定に支援を必要とする人々の生活と権利を守る私たちが、我が国の平和を守る礎を築いていることを私たちは大いに励みとするべきでしょう。
※1 『中国新聞』2009年7月2日
「第1次大戦での死者は、軍人が95%を占め、一般人は5%にすぎなかった。だが、第2次大戦ではその比率が52%と48%に接近。朝鮮戦争で16%と84%となって逆転し、ベトナム戦争では5%と95%と、一般人が大多数を占めた」と語った。その上で「今、戦争を始めると、兵隊は少ししか死なず、戦争の始まりを見逃していた普通の人たちが死者のほとんどを占める」と、無関心が戦争を招く怖さを力説した。
※2 「社説 集団的自衛権 まず人事権の行使とは」『朝日新聞』2013年8月3日
内閣法制局は、憲法のご意見番ともいえる行政組織である。安倍首相は、そのトップ人事に踏み切る方針を固めた。
今の山本庸幸長官に代えて、小松一郎駐仏大使をあてる。これまで一度も法制局の経験がない外務省出身者を、いきなり長官に起用するのは異例だ。
参院選の直後、首相は集団的自衛権の行使容認に向けた憲法の議論を再開すると表明していた。積極派の人物をここで登用する人事は、容認への布石であることは明らかである。
平和憲法の原則にかかわる問題の議論を始めようというときに、人事から着手する手法には危うさを感じざるをえない。これでは、丁寧な議論が成り立たなくなるのではないか。
同盟国が攻撃されたとき、日本が自らへの攻撃とみなして反撃行動に出ることができる。それが集団的自衛権である。
歴代内閣は、その行使は「認められない」という憲法解釈で一貫してきた。それを支えてきたのが法制局である。
憲法9条は、必要最小限度の武力行使しか認めていない。集団的自衛権の行使はその一線を越えている――。
法制局は長年そんな立場を崩さず、解釈見直しにブレーキをかけ、政府見解や国会答弁の整合性を保ってきた。
イラクへの自衛隊派遣で議論になった「非戦闘地域」などの概念は、時の政権が法制局と折り合いをつけるために編み出した苦肉の策だった。
集団的自衛権の議論を進めれば、いずれかの段階で法制局長官を代えざるをえない。政府内ではそんな見方が強まっていた。今回の人事は、これまで繰り返されてきた法解釈論争を、一足飛びに越えようとする狙いとも受け止められる。
新長官になる小松氏は、外務省で国際法局長もつとめた外交官。首相の外交顧問役である谷内(やち)内閣官房参与とも近い。
憲法の解釈変更に向けては、首相の諮問機関が近く論議を再開する。こちらも変更の容認派の顔ぶれが並んでいる。
いうまでもなく、これは専守防衛という日本の安保政策の基軸をめぐる論議である。その前段で、まず人事権を使って外堀を埋めておこうとするかのような手法は、乱暴ではないか。
政府内に異論があるなら、一層時間をかけ、幅広い議論を尽くしたうえで合意を築き、国民に説明するのが筋だ。
過去の政府見解との整合性を軽んじたり、きめの粗い議論に陥ったりしては、憲法や法体系の信頼が揺らぎかねない。
※3 今井正「声 選挙権取り戻した闘いに敬意」『朝日新聞』2013年6月4日