2010/10/25 12:00:00
地域密着型サービス『まちづくりに繋がるコミュニティケアの実践��』
前回ご紹介した独居高齢者70代女性の事例では、庭の草取りと、畑の菜園活動も地域住民に協力を要請しました。家の目の前に畑と庭があり、お元気な折は、庭の手入れと畑の菜園活動はご自身でされていた方です。認知症となり、体が思うように動かなくなったことで、庭と畑の手入れが困難な状況となっていました。夏になって庭と畑に雑草が生い茂る状態となった頃、当事業所や近隣住民、地域包括支援センターに何とかして欲しいと再三再四連絡があったのですが、金銭的に余裕はなく、かといって、小規模多機能型居宅介護(以下「小規模」)の職員で草取りの対応をする余力もありませんでした。
そこで、計画作成担当者が、ご本人と関係のある地域住民や近隣住民に協力を要請し、庭の草取りと畑の菜園活動が始まりました。協力者は、買い物時の身守り支援でご協力いただいていたコンビニのオーナーと、日々の身守りを依頼していた民生委員、近隣住民の総勢4名の方々です。遠方に住んでいらっしゃるご家族が、活動に必要な道具・畑の苗を買い揃えて下さり、曜日毎に当番を決めました。無論、家の敷地に入っての活動ですので、これは、定期的な身守り活動やお話し相手の活動にも繋がる実践です。庭と畑は蘇えり、庭と畑を何とかして欲しいというご本人からの連絡はぱったりと無くなりました。
ご周知の通り、介護保険制度では、庭の草取りや畑の菜園活動は、制度上の実践としては位置づけられていません。しかし、利用者の生活支援を鑑みると、これらの実践は利用者の生活に無くてはならない取り組みであったと言えます。制度や政策は、その立案・設計上、対象者やサービス内容における一定の標準化や画一化は否めないのが現状です。制度・政策は、個別のオーダーメイドではありませんので、そこには必ず“穴”があります。つまり、制度・政策には限界があることをしっかりと認識した上で、それを補っていく実践が求められているのです。コミュニティケアの実践はそれを補う一つの方策であると言えるかも知れません。
続いてもう一つの事例をご紹介します。要介護4(障害老人の日常生活自立度A1・認知症高齢者の日常生活自立度��a)の70代男性で、要支援の奥様と、障害のある娘さんの3人家族でした。その他の身寄りはいらっしゃらない状況でした。いわゆる多くの問題を抱えていらっしゃる世帯です。また、事情あって、事業所から車で片道30分ほどの所に住んでおられ、こまめな訪問が難しい状況にありました。この方の支援にもインフォーマルサポートの必要性を感じ、計画作成担当者が、その実践を試みました。
今回は、当事業所から車で30分離れた地域ということもあって、事業所独自のインフォーマルなネットワークは皆無の状況でしたので、地元の社会福祉協議会(以下社協)に地区ごとに登録されている地区担当ボランティアさんに声をかけさせていただくことから始めました。社協の担当者に依頼し、ご協力いただけそうな方に事前に当たりを付けていただき、社協担当者立ち会いのもと説明会を開催し、ご協力していただきたい事項の目的と内容について、計画作成担当者が説明をさせていただきました。小規模だけでは対応困難な以下3点の課題が現状として存在し、その内の1点だけでも引き受けて下さる方がいらっしゃればと計画作成担当者は説明を続けました。
�仝生豕擇嗷覯湿祿欧�あることで、ご家族間で意思疎通が困難となっておりその仲立ちや見守り、家族構成からも軽微な家事支援が必要なこと。�△緩椰佑梁臉擇米�課に散歩があり、事業所来所中は、職員の見守り・一部介助によって、事業所近隣を散歩しているが、自宅でも散歩の要望があり、時折一人で自宅周辺の散歩をされ転倒の危険性があること。�5朧�機による自己吸引はできるが、吸引機のセッティングが困難であること。
説明後、一人の方が協力してもよいと名乗りを上げて下さいました。この方はご高齢(女性)の方でしたが、長年介護の仕事に従事した経験のある方でした。私たちとしましては、�,離汽檗璽箸魄�き受けて下さる方が一人でもいればと説明の場に臨んだのですが、介護経験者ということもあり、� 銑�にご協力いただけることとなったのです。
�△砲弔い討蓮�活動を開始する前にカンファレンスを開催し、訪問リハビリテーションの担当理学療法士とボランティアを担当して下さる方、当事業所計画作成担当者・職員とで、散歩支援をする際の支援方法、支援内容、留意点を定めることにしました。どのような方法で、どこからどこまでの範囲であれば、ボランティアでも散歩支援が可能であるのかを専門家を交えて合意形成を実践したのです。
また、ボランティア担当者の不安を解消するために、ボランティア活動ノートを活用し、活動内容に対する助言や、不安に対する励ましを計画作成担当者が行いました。初期のノートには、「不安でいっぱいだ」「いつまで続くか分からない」といった活動に対するマイナス要素の記述が多く見られていましたが、活動が継続されるにつれて、「ここに来るのが楽しい」「人の役に立つことが嬉しい」といったプラス要素の表記に変わって行きました。
後半事例の要点としては、�|楼茲砲鷲�ず、素晴らしい資源があるということを専門職がしっかりと認識することが重要であること、�△修涼楼茲妊ぅ鵐侫�ーマルなネットワークを有しているフォーマルな社会資源(今回の事例では社協)を有効に活用して、間接的に、インフォーマルな社会資源に接近することも有効であること、��インフォーマルな社会資源を発掘し、利用者支援に結びつけ、それを維持・継続・発展する過程には、専門職のコーディネート力が不可欠であること、�ぞ�規模以外の専門職にもチームに加わってもらい、インフォーマルサポートにおけるリスクを軽減させること、以上の重要性を示唆してくれていると受け止めています。
前回よりご説明した2つの事例は、コミュニティケアの技術としてのケアマネジメントを活用したコミュニティケア実践でした。次回からは、もう少し広い視点で、コミュニティケアの実践を捉えてみたいと思います。
広島県社会福祉士会のキャリア形成訪問指導事業にて、廿日市のデイサービスセンターにお伺いしてきました。職員さんの熱心でかつ前向きな姿勢に触れ、当法人も頑張って行かねばならぬと戒めとなったのと、この仕事の素晴らしさを再確認した次第です。貴重な経験に感謝申し上げます。
その後、フェリーで江田島に移動しました。実は車でフェリーに乗ったのは、記憶に残っていない幼き頃以来のことです。宇品より三高行きに乗る予定が、3分遅れで乗り遅れたため、切串行に乗って江田島内を車で飛ばしました。19時20分発の宇品・切串のフェリーは、思った以上に乗客が多く50名〜60名ほどの方が乗船されていたと思われます。乗船時間は25分。車で移動することを考えると、本を読んだり、PCで仕事ができるため、時間を有効に活用することができます。それに、普段見慣れぬ海上風景。キョロキョロ船外を見渡していたのはどうやら私一人だったようです。皆様、常客なんですね。本フェリーは確実に、人々の社会生活上欠かせぬ社会資源であることを実感致しました。
江田島にお住いの方々と夜はお食事をさせていただきました。一献酌み交わす中、心に留めるお話を伺うことが出来ました。その方は長らくお店を営まれているのですが、高齢者が行き場なく毎日誰かが店に訪れるそうです。無論お客ではなく、腰を掛けて話をするだけの訪問者。訪れる高齢者は口々に言われるそうです。「昔は沢山行き場所があったが今は全くない」。ここが唯一の行き場所であり、居場所であると。店主は続けて語ります。今は定年後アルバイトのような身分。バリバリの現役の折であれば、話し相手などしている暇もないので、その折であれば高齢者の居場所になんてなり得ないと。
居場所がない世知辛い地域と、人々の交流があり居場所がある地域。経済的指標では両者の差は図れません。むしろ、効率性を重視している地域は経済的指標で高く評価されることが多いことから、経済的評価の高い地域ほど世知辛い側面もあるやも知れません。人々の生活の「豊かさ」は決して経済的指標や、お金で測れるものではないという自明の理がここにあります。
経済的指標では計り知れぬ大切なもの。それを私たちはここ数十年で失ってきたようです。それを取り戻す実践が、地域福祉活動なのでしょう。これからの社会構築において、どうやら、社会福祉の仕事は最も重要なファクターを担うことになりそうです。
自分の考えなど所詮ちっぽけなものです。大切な思想は、他者の中に宿っています。だから私は、なるべく多くの方とお話することを大事にしてきました。心を傾けて他者と語り合えば、必ず新しい何かに気づくことができます。それが明日への糧、人生の「豊かさ」へと繋がるものと信じている若輩です。
19時20分発 切串行き
学生やサラリーマン、中年の一般男女が総勢50〜60名乗船されていました。
夜のフェリー。ロマンチックな光景に周囲を見渡し、思わずシャッターを押してしまいました。そんなことをしているのは、私だけ。少し恥ずかしい思いをしながら・・・。皆さん常客であることの証です。
2012年度介護保険制度改正における大きな目玉とされている「地域包括ケア」。その2009年の報告書では、「自助を基本としながら互助・共助・公助の順で取り組んでいくことが必要ではないか」※1と提言され、「自助は、自らの選択に基づいて自らが自分らしく生きるための最大の前提であり、互助は、家族・親族等、地域の人々、友人たち等との間の助け合いにより行われるものである。したがって、自助や互助は、単に、介護保険サービス(共助)等を補完するものではなく、むしろ人生と生活の質を豊かにするものであり、『自助・互助』の重要性を改めて認識することが必要」※1と結ばれています。
同じく2010年の報告書においても、「地域には、介護保険サービス(共助)だけでなく、医療保険サービス(共助)、住民主体のサービスやボランティア活動(互助)、セルフケアの取り組み(自助)等多くの資源が存在するが、(今後は)『自助、互助、共助、公助』の役割を踏まえながら、有機的に連動して提供されるようなシステム構築が検討されなければならない」※2とあります。
わざわざこの個所を引用する意図は、以下の2点における引掛りがあるからです。一点は、介護保険制度は共助に該当するべきものなのか、という疑問。更にもう一点は、少子高齢化と財政難が相まった現下、これからの社会情勢を鑑みれば自助・互助の重要性は理解できるが、では公助は減退しても良いのかという猜疑心にあります。
そう考えていた矢先に、福祉用具の業者様が持参して下さった『シルバー産業新聞』の白澤政和先生のコラムに目が留まりました。コラムの名前は「快刀乱麻」。如上の疑問が私の中で解きほぐされるのを感じました。わが意を得たりで拝読した内容は以下の通りでした。
「介護保険制度を医療保険同様に『共助』と位置づけていることに違和感をもつ者であるが、いかがであろうか。
従来から、『公助』『互助・共助』『自助』という3つの分類はよくしてきた。介護保険制度との関係で言うと、介護保険制度は公助であり、近隣やボランティアが互助・共助であり、利用者自体が自ら有している能力等を活用することが自助であるとしてきた。今回、これら3つのフォースに加えて、『共助』が加わり、4つに分類され、介護保険制度は、従来からの『公助』ではなく、『共助』として位置づけられていることである。(中略)介護保険制度には、財源の半分が国、都道府県、市町村からの公費が投入されており、(中略)更に国は介護保険法を作ることで介護保険制度の骨格を作り、都道府県はサービス事業者の指定を行い、保険者である市町村が要介護認定の決定を行っている。また、市町村等が保険者として介護保険の運営に責任を持っている。その意味では、介護保険制度は公的責任が強い制度であり、『公助』と位置づけられてきたと言える」※3。
実は若輩の世代においては、既に介護保険制度は共助として位置づけられていたように記憶をしております。当初はピンとこなかったのですが、地域福祉活動を実践していく中で、また住民学習の講師をする中、「共助=介護保険制度」の説明に違和感を持っておりましたので、私の中では、「互助=隣近所のお互い様の助け合い」、「共助=地域の中で共に支え合う仕組み」であると認識し、そのように説明を重ねてきました。互助は、隣近所の御裾分け等、最近隣における非形式の自発的な支え合いを指し、共助においては、一人暮らし高齢者の見守り活動等、自治会や小学校区における形式的・組織的でかつ自発的な地域住民同士の支え合いを想定しております。
介護保険制度が共助であるとの言い分が通れば、政府・行政は、公助と共助のメニューは用意しているのだから、残りの自助・互助を充実させればよいという方向に流れる恐れがあるのではないか、結果として公的責任の逃避や減退に繋がるのではないかと若輩は危惧しているわけです。
そのことに対しても白澤氏は、「それでは、介護に対して公助は何を担うのであろうか。(中略)介護保険制度には国や自治体の責任が大きいことを確認し、公的責任から撤退するかのような雰囲気は避けなければならない警鐘としておきたい。さもなければ、保険料を払う国民から、介護保険制度に対する信頼を失うことを危惧するからである。(中略)『自助』や『互助』も重要であるが、『公助』の重要性を認識して、新たな介護保険制度に改正されることを願っている」※3とまとめておられます。
『自助』や『互助』、そして私の言う意味における『共助』が重要であることは言わずもがなでございます。そして日本型のまちづくりや、社会福祉のあり方を鑑みると、自分たちの地域を自分たちの選択において守っていく住民自治の意識と力を引き出しながら行っていくべき重要性は十二分に認識しているところです。だからといって『公助』が減退して良いというわけでは決してなく、「要援護者」の生活の質、延いては全ての市民の生活の質を高めるために、『自助』『互助』『共助』の増幅のみならず、『公助』においても更なる投入が必要であると認識しています。そうでなければ、『自助』『互助』『共助』のモチベーションは高まることは無いでしょう。私どもNPO活動においても、いくらボランタリーな活動をしていても、行政が全く協力をしてくれないのであれば、気持ちも萎えてしまう側面もあるわけです。無論、本来のNPO活動とはその様な活動ではないものの、そのような感情が起こることも否めない事実でしょう。
古くから、地域福祉の実践が、経済指標におけるビルトイン装置として機能することに警鐘が鳴らさされてきたことを若輩も認識しているところです。「たとえば参加論への社会学者の批判でいうと、『ボランティアで国民を総動員し、住民を漕ぎ手と位置づけ、舵手は依然として国や地方自治体(行政)である』というものがあります。参加に名を借りた権力への取り込みだと。これに応える理論化が必要です。(中略)社会の仕組みとしての政治システム・経済システム・社会システムという三つのシステム構造のなかで、我々は社会システムのところを、より成熟させ、豊かにするための実践とその理論化を担っている。近代化を急いだ我が国は、社会のシステムも価値観も政治と経済に引きずられていたのを社会システムのなかで再構築していくのが地域福祉の一つの役割ではないかと思っています」※4。
地域福祉実践家としてこれからも、利用者を中心に据えたまちづくり、利用者の権利擁護の観点におけるまちづくり実践に今まで以上の情熱を注ぎ、『自助』『互助』『共助』機能向上の実践に取り組んで参る所存です。それこそが、利用者が安心して暮らせる地域社会構築へと繋がり、延いては、誰もが安心して暮らせる地域社会構築として福祉の領域を凌駕したまちづくりや社会構築へと繋がるものと信じています。そのためには、住民の主体性・自発性の形成が不可欠でしょう。そこに働きかけを行うのも私たちの仕事です。
しかしながら、『公助』の機能をしっかりと掴んで放さないことも、私たち社会福祉実践家の仕事であることを忘れてはなりません。
※1 地域包括ケア研究会「地域包括ケア研究会 報告書 〜今後の検討のための論点整理〜」三菱UFJリサーチ&コンサルティング P.7 平成20年度老人保健健康増進等事業 2009年5月22日公表
※2 地域包括ケア研究会「地域包括ケア研究会報告書」三菱UFJリサーチ&コンサルティング P.3 平成21年度老人保健健康増進等事業 2010年3月
※3 白澤政和氏『シルバー産業新聞』「白澤教授の ケアマネジメント 快刀乱麻 第18回」第167号 2010年9月10日
※4 右田紀久恵氏『地域福祉の源流と創造』中央法規 P.95 2003年6月
「一般論として、多少の負担をしても安心できる社会を作っていくことを重視するのか、それとも、負担はできる限り少なくして、個人の自己責任に多くを任せるのか、大きく二つの道があるます。私は、多少の負担をお願いしても安心できる社会を実現することが望ましいと考えています」※1。10月1日の所信表明演説における社会保障について菅首相は声高に謳われました。ここで問題になってくるのは、国民が「安心できる社会」とはどのような社会なのかということです。そのことを明示せずして、「多少の負担をお願い」されても国民は納得できるものではありません。前回の所信表明演説で首相がおっしゃられた「最少不幸社会」が「安心できる社会」というのであれば、この国で、そして世界中で不幸な人を生み出さない社会構築が目指されるはずです。
「強者の論理ではなく、弱者に寄り添いこうした(孤立したお年寄りを守る、女性を乳癌・子宮頸癌から守る、子どもを貧困や虐待から守る、あらゆる人を自殺や災害から守る)課題にも応えなければなりません」※1首相は言います。「弱者に寄り添い」どころか弱者の視点に立って社会を立て直していくことこそが、全国民が「安心できる社会」構築に繋がるものと認識しております。いつどこで梯子を外され、排除されるかわからぬ社会構造の中では、誰もが常に不安を抱えながら生きざるを得ません。そうではなく、どのような状況に陥っても排他・排斥されない社会こそが、誰もが「安心できる社会」と言えます。是非とも、そのような社会構築を目指していただければと若輩は願っております。
そのための「多少の負担」はやむを得ないところですが、増税をする一方、減税論も表出しているようです。あくまで素人の視点ですが、例えばスウェーデン等の北欧をはじめ、欧州の法人における社会保険料の負担率は日本をはるかに凌ぐ負担をしていると聞きます。その点もすべて含有した上で、法人税の減税を議論すべきでしょう。法人税だけを取り上げて、先進諸国における日本のそれは高すぎるという議論はナンセンスです。各国が負担している法人税以外のあらゆる負担を総合的に比較対照して判断するべきです。私たちの「多少の負担」が、「弱者」やこれから「弱者」になる可能性を秘めている私たちに使われることが無いとすれば。それでは「安心できる社会」構築には繋がりません。
福祉専門職としては、そうならぬよう只々見守るばかりですが。
スウェーデンもそうでしたが、そもそもその「多少の負担」が一体何に使われているのかが明示され、それに国民の納得が得られれば「多少の負担」も僅かな負担に感じることが出来るのかも知れません。やはり、求められるべきは国造りや社会構築のデザイン・ビジョンであるようです。
「そもそも税負担感が大きいのは、支払った税金が自分たちの生活のために使われているという確信を持てないからである。逆に言えば、この確信を持つことができれば、人びとは一定の税負担を引き受けるだろう」※2。
※1 『中国新聞』2010年10月2日
※2 名古屋大学大学院准教授 田村 哲樹氏『中国新聞』「今を読む」2008年2月10日(日)
コミュニティホーム仁伍 12月1日開設
地域ケアの実践や、まちづくりの拠点として機能する「グループホーム」となるよう思いを寄せて、「コミュニティホーム仁伍」と命名しました。
地域の拠点となれるよう懸命に頑張ってまいる所存です。ご指導・ご鞭撻のほどよろしくお願い申し上げます。