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NPO法人 地域の絆

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中島康晴

地域の絆 代表理事 中島康晴

「誰か」を排除しないために取るべき道

2013/03/26 21:51:24  社会福祉
明日27日から二日間 三原市幸崎にて地域福祉センター幸崎の見学会を開催します。是非多くの方にご来所頂きたく存じます。


 Facebookを初めて1年以上になりますが、所謂お「友達」が時に有益な情報を提供して下さることが一つの大きな魅力でもあります。「有難い」ことに本日も驚愕の事実を知ることが出来ました。「兵庫県小野市の福祉給付制度適正化条例案が原案通り成立する見通し」との毎日新聞の記事なのですが、どうにも本条例は「生活保護費や児童扶養手当について、パチンコなどでの浪費を禁じ、市民にも通報を求める」ものらしく、「条例案は不正受給や困窮者支援に関する通報だけでなく、パチンコなどギャンブルでの浪費も禁じ、常習的に浪費している受給者に関する通報を市民に求めている」、「全国でも珍しい具体的な使途規制の条例となる」のだとか※1。

 条例自体は「全国でも珍しい」のでしょうが、実は関連記事を調べると類似の事例が数多あることに更なる驚きを抱きました。例えば、大阪府寝屋川市では、「生活保護不正受給防止等への取組(生活保護適正化ホットライン)」を設けています。市のホームページによれば、「生活保護制度は、資産や能力等すべてを活用してもなお最低生活を維持できない世帯に適用される制度です。収入の未申告や居住実態の虚偽のほか、認めていない車の保有、医薬品の転売、暴力団員の受給などの不正は認められません。寝屋川市では、生活保護制度の適正・厳正な運営を行うため、(中略)市民の皆さんからの情報を受付けています。総合センター内に専用電話、メールおよび窓口を設置し、2名の専門の職員が情報を受付け、調査を行い、不正等を確認した場合には、保護費の返還や必要な指導および保護の停止・廃止を行うとともに、悪質な場合は法的対応も含めた厳正な処分をいたします」とあります。

 小野市と寝屋川市の取り組みは、端的に、生活保護受給者の生活行動に対する市民の監視要請ということになるでしょう。「不正受給」は確かに許されぬ行為であります。しかし、「不正」は生活保護受給者にのみ発生するものでは無く、政治家や官僚、大企業のトップを含めた広く市民の中にも起こり得るものでは無いでしょうか。それを生活保護受給者に対してのみ市民に監視要請を求めるところに私は差別や排除の論理を感じずにはいられません。これらの行為が、明白な差別であり排除の理論で成り立っている事実に気づかないのであれば、あまりにも人権感覚に疎すぎるのではないかと自身は考えます。が、これが基礎自治体によって進められている事実を通して、その鈍麻された人権感覚が社会の中で普遍化・常識化している現実を突き付けられた感があります。

 また、生活保護水準以下の生活をされている方の内生活保護を受給されている方の割合とされる捕捉率は、20%〜30%代と我が国は先進国の中で最も低い水準を維持していると聞きます。斯くの如き、生活保護は、受給者に対してスティグマを与える傾向にある中、如上の措置を行政が行うことにより、またそれが全国的な気運となり蔓延することによって、自ら受給申請を行わない人々が増えることも想像に難しくないはずです。この様に他者に対する想像力を喪失した社会は、誰にとっても息苦しく、暮らしにくい社会であると言えるでしょう。

 Facebookで知り得た本情報を「有難い」と述べたのは、自身の人権感覚を測る「教材」としては優れたものであること、そして、改めてこのような流れに加担しないことを肝に銘じることが出来たこと、この二つをもって素直に「有難い」と感じたからです。
 
 そして、この様な差別や排除の理論における「差別する側」「排除する側」に加担しない方法は一つしかないことも10代より知り得た事実として抱いています。社会学者ゲオルク=ジンメルによれば、「あらゆる現実的な共同社会の実際の量的な限界づけにもかかわらず、重要な一連の限界づけが存在する。その内的な傾向は、排除されていない者は包括されているということである。一定の政治的、宗教的、身分的な円周内において各人は、たいていは自発的ではないにしても、彼の生存によってあたえられた一定の外的な諸条件を満足させ、ただちに『それに所属している』と考えられる。たとえば国家領域のなかに生まれた者は、特別な状態が彼を例外としないばあいは、幾重にも複雑な国家団体の成員である。一定の社会階級の所属者は、自発的あるいは非自発的に局外者とならないばあいは、もちろんその階級の社会的な因襲と結合形式のなかへ引き入れられる」※2とあります。ここではつまり、社会的弱者や少数派の様に社会から排除されている側と、そうで無い側に人々を大別することが出来るということを示しています。また、排除されている側に対して無関心に傍観している人たちは、排除する側に包括されていることになると言っているのです。まさに、「愛の反対は憎しみではなく無関心」であると言うことにも通ずる理論ではないでしょうか。であれば、答えは明白。「差別する側」「排除する側」から脱却するためには、傍観者に留まることなく、否と大きな声をあげるしかありません。

 一ソーシャルワーカーとして、そして社会構造の一端を担う一人の人間として、自らが「誰か」を排除しないために大きな声をあげる場が私にとっての本ブログなのかも知れません。


※1 「<生活保護費>浪費禁止条例、成立へ 市議会委、全会一致で可決 兵庫・小野市」『毎日新聞』2013年3月26日
※2 ゲオルク=ジンメル著 居安正訳 『社会学 社会化の諸形式についての研究(上)』白水社 P.409 1999年10月



失敗を生かせない民族性

2013/03/11 01:18:52  社会全般
法人本部開設初日に本部事務所から見えた虹。初心忘れべからず、にて精進致します。
 今日この日、3月11日に思いを寄せるイベントが津々浦々で開催されています。この度の東日本大震災において我々は多くのことを学びました。どれほどに科学の発展が成されようとも、自然環境の前ではそれが如何に無力であるのか。即ち、我々人類におけるその能力の限界が改めて示されました。また、科学の発展及び近代化に相まって喪失された地域住民間における共同性や社会的信頼度についての課題も浮き彫りになりました。良くも悪くも「絆」が叫ばれる契機ともなったのです。中でも最も大きな、しかし、一部の知識人や若輩にとっては今更ながらの学びは、人類における科学技術の未熟さに対する確認であり、そして原子力発電に対する抜本的な変節にありました。3月11日以前であれば、反原発を叫ぼうものなら“村八分”にされていた風潮が、逆に原発推進を主張すれば排他・排斥される社会へと一夜を越えて変節したのです。若輩は、この短絡的でかつ情緒的な変節は如何に我が国の民族性を象徴している様で、少し恐れを抱き静観していましたが、「正しい」流れに我が国がようやく導かれるであろうこの機会と運動を憧憬の思いで静観していました。

 しかし、です。安倍首相は2月28日に行った施政方針演説で、原発再稼働に向けた意欲を明示しました。「安全が確認された原発は再稼働します」とのことですが、福島第一原発では未だに放射能が垂れ流しの状況にあります。福島県民の5.4万人もの人々が「後4年」は自宅に戻れぬ状況があるわけです(4年の根拠は何処にも示されていないので当然に括弧書きです)。何度も申しますが、人間の成すことに事故がゼロであることは幻想でしかあり得ません。しかも、原子力発電はその性質上その事故が全くもって許されない訳ですから、これは事業としても明らかに成り立たない産物であると言えます。斯様に考えれば、これは小学生でも分別がつくことになりはしないでしょうか。

 第二次世界大戦においては、戦争と侵略に対する我が国の課題が浮き彫りとなりました。しかし、これは、多くの命を落とされた人々に対して大変失礼ではありますが、多くの学びの機会ともなり得たはずです。その反省を我が国は如何に、現代社会に生かすことが出来ているのでしょうか。むしろ、その当時の反省と学びが徹底されていないことによって、我が国は混沌とした状況に陥り、そして、国際社会における先導的な役割を果たせずにいます。人は過ちを犯します。それは、人が悪いからではなく、弱いからだと強く認識しています。であれば、その過ちから如何に学び、そしてそれを繰り返さぬばかりか、新たな方策を打ち出し、次の世代へと引き継いでいくことこそが尊く、そして、それしか出来ぬのが人生であるとも考えています。過ちを認め、そこに真摯に向き合う姿勢こそが尊く、そして、それが自らの誇りに繋がるということが我が国の教育には欠けているのではないでしょうか。

 首相の方針演説を聞いて、失敗から何も学ぶことの出来ない我が国の民族性を憂う気持ちが更に高まりました。先の大戦も含めて、これだけ多くの人命と人生を蔑ろにして、そこから何も学ばないという事は無恥かつ無能の象徴であり、それを国内外に明示していることにもなります。国際社会、そして、我が国の100年先の子孫からは間違いなく失笑を買うことになるでしょう。

 確かに、3月11日を境に、原発推進から反原発に急激に変節した民族性にも実は問題を感じずにはいられませんでした。常に表層的・情緒的に急変する集団や組織に明日は無いからです。反原発が「正しい」選択肢であると信じていても、情緒的・衝動的な変節の在り方には不満を抱いてもいました。熟慮した結果の反原発では無い事が、今回の首相の方針演説を引き出したとも言えそうです。その意において、私たちは自らの頭で考え、行動する力が希薄化しているように思っています。これは、我が国の教育の「成果」であり、当方から見た際の課題であるとも認識しています。

 非を認めないことが誇りではありません。自らが行った非と真摯に向き合い、新たな方策を打ち出す勇気を持つ者にこそ誇りは宿っていると言えます。この度の原発事故における真なる反省と、未来に向けた熟慮こそが、我が国の誇りであり、私の愛国心・愛民族心の在り方であることも叙述しておきたいと思います。



中島康晴 特定非営利活動法人 地域の絆 代表理事
1973年10月6日生まれ。大学では、八木晃介先生(花園大学教授・元毎日新聞記者)の下、社会学を中心に社会福祉学を学ぶ。巷で言われる「常識」「普通」に対しては、いつも猜疑心を持っている。1億2千万人の客観性などあり得ない事実を鑑みると、「普通」や「常識」は誰にとってのそれであるのか、常に思いを巡らせておく必要性を感じる。いわゆる少数派の側から常に社会を捉え、社会の変化を促すことが、実は誰もが自分らしく安心して暮らせる社会の構築に繋がると信じている。
主な職歴は、デイサービスセンター生活相談員、老人保健施設介護職リーダー、デイサービス・グループホーム管理者。福祉専門職がまちづくりに関与していく実践の必要性を感じ、2006年2月20日特定非営利活動法人地域の絆を設立。学生時代に参加した市民運動「市民の絆」の名前をヒントに命名。
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