世界的研究者に教えを乞いに来たここサンタバーバラとも明日でお別れです。彼の専門分野は社会福祉ではありませんでした。しかし、こちらに伺う前からの予想通り、いやそれ以上の社会福祉実践における薫陶を受けることが出来ました。細やかな学びについては、別途個人的に纏めておくとして、ここでは発信でき得る3つのことについて叙述しておきたいと思います。
1つは、熟慮の不足する社会に対する憂い。ジョン=ロックや、アダム=スミスといった伝統的哲学や経済学の原書を読まないその道の実践家が増えているとのお話でした。斯様な原書を手に取って、時間をかけて熟読し、自らの人生や現下の社会に思いをはせながら熟慮する必要があるのだと。確かに、現下の社会は熟慮の必要の無い、ある種自身にとって“負担”の少ない音楽や書籍が流行っているとも思われます。私たちは、深く考えることをいつから止めてしまったのでしょうか。また、そうさせているものは一体何なのか。
例えば、「変革」や「発展」の定義についても原書を基にした解説を頂きました。そこに、従来からの自身の捉え方とは異なる示唆がある訳です。私たちは、職務を含んだ日常の暮らしの中で、如何に物事の意味を考えずに生きているのか、斯様な熟慮の機会を逸して生活しているのか、幾度か自問自答せずにはいられませんでした。と同時に、脳裏に浮かんだことは、「尊厳の保持」「利用者本位」「その人らしさ」「自立支援」といった当分野におけるその一見美しい言葉の数々でした。これらは、真に何を意味する言葉なのか。その理解無くしてその実践は不可能であるにもかかわらず、その熟慮の機会を私たちは有していないのではないでしょうか。まさに、言葉の遊びを重ねつつ、自己満足に浸る実践が津々浦々で展開されつつあるのではないでしょうか。
こんな時代だからこそ、私たちは率先して、一見面倒臭い事や、回りくどいとも思われる熟慮の機会を忌避せず取り込んでいかなければなりません。もちろん、これらの取り組みが、私たちの実践に即効性ある形で成果として現れることは期待できないでしょう。しかし、比較的長い人生において、その実践の幅と深さを押し広げ、やがて実践における大いなるそれが糧となることは誰もが否定するものではありますまい。また、斯くの如く熟慮の過程においてのみ人間は成長していくものなのかも知れません。容易に手に入る知識や技術による実践では、やはり先駆性や卓越性は期待できないものと再認識することが出来ました。人生や社会に係る伝統的書物や「意味ある他者」との出逢いを通じて、自らが頭を使い、足で稼いだ熟慮の結果にこそ、私たちが人間として、また、社会が「発展」することにそれが繋がるのでしょう。
2つ目は、やはり、他分野から学ぶことの大切さにありました。ご教示頂いた彼の専門分野は社会福祉ではない旨叙述しましたが、それに加えて、彼は研究者としての実践家であり、分野と実践形態の異なる世界でその名を轟かせておられる方です。思想的には近くとも、その視点が異なれば、従来全く気づき得なかった学びが生成されるものだと改めて気づかされました。例えば、ソーシャルワークの援助過程やソーシャルワーク定義における一般的図式の「間違い」を指摘したり、当分野において自明に用いられている「その人らしさの支援」や「自己決定支援」における「違和感」についておっしゃられていました。援助過程においては、時々に変化する利用者のニーズに対応することを考えれば、矢印の在り方は螺旋形が相応しいことや、「自己決定」や「その人らしさ」はクライエントが決める事であるため、それを他者が支援することに些か違和感を有するとのことでした。ご指摘は尤もだと認識します。今まで、当たり前に思っていたことがそうではないと改めて気づかされた次第です。また、会話の中では、他分野の知見を援用して自らの実践に用いることは勿論なのですが、こちらの実践や理論を他分野に活用してもらうことを念頭に置いた実践やその発表の重要性も示唆されました。今後斯くの如き視点で、実践を展開していこう決意しました。
そして、最後は、今ここの拠り所となる信念とそれに対する情熱を携えることの重要性にあります。とっても、情熱的な方でした。そして、その信念が実践に対する尊さを醸成されているようにも見受けられました。予てから、人間を説得させる要素は、理論・データ・情動性であると理解をしてきました。良くも悪くも、人々は情動性により、その行動を左右するのだと彷彿されました。またこの信念は、社会に対する視座そのものであり、社会に対する問題意識の在り方であること。社会に対する“あるべき姿”に向けての提言及びその実践が人と人とを強く結びつけるのだと強烈に感じることが出来ました。
サンタバーバラの時間は19時を回ったところ。この度の学びを文書に纏めつつ、明日出立するための荷造りをしています。出逢いとは、人と人とが自らの思いに導かれた行動の帰結として成されるものだと学んだ記憶があります。つまり、出逢いは、運命ではないと。確かその様に、恩師の講義の中で語られていた覚えがあります。この度の斯様な出逢いに、深く感謝しながらも明日帰国の途に就きます。