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NPO法人 地域の絆

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中島康晴

地域の絆 代表理事 中島康晴

人との出逢いこそ最良の勉強

2011/03/28 12:00:00  地域密着型サービス
地域福祉センター鹿川の外観。江田島市内で初めての小規模多機能型居宅介護です。市街地の目立つ所に開設をさせていただきました。

 地域福祉センター鹿川の懇親会が昨日開催されました。振り返ってみると、地域福祉センター鹿川を開設する契機となった江田島市への人生初訪問は今から二年前の夏でした。そこから現在までの約2年間で多くの住民と接することが出来ました。また江田島の文化や風土についても多くを学ぶことが出来ました。

 昨日の懇親会の席には、その多くの住民が参加して下さいました。皆さんは、私がここ2年以内に知り合いになった方々です。土地を一緒に探してくださった地元の不動産を営む住民、住民説明会を開催する際ご尽力いただいた自治会長・副会長、民生委員の皆様。開設に当って何かとご相談に乗って下さった社会福祉協議会の会長及び事務局長。懇親会の数日前に開催した見学会の初日、紅白餅をつくために餅つき大会を行いましたが、その中心的役割としてご尽力いただいた老人クラブ会長。江田島では知名度の全くない私どもに、快く土地をお貸し下さいました住民。江田島市の福祉担当課のみならず、まちづくり担当課の職員からも多大なご支援を頂きました。筆舌に尽くし難い程多くの地域住民に支えられ今日を迎えることが出来ました。

 懇親会においては、多くの住民から叱咤激励を受けましたが、どれも鋭い視点のものが多く、感慨深く思う場面も多かったようです。それぞれの地域で、その土地に誇りを持って、懸命に考えておられる住民がいらっしゃいます。その考えに触れる度に、その思いを感じる度に、自身の不甲斐なさを感じさせられます。自身はまだまだ若輩だと…。これらの話は、理屈や理論ばかりではありません。その諸先輩方の経験と実績、思いから滲み出ている重たい何かを感じるのです。その何かに触れ、慮って考えると、感慨深さと、温かさ、そして前向きさを頂くことが出来ます。

 一つの学びは、簡単には言語化できない年長者の体験・実績・能力の測り知れなさと、どこの地域にも多くの偉大な住民がいらっしゃると言う事実です。ある特定のある住民だけが偉大だと考えるのは、傲慢以外何ものでもないと言う理論です。

 如上の様に、生まれて37年の歳月の中で、私は多くの方々と出逢う中で、貴重な学びをさせて頂きました。この2年間でもちろん江田島以外の方々からも叱咤を頂戴する中で、少しずつ成長をしているのかも知れません。

 多くの出逢いに感謝をし、そして、明日からもまた多くの出逢いを大切に生きて行きたいと思えた懇親会でした。


お金や経済的価値では測れない価値の萌芽

2011/03/19 12:00:00  社会全般
今日は福岡に来ております。明日、日総研主催の小規模多機能型居宅介護の研修に講師としてお招きいただいているからです。駅前では、震災の街頭募金活動が盛んでした。
 全国の社会福祉協議会では、ボランティア志願者が殺到しているようです。同じ民族や国民としての意識、決して他人事ではない思い、何よりも現に生活に窮する人々の姿をメディア等で見るに見かねての行動かと存じます。

 中国等のアジア諸国では、被災した日本人のその様な「冷静」な対応を称賛していると聞いています。東日本大震災は、私たちに甚大なダメージを与えていますが、一方でその中から僅かでも光を見い出すとすれば、この様な他人に対する思いやりや、助け合いの意識が、私たち国民の中に依然根強く残っている事実ではないでしょうか。

 冒頭の行動は、お金や経済的価値に則ったものではありません。そこに私は大いなる価値を見い出しています。金銭的・経済的価値を至上とし、我が国は社会構築を行ってきました。そこで、如上の様な価値、共に生きるという価値であったり、助け助け合えるという価値、お互い様の価値、何人たりとも排除・排他・排斥をしない価値等が希薄化してきたことは否めない事実であります。

 経済状況が良くなっても、自殺者は増え続けた現実に目を向けると、そこで失われてきた価値こそが、実は、持続・安定可能な社会構築に必要・不可欠なのかも知れません。その様に考えつつある人々が増えている昨今、冒頭の活動が促進されていると私は分析しているところです。

 「僕らが手にしている 富は見えないよ」「何故なら価値は生命に従って付いている」※椎名林檎氏も歌います。

 新たな価値が芽吹いている。今、私はそれを感じています。


※椎名林檎氏「あまりある富」



「予防原則」への原点回帰を!

2011/03/15 12:00:00  社会全般
コミュニティホーム仁伍の中庭にて、12月に植栽した梅が開花しました。皆様の心にも暖かな春が訪れることをお祈り申し上げます。

 東日本大震災における福島第一原発の事故で情報が錯綜しています。住民の方々の心中をご察しすると、心痛に耐えないところです。人々の権利擁護を業とする専門職としては、住民の安全・安心を最優先した対応が不可欠であると切に思います。

 しかしながら、政府や電力会社の対応からは、科学分野における「予防原則」に則った対応が見られません。今最も重要なことは、原子力発電の面子ではなく、住民の安全であるはずです。このようなことを書いてしまわなければならない程の体たらくではないでしょうか。

 「三宅島の場合、結局、火山がいつ、どんな規模で爆発するのかわからず、科学的なリスクの予測には限界があるので、とりかえしがつかない被害を受ける前に、とりあえず島外避難する、すなわち『予防原則』が適用された。世界的に話題の遺伝子組み換え食品や携帯電話の電磁波の問題でも、欧州を中心に、この『予防原則』に基づいて、たとえば携帯電話をやめないまでも、賛否両論あるが、イヤホンで聞くなどの対応が始まっている」※。10年以上前の新聞記事からの抜粋ですが、『予防原則』とは安全が証明されていないモノは、危険である、もしくは危険の可能性を認識して行動することだと素人ながらに理解しております。

 日本の科学の安全基準では、危険が証明されなければ安全であるとの価値が専らであったと認識しておりますし、現在進行形の福島原発での対応を見る限りその潮流の真っただ中にあると言えます。しかし欧州では既に、安全が証明されていなければそれは危険であるという「予防原則」が主流となっているのです。これは非常に大きな違いで、危険を証明することよりも、安全を証明することの方が非常に困難であることから、欧州の方がより安全基準が厳しいことが自明の如く理解されます。

 今こそ「予防原則」に則って、住民の生命及び安全を第一義に、早め早めの対応をお願いしたいと思います。原子力開発には、政・官・財・学の日本の技術力におけるプライドがあるのかも知れません。素人にはよく分かりませんが、とにかく今は、住民の生命・安全を最優先にした行動を政府や電力会社に強く求めます。

 福島には知人が数名住んでいます。しっかりと生きていらっしゃることだけは間接的な情報で確認が取れております。被災した方々をこれ以上傷つけないで欲しい。今心中は非常に苛立っています。


※ 黒田 洋一郎氏「科学をよむ」『朝日新聞』2000年9月13日 

東北地方太平洋沖地震について思うこと

2011/03/14 12:00:00  社会全般
皆様のご無事を心よりお祈り致します。


 2011年3月11日14時46分頃、三陸沖を震源に国内観測史上最大のM9.0の地震が発生しました。震災で亡くなられた方は数万人に及ぶ可能性があると報道されています。

 ソーシャルキャピタルの概念には、限られた地域の中での連携(結合型【bonding】)と平素の活動地域を越えた広域な連携(橋渡し型【bridging】)があると教わりました。双方の連携があってこそ、平素の活動地域の地域力も高まるのだと。

 私はここ数年、市や県を越えた広域な範囲の方々との連携を模索して参りました。この度震災に遭われた地域は、私にとって非常になじみ深い地域といえます。そしてそこにお住まいでいらっしゃるお一人お一人のお顔が頭に浮かんできます。無事でいて欲しい。

 テレビをつけると気になって、画面から目が離せなくなります。そんなこともあって、今日は自宅作業をしようと思っていたのですが、法人本部に出勤しています。

 今こそ、平素よりお世話になっている方々に何らかのご支援をさせて頂きたい。そう思ってはいるのですが、今は何もできないのがもどかしい。いみじくも、ソーシャルキャピタルについてご指導・ご鞭撻いただいている先生も仙台にお住まいです。

 皆さんのご無事を心よりお祈り申し上げます。そして祈るしかできない現状に、焦燥感を抱いています。被災地に知人のある方は、皆さん、同じ思いではないですか。



カンニング出来ない試験問題考

2011/03/07 12:00:00  社会全般
東京都庁の向側、京王プラザホテルの周辺にあるスロープ。歩いてみましたが、用途に現実味が無い構造でした。もっと実用的なものをお願いしたいと感じました。
 同志社・早稲田・立教・京都大学の入試問題を試験中に「質問サイト」に投稿した問題で、19歳の予備校生が偽計業務妨害容疑という聞き慣れない罪名で逮捕されました。若輩もちょうど忙しい最中ですが、連日連夜の報道番組で否応無くその要旨は理解しているところです。福祉専門職として、社会学を若干かじった者として、思うところが少しあって今これを打っています。

 「偽計業務妨害が法律論的に成立するのは分かるが、大学側の落ち度が問われないのは違和感がある。逮捕された男子予備校生が言うように本当に1人でやったのであれば、入試の監督者は相当怠慢で、気付かないのが異様だ。京都大もほかの大学も、全面的に自分たちが被害者という意識で警察に相談しているが、監督責任者らの処分がないのはバランスを極めて欠いている」※1や、「(石原慎太郎知事は4日の定例会見で)『世の中はものごとがすすんだ。携帯の持ち込みを制限するなどの措置を講じなかった大学当事者の方が時代に遅れている』と試験監督のあり方に対する大学側の認識の低さを批判した」※2といったものは尤もな言い分であると認識しています。つまり著しくバランスを欠いていると。端的に申しますと、19歳の未成年者に対して少し懐が狭すぎやしないかと認識しているのです。少し特異なものを見つけると、それを際立たせて取り上げるマスコミの陋習の様なものも感じてしまいます。以前私と同世代のIT企業家が、時代の寵児と扱われていたのが、一変手のひらを返したように集中攻撃を受けていた光景と相通ずるものを感じてしまうのです。私としましては、19歳の若者にもう一度チャンスを与えることのできる懐の広い社会のあり方を切望します。

 そして、もう一つ感慨深く思う点は、私たちは一体何のために勉強をしているのかという問題意識にあります。今回の不正によって、真摯に入試に臨んだ受験生からは激しい憤りのメッセージも寄せられています。それも尤もな感情だと認識しています。しかしながら、誰かを蹴落とし、蹴落とされる為に勉強があるとすれば、それは何か違うのではないかと私は思うのです。

 なぜなら、本来の勉強とは、人々を幸せにするための叡智を培うものだと認識しているからです。人々とはあらゆる全ての人々を指すと私は理解しています。あらゆる人々が幸せになるための叡智を培い、その実践を通してあらゆる人々を幸せへと導くものが勉強であるはずです。その実践は絵空事の様で難しい。しかし、それを勇気を持って諦めずに探し求めるのが勉強であり、学問であると私は強く思います。

 そう考えると、大学受験に至るまでの勉強は、本来の勉強とは一線を画したものとなっているのではないかと心配になってしまいます。記憶を頼りに、知識を詰め込むだけの“勉強”になっているのではないでしょうか。その様な“勉強”の果てに真の知識人が創造されないことは自明の理と言えます。

 「私は本来的には『物知り』『情報通』であることと、『知性』とは別物だと思います。『know』と『think』は違うのです。『information』と『intelligence』は同じではないのです。(中略)人間の知性というのは、本来、学識、教養といった要素に加えて、協調性や道徳観といった要素を併せ持った総合的なものを指すのでしょう」※3。

 自身のことを振り返って考えます。中学校時私は歴史という教科が大好きでした。当時、多弁で、多動な私は、授業中に積極的に発言し、授業“妨害”を繰り返す常習犯でした。特に国語と歴史の授業にはいつも熱が入ってしまい、発言の多い私に対して、「お前、代わりに授業するか?」とよく先生からお叱りを受けたものでした。

 その様な私も試験になると、中々思うように点数が取れません。歴史は年表を覚えるのが専ら嫌いでしたし、国語では、筆者はもっと異なることを私たちに伝えたいのではないかと彼此想像することで時間以内に解答をすることが殆ど出来ませんでした。先生もなぜ点数が取れないのか、不思議がっていたようです。

 しかし今は、その理由を自分なりに説明することが出来ます。つまり、大学までの勉強は記憶をインプットしてアウトプットする能力が問われていたのだと。本来は、歴史の年表を覚える能力と、歴史の勉強に必要な能力は別なところにあるはずです。真なる歴史の能力とは、どの様な社会的背景をもとにどの様な人々がどの様な行動を起こしたのかを分析し、延いては、同じ過ちを現在・未来で起こさぬためにはどのような社会構築と行動選択が求められるのかを明示していく力を指すのだと認識しています。私はその様なことを想像することが大好きな学生でした。その折は、ワクワクして夜も眠れなくなるのです。しかし、歴史の年表を覚える能力は、如上の能力と別のところにあることは容易に理解されます。

 以上を考えると、真なる勉強とは、自ら考え想像すること、そしてやがて創造することにあることが理解されます。適切な選択肢を選ぶ能力ではなく、新たな選択肢を自身で創り出す能力が求められているのだと認識しています。その能力を培うことでこそ、国際競争社会で対等に渡り合える強靭な社会人を創出することが出来るのではないでしょうか。

 もちろん初期の勉強にはインプットとアウトプットが不可欠な側面があります。しかしそこに傾注していては、真に強靭な社会人を養成することは出来ないと考えます。であれば、大学受験の段階においては、逸早く記憶を試す問題と決別し、絶えず問い続けてきた自分の考えをまとめて話す面接の機会や、自身の考えを文章で表現する小論文の機会を多分に増加させるべきではないでしょうか。

 若輩も非常勤ではありますが、大学生に試験問題を作成する機会を頂いております。私の問題は、全て論述であり、しかも自身の現時点での考えや思いを吐露させるものです。あくまで自身の言葉で表現させることに重きを置いています。ですので、カンニングのしようがありません。

 真の勉強とは、本来カンニングの出来ないものです。なぜなら、正解の無い問題を解くのが勉強だからです。そこで大事になってくることは、自身の思いや考えを、他者に伝える能力ではないでしょうか。そのためには、画一化されつつある自身の思いや考えにしっかりと耳を傾けて聴いてやれる機会を教育過程の中で担保する必要があるのでしょう。数年に及ぶ非常勤講師活動の中にあって、学生の自身の考えや思いの表出力が減退傾向にあることを毎年実感しているところです。

 真に強靭な社会人を養成するためにも、大学入試では、カンニングの出来ない問題の出題を願うところです。因みに私が入学した花園大学。当時は小論文が高配点の入試形態をとっていました。これがなければ、私は確実に大学には行けなかったと“自負”しております。


※1尾木直樹氏「識者談話」『中国新聞』2011年3月4日
※2『産経新聞』3月4日(金)
※3姜尚中氏『悩む力』集英社新書P67-69 2008年7月



中島康晴 特定非営利活動法人 地域の絆 代表理事
1973年10月6日生まれ。大学では、八木晃介先生(花園大学教授・元毎日新聞記者)の下、社会学を中心に社会福祉学を学ぶ。巷で言われる「常識」「普通」に対しては、いつも猜疑心を持っている。1億2千万人の客観性などあり得ない事実を鑑みると、「普通」や「常識」は誰にとってのそれであるのか、常に思いを巡らせておく必要性を感じる。いわゆる少数派の側から常に社会を捉え、社会の変化を促すことが、実は誰もが自分らしく安心して暮らせる社会の構築に繋がると信じている。
主な職歴は、デイサービスセンター生活相談員、老人保健施設介護職リーダー、デイサービス・グループホーム管理者。福祉専門職がまちづくりに関与していく実践の必要性を感じ、2006年2月20日特定非営利活動法人地域の絆を設立。学生時代に参加した市民運動「市民の絆」の名前をヒントに命名。
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