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NPO法人 地域の絆

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中島康晴

地域の絆 代表理事 中島康晴

新たな拠点そして仲間と

2011/06/24 12:00:00  社会福祉
恥ずかしがり屋の職員さんが多いので…。


 4月1日に開設した地域福祉センター鹿川の懇親会に参加してきました。地域の絆では、一番新しいセンターで、勢いと活気の溢れる職員さんが揃っています。

 思えば、2006年11月に地域福祉センター仁伍を開設して以来私は多くの仲間に恵まれてきました。当初は職員が一人でも集まるのか、クライエントに認められることが出来るのか、何も確信の無い状況で、理念と信念だけを信じで走り出したことを今でも鮮明に覚えております。とても不安な毎日を送っていました。

 今や総勢90名の仲間と共に仕事をすることができております。そして、その仲間は全て地域の絆の理念に対する共感者でもあるのです。

 そんなことを今日の懇親会を通して感慨深く思い浸ることが出来ました。1年前までは出逢うことの無かったそんな仲間と、この様に酒を酌み交わし大声で笑い合える。この上ない幸せ、そして喜びです。



若い元気な職員さんが多いのが地域福祉センター鹿川です!

地域福祉センター鹿川最寄りのお寿司屋さん

 大変お騒がせして申し訳ございません。開設の際の恩人にも再開することができました。有難いことです。

「風評被害」という言葉

2011/06/22 12:00:00  社会全般
統合され移転された後の江田島市大君小学校跡地。今ではまちづくりの拠点として機能しているようです。


 東京電力の原発事故で、福島県産や茨城県産の農作物や水産物が売れない被害が生じています。その際、必ずと言ってよいほどマスコミが使うのは「風評被害」という言葉。これは、原発推進メディアも反原発メディアでも同様に使われているようです。

 「風評被害」とは一般的に、根拠のない噂によって受ける被害であると言われています。もちろん基準値を下回る作物が売れないのは、根拠のない噂のせいかも知れません。しかし、その基準値が、「ただちに健康に影響が出るものではない」といった曖昧模糊としたものであったり、完全に危険ではないもしくは安全であると断言できない不確定な根拠に基づくものであった場合、それは全て根拠のない噂として処理されるべきなのでしょうか。

 例えば、予防原則に則れば、安全が証明されなければ危険であると認識されますが、日本の安全基準は危険が証明されなければ安全であるという基準に依拠しているのではないでしょうか。であれば、そのような甘い安全基準に依拠した基準値をどこまで信用したらよいのか不安は尽きません。

 そう考えればこれは本当に「風評被害」なのか?と私は思うのです。そして、仮にこれを「風評被害」と言い張った際、誰が損をし誰が得をするのでしょうか。

 基準値を下回っていても売れないのは、国民の認識不足であって、情報提供の不正確さにある。だから、その責任の全ては東京電力であったり、政府が担う必要はない。これは「風評」による被害であって、原発事故による直接的な被害ではないからだ。このような理論がまかり通ってしまう可能性があります。

 基準値を下回っていれば、本当に安全なのでしょうか。そこに明確な根拠が示せない以上は、これは「風評被害」ではなく、真なる原発事故被害と言えるのではないでしょうか。つまり、全ての被害は東京電力と政府が補償するべき産物なのです。

 安全が証明されていない作物を誰しも購入などしたくはありません。それを国民が購入しないのは、国民の認識不足であり、それが「風評被害」であるという理論。あまりにも無責任で、厚顔無恥としか言いようがありません。

 今更敢えて言うまでもありませんが、福島県産や茨城県産の作物を購入することがいけないと言っているのでは断じてありません。これは「風評被害」などではなく、原発事故被害であり、この政府やマスコミが喧伝する「風評被害」に対しても、政府と東京電力が全てを補償しなければならぬ対象であると強く言いたいのです。




多様な価値を尊重できる実践を

2011/06/19 12:00:00  社会福祉
日本一の牡蠣どころ江田島。夏牡蠣も美味しいですが、私はやっぱり冬牡蠣が好きです。
 

 社会福祉援助技術のテキストでは、専門職実践は4つの価値にある種「翻弄」されながら存在している旨の記載が目立ちます。4つの価値には、①専門職の価値、②専門職個人が持つ価値、③社会の価値、④所属機関の価値がよく挙げられています。そして、最も重要視しなければならないのは①であると。

 当法人では、理念を創設した私自身が①を重要視していますので、①と④には理念的には整合性が存在します。もちろん実践レベルにおいて、様々な齟齬が生じることはあるものの当法人の職員さんは、4つの価値に板挟みになるのではなく、3つの価値に「翻弄」されることになります。その意味においては、専門職として若干恵まれた環境にあると思われますし、そのような環境を法人としても作っていきたいと思っております。

 しかしながら、ここでお伝えしておきたいことは、更にひとり一人に応じた多様な価値があるという認識です。過日から書いている原発の問題も、教育現場における偏差値システムも然り、電磁波の問題もそうでしょうが、まるで一つの価値しかそこに存在しない社会は実は脆弱であることはもはや自明の理ではないでしょうか。多数派の意見が実は必ずしも正しくはないことを原発の問題は顕著に示していますし、それは資本主義社会の力学的必然の帰結としての自明であると自身は考えています。

 であれば、これからの社会構築は少数派の多様な意見を尊重するものでなければならないと自身は思います。それが社会福祉専門職の取り組むべき実践であるとも日々考えております。

 因みに、冒頭の価値には一つ大事な価値が抜け落ちています。クライエント個人が持つ価値です。多様な価値を尊重する中に、この価値の尊重は欠かせません。自身の価値を尊重せぬ専門職にクライエントは信頼感を抱くことは無いからです。

 しかし、これが意外に難しいのではないでしょうか。地域の絆の職員さんの実践を見ていてもそのように思います。私たちは、専門職として「こうあるべきだ」「○○しなければならない」という思い込みや先入観を強く持ってしまっているのではないでしょうか。例えば、クライエント同士が喧嘩をするのは止めて頂いた方が良い、糖尿病の方は甘いものを食べてはいけない、日中は離床を促進し座位を保たなければならない等々。どれも専門職として尤もらしいご意見として聞こえてきますが、そこには個別性が必ず存在するはずですし、これは専門職の思い込みに過ぎないことの自覚も不可欠です。

 私たちは親子喧嘩や夫婦喧嘩をよくするものです。喧嘩を忌み嫌う方もいれば、それはコミュニケーションの一環だと思ってする人間も存在します。実は私は後者の人間です。糖尿病のクライエントは、甘いものが大好きだからこそその病気に罹ったのだとすれば、紋切り型に甘いものを食事から排すればそれはその人らしさの喪失にも繋がる実践にもなってしまいます。日中の離床はリハビリテーションの観点からは重要かも知れませんが、その日は一日一人で横になってボーッとしておきたい日もあるでしょう。私にはあります。

 毎日外出に行かれるクライエントは、「徘徊」というBPSDではなく、それを自身の日課として行動されているのかも知れません。「徘徊」は良くないというのは、専門職の傲慢な思い込みに過ぎず、クライエントにとっては自身の思いの一つの表出方法を実践しているに過ぎぬこともあるでしょう。

 何が正しくて、何が間違っているかは非常に難しい。であればこそ、その困難と向き合いながらも私たちは日々悩み・苦しみながらクライエントと向き合い、実践するしかありません。そこから逃げて、私たちの価値観でクライエントを推し量り、対応した方が、分かりやすく簡潔であるかも知れません。しかし、そこで悩むからこそ、私たちは発展し、専門職として大成していくのではないでしょうか。少なくとも自身はそうありたいと日々思っております。

 「『淋しい人ね』老若男女を問わず、判でおしたようにこう言う。それを聞いているうちに、私は大きな違和感を覚えていた。確かにあの男は奇妙だった。だが、彼が淋しいかどうかは他人にはわからない。
 人は人を『淋しい』と断定したがる。たとえば孤独死した人を、子供のいない夫婦を、孫のいない人を、過去の栄華とは遠い暮らしの人を、等々だ。つまり、ステレオタイプの『幸せ尺度』から外れている人を、『淋しい人』と鼻高々に断じたがる。
 確かに、本人が望む生活と現在が違っていれば『淋しい』もあろうが、世の『幸せ尺度』に外れていても、本人は幸せという場合も多かろう」※。


※内館 牧子氏「あすへの話題」『日本経済新聞』(夕刊)2011年6月18日




人文無き科学の膨張

2011/06/14 12:00:00  社会全般
第二音頭大橋の建設状況。日に日に進捗状況が目に見て分かります。

 昨日「ディープピープル」※というNHKの番組を拝見しました。気が付けば、NHKの番組はよく見ています。ニュースは別として、ドキュメントや企画物ではジャーナリズムの視点が存分に盛り込まれた優れたものが多い様です。

 人型ロボット開発者の第一人者のお三方の議論をお伺いし、人文無き科学の不毛さを痛感致しました。高西氏はロボット技術の発展とともに、人類がそれに依存することの危険性を指摘しましたが、他のお二人はあまりその脅威に思いを馳せることは無い様相でした。

 お掃除ロボットがあれば、掃除をする必要はありません。介護ロボットが普及すれば、高齢者の介護は人間が行わなくても良いのかも知れません。“臭い”ものに蓋をし、“無駄”な営みを省くことが出来るのでしょう。しかし、そのことを通して、人類が成熟するとは到底私には思えません。人が生きるということ、社会生活を送るということは、非効率で、一見無駄な活動の繰り返しであり、そこに人生の尊さがあると私は考えています。

 お一人の研究者は、(我々の)技術革新を社会がどのように捉えるかは、社会に任せればよい旨の発言がありました。本当にそうなのでしょうか?科学者は黙々と技術革新を図り、それを社会に提示すればそれだけで良いのでしょうか?

 我が国、我が郷土の広島と、長崎に投下された原子力爆弾を開発した研究者は、この結果に対して無責任でいられるのでしょうか?ただ単に私は技術開発をしたに過ぎないと…。私はそうは思いません。

 科学者は、その科学技術が社会の中でどのように用いられるのか、その功罪を想像した上で、技術開発を行う責務があるのではないでしょうか?その様な使命感を鑑みず、単なる目先の技術革新を無責任に実践するだけであれば、科学者としては存在し得るのかも知れませんが、少なくとも知識人としては失格であると私は認識しています。

 真の知識人とは、社会構造を捉えた上で、全ての人々が幸せになる行動を、勇気をもって行動することのできる人間であると私は理解しています。つまり、無用な犠牲を人類に生じさせない勇気ある行動を取ることが出来るのが知識人であり、その実践によって自身の生活に困難が及ぼうともそれを克服する勇気を持つ人がそれであると私は認識しています。

 社会的使命や責任を全うすることに依拠した実践を成すことが出来ることが、知識人の必要条件となると思うのです。

※石黒 浩氏・高西 淳夫氏・小菅 一弘氏「ディープピープル」NHK総合 2011年6月13日(月)22:00~



NHKの番組収録

2011/06/12 12:00:00  社会全般
6月3日に放映された『Jステーション』の取材場面。

 本日はNHKの収録に参加させて頂きました。6月3日は広島ホームテレビ『Jステーション』で、地域の絆の実践を取り上げて頂きましたし、取材を受ける形では幾度とテレビには出演させて頂いたことはあるのですが、スタジオ収録は生まれて初めての試みでした。

 エネルギーに関する討論番組でしたが、多くの参加者がいらっしゃる中、毎回挙手をしても発言の機会は中々回って来ませんでした。仕方がないですね。

 それでも、以下の考えを吐露することが出来ました。
 ①原子力発電の推進には、反対である。なぜなら、一部の犠牲の中で“発展”する社会構造に依拠したものだからである。東京という大都市の電力の供給を行うために、福島の住民の危険を冒し、現在事故の収束作業を最前線で行っている労働者の犠牲の上に、福島原発は何とか安定している。この様に、多少の犠牲はやむを得ない社会から、多少の犠牲も許さない社会構築へと舵を切るべきである。

 ②研究職によって、非常に大きく見解が分かれている。今日の両先生も同様に。研究職によっては、今すぐに原発を停止しても国民の生活基盤に影響を与えない電力量の確保が出来るという方もいらっしゃる。つまり、計画停電そのものが不要だったのではないかとも言われている。政府や電力会社に取って都合の良い情報が流れ、情報操作を受けていることも十分に考えられるので、我々は猜疑心をもって情報を吟味する必要がある。

 ③太陽光発電はなぜ普及しないのか?原子力推進ありきの政策の中で、売電料が低く設定されているのではないか?だから設備投資費用が容易に回収できない構造になっている。政策的に太陽光発電を促進するのであれば、売電価格を高く設定する必要がある。

 ④選択肢としては、自然エネルギーの技術開発を促進して脱原発を図るのか、自然エネルギーの開発が促進される政策に切り替えることで脱原発を目指すのかにある。私はもちろん後者に依拠する。現在、電力の開発費用の9割以上が原子力発電に費やされており、自然エネルギーの開発には数%の費用しか投入されていない。普通に競争すれば、原子力の推進力の方が強いに決まっている。そのバランスをまずは、政策的に変革するべきではないだろうか。その意味において、原子力政策と自然エネルギー促進の関係は表裏一体の関係と見るべきである。

 ⑤推進派と反対派の両立した第三者機関で今後の方向性を決めるのは良いことのように見えるが、バランスの良い配置であれば、結局は現状維持で終わってしまうのではないだろうか?現に原発を維持しているわけだから、原発を維持した状況のまま収まってしまうのではないか。つまり、この問題は原発をやるのか、やめるのかを明確にしなければ解決しないのだと思っている。それは、政治的リーダーシップの中で行うべきことである。

 ⑥私は学生の頃から反原発の立場であった。震災前までは、反原発を唱えるだけで村八分になりそうな社会情勢があったが、今ではNHKの番組でこの様な自由闊達な議論が出来るようになっている。正しい情報をもとに、この様な民主的な議論が担保されれば、この国は正しい方向に動いていくはずだ。期待を寄せている。

 思い出すことが出来るのは如上の発言でした。収録番組ですから、状況に応じて発言はカットされることでしょう。さて、どれとどれがカットされるのやら。

 放映は6月17日(金)19:30~20:43に行われる予定です。



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中島康晴 特定非営利活動法人 地域の絆 代表理事
1973年10月6日生まれ。大学では、八木晃介先生(花園大学教授・元毎日新聞記者)の下、社会学を中心に社会福祉学を学ぶ。巷で言われる「常識」「普通」に対しては、いつも猜疑心を持っている。1億2千万人の客観性などあり得ない事実を鑑みると、「普通」や「常識」は誰にとってのそれであるのか、常に思いを巡らせておく必要性を感じる。いわゆる少数派の側から常に社会を捉え、社会の変化を促すことが、実は誰もが自分らしく安心して暮らせる社会の構築に繋がると信じている。
主な職歴は、デイサービスセンター生活相談員、老人保健施設介護職リーダー、デイサービス・グループホーム管理者。福祉専門職がまちづくりに関与していく実践の必要性を感じ、2006年2月20日特定非営利活動法人地域の絆を設立。学生時代に参加した市民運動「市民の絆」の名前をヒントに命名。
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