「スピードアップには、乗降時間と信号待ち時間の短縮が欠かせない」。「広島の路面電車を考える」(朝日新聞2009年10月17日)の記事から。
都市における地下鉄化が進む中、広島市内では、依然として路面電車が主流であります。私は以前より、路面電車は地下鉄よりも、高齢者や、子ども、障害者に優しい乗り物であると認識しておりました。上下運動が極めて少なくて済むからです。であるにもかかわらず、地下鉄化が進んでいるのは、車優先・健常者優先のまちづくりが行われてきた帰結であるからだと。
その意味において、最後まで路面電車を維持してきた広島を、少し誇らしげに思ってもおりました。しかし、この記事では、その運用方針は地下鉄化と大差ないことが露呈されました。速力化・効率化が第一義とされていることが明白です。
高齢者や、子ども、障害者にとって、電車の乗降は本来時間がかかるものです。杖や、押し車、車椅子等での移動の方や、認知機能が低下し乗降の仕方が分からない方でも、安心して乗降ができるようにするためには、速力化と効率化以外の方針を打ち出す必要性を感じます。
あらゆる生活場面において、速力化と効率化以外の、私たちが安心して暮らせる方針を打ち出す時代に来ていると私は考えます。特に、「社会的弱者」と言われる方たちが、安心してまちづくりに関わって行くことが出来る社会の構築が望まれているはずです。そのような方々が、路面電車を利用する際、当たり前のように、他者の力を借りながら乗降できる。そのことで、多少の電車の遅れが乗じたとしても、乗客は誰一人として不快な顔をしていない。そのような、路面電車の運営を切望します。
そんな路面電車が往来する広島市、素敵だと思いませんか。
先月の話になりますが、2009年11月6日(金)の中国新聞の紙面「高い日本の子どもの貧困率」(国立社会保障・人口問題研究所の阿部彩さん指摘)に興味深いことが書かれていました。それによると―――18歳未満の子どもがいる家庭に絞った「子どもの貧困率」は(日本において)06年、14.2%だった。
各国共通のデータで子どもの貧困率を比べると、日本(03年、13.7%)はOECD加盟30カ国の平均12.4%を上回り、12番目に高い。さらに着目するのは、日本は、収入自体で計算した子どもの貧困率は12.8%であることに対し、収入から直接税と社会保険料を引き、児童手当など社会保障の給付を加えた再分配後だと、13.7%に悪化する―――のだそうです。
つまり、他国に比べわが国においては、「貧困」層に対する税の徴収が厳しく、社会保障が手薄い現状が浮き彫りとなっているということです。以前本ブログにて、格差社会においては、階層の如何に関わらず多くの方がストレスを感じ、「貧困層だけでなく中間層や高所得層でも死亡する危険性が高まること」の記事(読売新聞 2009年11月21日)をご紹介致しました。
現政権がまず行うべきことは、「貧困」層への再分配を率先して行い、この格差を一刻も早く是正することであると認識しています。その意味において、「子ども手当」は、所得制限の無いかたちではなく、「貧困」層により手厚い支援を行うべきですし、現金支給ではなく、現物支給で行うべきと考えます。現金支給であれば、これも先のブログでお話しした「定額給付金」の要素と変わらぬ弊害を起こしかねません。各家庭において、手当が子どものために使われなければ、単なるバラマキと言われても仕方ありません。子ども達にしっかり還元される手当の構築が望まれます。
全米ソーシャルワーカー協会におけるソーシャルワークの定義では、「現在の社会政策の改善と開発にかかわる」とその実践内容の一つが明らかにされています。わが国におけるソーシャルワークの現状は如何でしょうか?
このような時代であればこそ、社会福祉専門職が、上記のような政策への提言を行い、その「改善と開発」を実践することが望まれていると考えます。
「利用者を自宅から送り出す家族が近所の目を気にしないで済むように、送迎車に会社のマークを付けるのをやめた」。
定期購読中の医療・介護の雑誌の一文。ある経営者の方の実践を取り上げたものでした。ビジネス業界においては、顧客の満足を第一とするのは自明の理ですので、上記の実践は英断と見受けられるのかも知れません。
しかしながら、福祉専門職としては、些か腑に落ちない点がございます。なぜ、福祉サービスを利用する際に、利用者や家族が「近所の目を気にしな」ければならないのでしょうか。社会福祉における自立とは、「他者からの支援を受けながらの自立」があることは大前提です。誰もが、高齢者になり、認知症になり、また、障害者となる可能性を持っています。そして、そのような状況に陥っても、それは社会全体で支援していくことが保障されています。
その、日本人として当たり前にある「保障」を、人目をはばかりながら甘受しなければならないこと自体が問題なのではないでしょうか。そのような現状が地域社会にあるのであれば、社会福祉専門職として地域住民への理解を促進する取り組みをすることこそが本来の仕事であるはずです。それが、権利擁護であり、ソーシャルアクションへと繋がっていくのだと考えます。
また、社会福祉専門職の取り組みは、地域から利用者を切り取って、焦点化してサービスを提供するのではなく、利用者の背景にある地域と利用者を一体的に捉えて支援することが、共通基盤として求められていますし、そうあるべきであると常に考えております。近視眼的な顧客の満足を追求することで、利用者を地域から切り取って、地域を度外視している現状が、特に介護保険事業者の間では根強くあるのではないでしょうか。自戒の念を込めて、そのように思います。
新しいことに取り組むこと、新しい発想を用いることは、業界の澱みを払拭するためにも、非常に歓迎するべきことであると認識しておりますが、私たちが社会福祉専門職であることは忘れてはならぬ事実でしょう。
如上を整理しますと、社会福祉専門職として、下記の二点から、ステッカーを外すことには反対致します。
�〕�用者の権利擁護の視点から、地域社会の偏見をなくすことが必要であること。
�⇒�用者の背景にある地域と利用者を一体的に捉えて支援することが、社会福祉実践者の共通基盤であること。
その意味においては、むしろ、大々的に強調するべきものなのかもしれませんね。
経済学的にいえば、市場ではなく、明らかな準市場の領域で私たちは実践しています。そこに求められるものは、事業性はもちろんのことですが、社会性ではないでしょうか。
自身の行動規範の一つとして「熟慮断行」を掲げていますが、私が苦手とするのは「熟慮」の方であると自覚があります。最近拝読した『リーダーは半歩前を歩け―金大中というヒント』(姜尚中氏、集英社新書)において、対談で金大中氏は「何かしようとするときは、三度考えろ」とおっしゃられ、「もちろん、考えても答がでないことは多いです。熟考を重ねれば、誤りはずっと少なくなると思います。そして、熟考すれば、決断した後まよわないですみます。信ずるところに向かって突き進めます」と説明を付言されています。
なぜこのことを今思い起こしているのかと言いますと、速力感のある情報化社会において、私たちは立ち止まって熟考することをしなくなったのではないかと憂慮しているからです。例えば、今日放映されていた「ワイドスクランブル」(2009/12/14 11:25〜13:05 テレビ朝日)で、アメリカのタイガーウッズ選手のスキャンダルに対し、コメンテーターのなかにし礼氏は下記の要旨を話されていました。―――内容としてはここまで大きく取り沙汰されることではないにも拘らず、アメリカ社会の中でここまで反響があるのは、黒人であるウッズ氏が、関係を持ったとされる複数の女性全てが白人である事実が関係しているのではないか―――というものでした。最近の様々な報道を見ていても、あまりにも皮相的で核心をついたものが少ないように見受けられます。その意味で、なかにし礼氏の如上の発言は、最近の報道では珍しい核心をついたものであると受け止めています。
時勢に急かされることなく、自分のペースで立ち止まり、熟考することが、今私たちに求められているような気がします。人には必ず立ち止まって、自分と向き合う時間が必要だと思います。速力感のある時代だからこそ、その時間を意図的につくっていくことがひとり一人に求められているのでしょう。
そして、熟慮の後は、断行するのみです!
本日の新聞の見出し「定額給付金、130万世帯申請せず 190億円が国庫へ」(朝日新聞2009.12.6.)に目が留まりました。
「景気対策として打ち出された総額約2兆円の定額給付金の対象約5500万世帯のうち、約130万世帯分の申請がなく、金額にして予算の約1%、190億円強が国庫に戻ることが、総務省のまとめでわかった。(中略)申請がなかった約130万世帯は、給付金の趣旨に反対で申請しなかったか、自治体が転居先をつかめず申請書が届かなかったなどの理由が考えられるという。(中略)一方、朝日新聞の調べでは、政令指定市と県庁所在地計50市のうち13市が『使い道が決まっていないなら』『受け取る意思がないなら』などと住民に寄付を呼びかけたが、全体としてはうまく寄付が集まらず低調だった」。
ちなみに、私はこの約1%の市民でした。お金に困っていない訳では毛頭ございませんが、「政策の趣旨に賛成できないから」と備考欄に記載し、受け取りを拒否した次第です。国を挙げての財政難の時代に、2兆円もの資金がいかに使われたのか、そのことに対する検証を是非ともお願いしたいものです。
2兆円あれば何ができたでしょうか?特別養護老人ホームや、グループホーム等の整備不足が声高に叫ばれている中、それらを幾つ整備することが出来たのか?劣悪な耐震構造の小中学校の改築等の整備がどれ程すすんだのか?また、このような投資は、未来に繋がるものであり、一時的・機会的なものではありますまい。
それにひきかえ、今回の定額給付金は、「焼け石に水」と化してしまったのではないでしょうか?だとすれば、2兆円の「水」は、あまりにも大時代な浪費であり、かつ、そのつけは私たちへと還元されることとなります。
一人当たりにとっては、少額であっても、それを束ねると2兆円もの超大金となります。それを、有効に運用することが政治の務めです。その2兆円を、社会的ニーズの高い分野に有効に投資することが、政治の役割かと存じます。それを、拒否した今回の政策には、やはり、賛同はできません。
この機会に、是非とも振り返りの検証をお願いしたいものです。2兆円の「水」が蒸発する光景など、2度と目にしたくはありません。