外国に出て現地の人々の生活様式や会話に触れる度に改めて思いを馳せることがあります。日本人のメダカ意識に。自身の意見を直截的に表明しないことが美しいとされる文化において※1、場の空気や他者の思いに気遣い、それらを察して立ち振る舞うことが出来る能力。これらの悪い側面だけを取り上げてメダカ社会と捉えるものですが、もちろん、これらの能力は例えば社会福祉専門職がクライエントの支援を行う際にも重要な能力であると言えるでしょう。特に、十分な社会サービスが保障されていないがために、ある種社会から排他・排斥されている人々の諦めさせられている思いや意思を察して知ることは、ソーシャルワーカーがクライエントに対して絶えず意図しておかねばならぬ重要な営みと言えます。これらの能力は、クライエントの権利擁護の実践の際はとても有効に機能することでしょうし、福祉先進国と言われる北欧のソーシャルワーカーなどには見られぬ才能であるとも認識します。
斯様に人々の能力などは、着眼点によって、それが無能と評価されたり有能と称賛されるものなのでしょう。効率性と生産性といったたった一つの指標で全ての人々の能力を推し量ることの愚劣さも併せて彷彿させられるものです。この日本人特有の“優れた”能力は見方を変えると、「お上」に非常に統制されやすい危うさを有していると言えます。たしか丸山眞男氏であったと思われますが、江戸時代初期鎖国を契機にキリシタンが激減した驚くべき国民性についての指摘もあったと記憶しています。他者の思いや場の空気を重んじる社会において、そこでは圧倒的に権力側に対する異議申し立ての機能が低下します。結果として、権力に統制されやすい土壌が生まれることになります。そのような、元々「お上」に対する異議申し立ての最も少ない、先進国の中にあって極めて稀有な存在たる我が国では、権力統制は権力を有する側にとっては思いのほか順調に進んでいると日々認識しているところです。国家を治める人々にとって、誠にやりやすく、これほど楽なことはありますまい。無論残念ながら、権力の側が、やりやすく、楽な体制と言うのは民主主義の本来の姿からは乖離したものであると言えるのですが…。
さて、斯様な国民性のあるところに、政府は特定秘密保護法案を可決しようと目論んでいます。私は、NPO法人の代表者として、ソーシャルワーカーとして、そして、ひとりの人間としてこの法案を廃案とすることを主張します。最大の問題は、国民の生命・生活に直結する重大な情報を国民自身が知ることが出来なくなることにあります。言うまでもなく事実は一つではありません。着眼点によって、いくつもの事実があることこそが真実であり、私たちはその多様な事実からあるべき社会の姿を模索する必要があります。その多様な事実を画一化へと導くことは、国民の意識や能力の退廃を招き、やがて国力を低下させ、よって国益を損なうことに帰結することとなるでしょう。ここで述べる国益とは、文字通り全ての国民にとっての利益を指し、いわゆる為政者の振りかざす国益、即ち、一部の国民のための利益を言っているものではありません。国民が考えなくなれば、統制がしやすくなるなどという考えは、明らかに国益に反した思想と言えます。
私は10代の頃より反原発論者でしたが、その知見も、一部の真なる知識人やジャーナリストから得ることが出来たもので、本法案が通過した際、この様なまともな情報を後の子どもたちが獲得することは困難となり、暗澹たる社会でその人生を送ることとなるのでしょう。また、私が得てきた知見も、決して社会の主流ではなく飽く迄も非主流であり、いわゆる少数派から発せられたものでしたので、そこに接近することは容易ではない状況だったと記憶します。これからの子どもたちには、その僅かな非主流・少数派の知見すら届かなくなる恐れがあるのです。何度も述べますが、事実は一つではありません。よって、多数派・主流派の流す情報も一つの事実でしかありません。むしろ、彼らの情報は社会構造の力学によって、あたかもそれが真実・真理であるかのように世間に知らしめることが出来るものです。であれば、そのバランスを取るためにも、私たちはむしろ少数派・非主流の情報にこそ耳を傾ける必要があります。そのバランスを取ることこそが、民主主義のあるべき姿であり、厳密には存在し得ない真実に接近する唯一の方法であると信じるのです。
冒頭申し述べたように、日本人は察する力の高い民族です。周囲の尺度に順応し、適応する能力に長けています。その“優れた”能力をもってすれば、この法律が国民の言動に与える影響は計り知れないと推察できます。戦前の軍機保護法下で朝日新聞記者であったむのたけじ氏も以下の様に述べています。「直接の取り締まりよりも国民の自己規制が大きかったと指摘する。『怖そうな法律ができた、ひどいめにあうかもしれないと思うだけで効果は十分なのです』」※2。斯様に、事実が隠されることによって、人々の思想と意識の多様性が欠如し、延いてはそれが民主主義の退廃に帰結することに先ずもって警鐘を鳴らすべきと思います。
多様な事実を認めないと言うことは、多様な思想を認めないと言うことに繋がります。斯くして、表現の自由・言論の自由の形骸化が促進されるでしょう。先に述べた一番声の小さい、「持たざる者たち」の声は顕著に制限されていくことでしょう。当然に、我々のクライエントの声を代弁するべき立場にあるソーシャルワーカーの実践にも多分な影を落とすこととなります。社会の歪や軋轢は、その構成員の内最も弱い立場の人々に顕著に表れることは言うまでもありません。だからこそ、ジャーナリストの基本的態度は、立場の最も弱い人々の取材から入るのだと書籍で教示を受けたことがありました。「アイヌとか在日朝鮮人とか、そういう人の生活がどうなっているかということをみると、その国の社会がうまくいっているかどうかが実によく出ている。だいたい少数民族が幸福な暮らしをしておれば、その国はうまくいっている、という大きな目安になるようです。アメリカ合州国なんかだと、これが黒人とか先住民とかプエルトリコとか、そういうことになってくるんですが、もし少数民族が不幸であれば、その国が表面的にはどういうきれいごとをいっておっても、ダメな国だということがいえると思います。いろんな矛盾というのは、そういう少数民族みたいな弱いところにいちばんよく出てくるわけです。これが、私の一つの原則的な態度です」※3。斯くの如くして、意思決定・自己決定に支援を要する人々の表現の自由や言論の自由は真っ先に蹂躙されるのではないでしょうか。これはまさに、ソーシャルワークにおける危機に直面しているとも言える事態ではありませんか。ソーシャルワーカーとして本法案の廃案を訴える意義はここにあります。
最後にもう一つ、社会福祉専門職は平和の担い手であると以前から考えてきました。この度の法案は与党自民党から発案されたものです。自民党は憲法改正をその政権公約に掲げており、その憲法草案において、第二章では、「戦争の放棄」を削除して「安全保障」と名乗り、同じく第9条では「国防軍」を明記しています。この法案と、憲法草案が同じ政党から主張されていることを鑑みれば、これはこの国が戦争へと巻き込まれる、否、戦争を引き起こしかねない事態に急接近することを意味します。こんなことは、子どもでも考えれば気がつくことではないでしょうか。
歴史を振り返っても、国家が戦争に突入するには必ずその地均しがありました。国民の言論・思想・表現・信教の自由が奪われたのち、権力の暴走が起こって帰結する訳です。であれば、私たちの仕事は、その中でも最もその自由が奪われやすいクライエントのそれを守っていると言う意味において、我々の行為は一方で戦争を防いでいるということになります。当法人の理念に平和主義を掲げる理由はここにあるのです。平和主義を掲げる当法人の代表者としても、この法案の成立及びその後の流れは看過できぬものと言えます。
最も恐れるべきは、法律が変わることではなく、人々の意識が変わることにあります。法律には人々の行動を規定し、そして意識を変える力があることは、例えば、日本の法律婚と事実婚の関係を諸外国のそれと比較しても良く理解が出来ることでしょう。元来従順で統制されやすい「奥ゆかしい」「美しい」国民性の上に、斯くの如く法律を制定し、政府は一体何を目指しているのか。私たち国民ひとり一人が自分の頭で考える事こそが今求められているのでしょう。
友と呼べる尊敬すべき偉大な研究者に教えて頂いたことがあります。社会は大変長い期間をかけて変革する。イギリスの産業革命ですら70年の歳月をかけて成されたものだと。そして、その長い変革の期間を歴史家が後世においてあの時こうだったと総括するに過ぎないと。そのことに照らして考えてみましょう。社会は良くも悪くも変革します。仮に、今この社会が悪い方向に舵が切られているとして、今から100年先の歴史家はこの今をどのように評価するのでしょうか。先の大戦において、私たちは隣国の人々を蹂躙し、また私たち自身も酷く傷つきました。では、先の大戦を止められなかったかと言えばそうではないでしょう。戦時に突入するかなり前の時点において、人々の言論・表現の自由が保障されていたその時に、その方向性を変えることは出来たのではないでしょうか。今の世代でやっておかねば、後の世代にはどうにもならないことがあります。私は、子や孫の世代に、どうにもならない社会を残したくはありません。それがひとりの人間として、この法案に反対するべき理由となります。戦前直前になって、その流れを阻止することが出来なかったように、抜き差しならぬ状況下での方針転換は恐らく不可能でしょう。であれば、その更に少し前の時代に、その世代が成すべき役割があるはずです。そう、まさに今がその時である。
※1 例えば、最近拝読した、榎本博明『「すみません」の国』日本経済新聞社2012年4月、によれば、日本人のコミュニケーションに「わかりにくさ」と「奥ゆかしさ」が顕著な理由が心理学の視点で描写されています。
※2 「社説 秘密保護法案 自己規制の歴史に学ぶ」『朝日新聞』2013年11月24日
※3 本多勝一「海外取材の旅」『本多勝一集18』朝日新聞社 P.75 1995年12月