成龍萬寿山(セイリュウマンジュシャン)(仙台市青葉区国分町)
「上海ラーメン」「焼餃子」
認知症研究職の大先輩の紹介で、伺いました。
上海ラーメンは、透明度の高いスープですが、お肉の風味があり、コクを感じました。初めて食べた味でしたが、いつまでも記憶に残る味です。
焼餃子も、中の具のお肉の甘みと、焼き加減のバランスが絶品でした。
また仙台に来る機会があれば、必ず伺いたいお店です。
2009/10/23 12:00:00
地域密着型サービス 地域密着型サービスと銘打たれたサービスを運営する者の避けられぬ使命として、地域密着・地域交流の取り組みがあります。今回は、地域の絆における「地域交流事業」の取り組みについてご報告します。
地域交流事業とは、私が勝手に命名したもので、各センターで年に4回程度のイベント(行事)を開催しています。金子勇氏の「コミュニティ要素モデル」(図1)に周知の通り、イベントはコミュニティ形成における重要な要素と言われています。地域住民がイベント(行事)を開催するためには、まず、準備期間(時間の共有)が必要であり、合わせて、会議等の打ち合わせ(知識や技術、情報の共有)、物の貸し借り(物の共有)、活動の場の調整(空間の共有)等が必要になります。開催日の運営はもちろん、その後の後片付けから、次回に繋げる反省会まで、イベントの大小によって、中身は変わってきますが、イベントの実施には概ね以上の様な取り組みが不可欠です。そして、その過程を通して地域住民の関係性は深まり、地域に対するアイデンティティも醸成されていきます。
イベント開催における第一の効果は、「交流の促進」にあると考えます。その特性を活かして、地域の絆では、�|楼莉嗣韻藩�用者(地域の要介護高齢者)の交流、��地域住民と職員の交流、�C楼莉嗣影瓜里慮鯲�を目的に地域交流事業を運営しています(図2)。各イベントにおける参加者数は概ね150人前後。地域福祉センター仁伍における「キャンプ体験」については、地域の小学生(中高学年)30名程と、大学生ボランティア20名程の参加があります(「キャンプ体験」は、地域住民とセンター職員がボランティア団体を立ち上げて運営)。
イベント開催における手順は概ね以下のように進めます―――
活動開始時期は、イベント開催日の2ヶ月前。まずは、日程を決めていきますが、地域の活動・行事と重ならないように自治会長や公民館長等に事前相談を行います。また、イベントの要旨が地域のニーズに合うものであるのかや、当地域でこのようなイベントの実施が可能かどうかの相談も行います。その後、物品(机や椅子等)はどこから借りるのか、イベントに協力してくださる人、必要な知識・技術を持っている人達の情報を住民との会話の中で集めていきます。集めた情報を元に、地域住民に協力を要請します。戸別訪問や、回覧板、スーパー・コンビニ・ごみステーション・各看板等における貼り紙を通して行います。情報を集める中で、「ワシが、○○さんに頼んでやろう」といった形で、人を介しての協力要請が出来ることも珍しくはありません。
前日と、当日の準備は大掛かりなものになりますので、地域住民のみならず、近隣にある高校・大学の学生ボランティア及び、社会福祉協議会を通して全市的に募集したボランティアの方々に御協力いただきます。
その際に私たちが大事にしていることが2つあります。1つは、交流を促進するためのプロセスを重視すること。具体的には、なるべく地域の力を借りてイベントを運営することです。事業所が大盤振る舞いで備品を買って揃えたり、人員配置をしてイベント運営するのではなく、備品は地域の方や公民館等でお借りし、人手や知識、技術は、地域住民のお力をなるべくお借りして運営するように心がけています。
そうすることで、地域住民のどなたが、何を持っていらっしゃるのか?公民館や集会所にはどんな物品があるのか?餅つきの知識を持っているのはどなたか?大工仕事が得意なのは誰か?といった地域の情報を把握することができますし、誰に力を借りればいいのかの情報を得るために地域住民に相談したり、物品やお力をお借りする過程で、貸し手の住民との交流が促進されていきます。
特に私たちのような地域密着型サービス単独で運営を行っている事業所は、大盤振る舞いする財力も、人的資源も乏しいのが現状です。事業所からの持ち出しも少なく、かつ、地域交流が促進できる。一石二鳥の取り組みであり、苦肉の策でもあります。
それでも人的資源が間に合わないことがありますので、近隣の福祉系大学・短大の学生ボランティアを必ず募集して行います。一つのイベントで平均して10名前後の学生ボランティアの参加があります。これからの社会福祉は、地域支援の視点が不可欠であることを、体験的に学んでもらう、今から5〜10年後の専門職の育成を見込んでの取り組みでもあります。
2つめは、このイベントを通して、各センターの機能や設備、職員のことをしっかりと地域住民に理解していただくことです。コミュニティケアを展開していくに当たって、これからは、地域住民と協働して地域の要援護者のケアを行っていく必要があります。住民と協働するためには、地域のために具体的にどんなことができるのか、どんな機能や、設備を有しているのか、どんな専門性や人柄の職員がいるのか等を地域住民に先ずは理解していただくことが不可欠です。地域のことを「真摯に考えている」、地域のために「汗をかいている」専門職であることを将来的には理解していただかなければ、協働は不可能だと考えます。コミュニティケアの実践に繋ぐことも忘れずに、イベントの運営を行います。
一介護保険事業所が、まちづくりに関与する。大きなテーマに何から手をつけていけばよいのか分からず立ち止っている事業所もあろうかと思います。地域活動の基本は、まずは出来ることから始める。仕掛けながら考える。と考えております。様々な戦略は必要ですが、まず出来ることから、行動を起こしてみてはいかがでしょうか?
例えば、利用者に提供するアクティビティを地域住民の協力のもとに行うことから始めてもいいのではないでしょうか?これからの季節、しめ縄作りや餅つきのご指南を地域住民に依頼してみるのもいいかも知れません。
図1 地域行事とまちづくりの密接な関係
図2 地域の絆の取り組み
本日は、大学院の集中講義を広島で受けました。「ソーシャルワーク特論」と言う科目です。
その中で、先生より、「私益」と「公益」についてのお話がありましたので、今日はこのことについて、チョットだけ掘り下げて考えてみようと思います。
たとえば、ボランティア活動を例に考えると、個人の社会的有用感や、充実感といった「私益」を前提に活動されている方がいたとします。また、最近ではボランティアのポイント制度を導入されている市町村や、法人もあります(地域の絆でも導入してます)ので、それが、ポイント獲得のための行為であったとしても、これは「私益」を目的とした活動と言えるかも知れません。こういった活動は、「私益」を目的としていながら、結果としては、社会に対する「公益」にも繋がっていると言えます。
また、「認知症の方が、自分らしく安心して暮らせるまちづくり」のための活動は、「公益」活動と言えますが、結果としては、「自分が認知症になっても、自分らしく安心して暮らせるまちづくり」に繋がっていきますので、それは「私益」に繋がる活動と言えるでしょう。
それもそのはず、人は、社会との関係性の中で生きているわけですから、「私益」と「公益」に相関性があるのは、自明の理かも知れません。
大切なのは、私たちひとり一人が、社会の中で相互に支え、支えられ生きていることを前提に、「私益」と「公益」はどこかで繋がっているんだと、自覚することにあるのではないでしょうか。
であるならば、福祉専門職は、それを具体的に可視化していくこと、例えば、障害者が安心して活動できる街は、子どもや、高齢者のみならず、健常者にとっても安心して活動できる街であることや、反面、障害者が自分らしく生きていけない社会は、健常者にとっても自分らしさを喪失しやすい社会であることを、伝えていくことが求められているのかも知れません。
また、個々にある「私益」の活動を、調整して、「公益」の活動に変換していくことや、その逆も然りです。地域の絆では、高齢者の方がボランティア活動に参加されていますが、参加者の充実感や、有用感のための活動を、職員が介入することで、例えば、清掃ボランティアから、子どもを対象にした習字教室の先生をしていただくことで、地域の子どもにとっても有益な、「公益」活動への変換がなされています。
孫引きになりますが、カール=マルクスが何と高校生時(1835年8月)、「職業の選択に当面する一青年の考察」という課題作文にて下記のように書いているそうです。高校生がこんな事を考えるなんて・・・。
「地位を選択する場合にわれわれを導くべき主な道しるべは、人類の福祉ということとわれわれ自身の完成ということである。この二つの利害は、お互いに敵対して闘うものであり、一方は他方を否定するはずのものであるというように考えるのは過りであって、人間の天性は、その時代の完成と福祉のために、人間が働く場合にはじめて自己の完成をも達成することが出来るようになっているものである、と考えるのが正しい。
もし人間が、自分のためだけを考えてことをなすならば、たとえ名のある学者、たいへん賢い人、すぐれた詩人ていどのものになることは出来ても、決して完成した、真に偉大な人間になることは出来まい」。
過日といっても、もう数ヶ月前になるでしょうか。認知症ケアにおける大先輩が、下記のようなことを話して下さいました。
―――なぜ、あれほど高齢者がトイレに頻繁に足を運ぶのか?それは、排泄を失敗したくないという強い思い。つまり、人間として決して冒されたくない「聖域」としての排泄があり、それだけは絶対に失敗したくない強い思いから、前もって、前もって、トイレに行こうと行動されているのではないか?こういった心理状況は、その時(私たちがその年齢)になってみないと、実は理解できないことではあるまいか?その時になって初めて気づける事も多いと思う。
であるにもかかわらず、福祉専門職の中には、「あの人はきっとこう思っているのだ」「このようにして差し上げればいいのよ」とあまりにも、簡単に決めつける人が多い。―――
人の人生に関わる専門職としての福祉専門職が、自らの「業」に畏敬の念を持たず取り組む事ほど、恐ろしいことはないでしょう。
そもそも、フェルト・ニーズ(利用者が感じるニーズ)とノーマティブ・ニーズ(専門職が感じるニーズ)をすり合わせることで、福祉専門職が取り組むべきリアル(真の)・ニーズを導き出すと教科書には記載されていますが。これを導き出すことは、困難を通り越して、不可能ではないかと考えるのです。無論、対人援助職として、一定の目標設定がなされなければ援助は進捗しませんから、目標を設定すること自体は不可避な事ですが、それはあくまで、暫定的なものであり、便宜上のことではないかと思っています。
それほど、他者の人生は奥深く、把握が困難なものであると考えます。無論、人間は、他者の気持ちを全く理解できない訳ではありません。全く理解できないとしたら、映画も、小説も、そして、今私が書いているこのブログも不毛なものとなるはずです。「全ては理解することができないが、その一部は理解することができる」と私は考えます。つまり、人間は他人の思いを想像すること、察することが出来るのです。それこそが、動物の中で、人間が第一義的に優れた能力であると。
であるにも関わらず、やはり、他者の人生や、思いの全てを理解することは不可能です。そのことを前提に、常に、畏敬の念を抱きながら、これで良かったのかと迷いながら実践していくことが、私たちには求められている気がします。
「正解」や「正義」とは、常に一定の距離を置いてお付き合いしたいと私は考えます。
ザ・洋食屋 キチキチ (京都先斗町)金村シェフ作
金村シェフのおかげで、「硬いブログ」でオアシスを体験していただけたことと存じます。感謝!