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中島康晴

地域の絆 代表理事 中島康晴

スポーツと体罰の関係

2013/02/01 00:53:19  社会全般
最近は船での移動が増えました。江田島では、牡蠣の美味しい季節が始まりました。

 昨年12月23日大阪市立桜宮高校に通うバスケットボール部主将が自ら命を絶った事件に端を発するかのように、スポーツ分野における体罰の問題が次々と取り沙汰され始めました。教育分野における体罰のみならず、ロンドン五輪代表を含む15名の女子柔道選手による暴力行為・パワーハラスメントの告発も成されています。

 それに対して、桑田真澄氏は自身の経験を通して体罰等の暴力行為の不毛さと愚劣さについて朝日新聞に寄せています。「私は、体罰は必要ないと考えています。『絶対に仕返しをされない』という上下関係の構図で起きるのが体罰です。監督が采配ミスをして選手に殴られますか?スポーツで最も恥ずべきひきょうな行為です。殴られるのが嫌で、あるいは指導者や先輩が嫌いになり、野球を辞めた仲間を何人も見ました。スポーツ界にとって大きな損失です。
 指導者が怠けている証拠でもあります。暴力で脅して子どもを思い通りに動かそうとするのは、最も安易な方法。昔はそれが正しいと思われていました。でも、例えば、野球で三振した子を殴って叱ると、次の打席はどうすると思いますか?何とかしてバットにボールを当てようと、スイングが縮こまります。それでは、正しい打撃を覚えられません。『タイミングが合ってないよ。どうすればいいか、次の打席まで他の選手のプレーを見て勉強してごらん』。そんなきっかけを与えてやるのが、本当の指導です」※1。

 一流のアスリートと称される桑田氏が述べることに大きな説得力を感じます。しかしながら、このような問題は随分と前から言われ続けてきたことでもあります。例えば、1998年の年初には有名大学のラグビー部やスケート部の選手が立て続けに婦女暴行事件を起こしています。体罰とは直接関係ないと思われがちですが、体罰指導を普遍的に受け続けてきた選手が他者に暴力を振るうことはその関連性が指摘されてもいました。孫引きではありますがスポーツ評論家故川本信正氏の言葉を引用しておきます。「戦後、日本は、軍国主義を否定して民主主義に基づく社会を目指してきたなかで体育会は、それに逆行して非民主的、保守的な組織になってきた。学生を統率するのにもっとも効率的な軍隊方式をそっくり取り入れたことがもっとも問題である」「真に自由で明るい、知性と友情に満ちた学生スポーツを育てるためには、もはや手段は、一つしかない。スポーツを愛するすべての大学の学生がこぞって体育会をボイコット(退部決行、入部拒否、会費不払い)し、大学当局や先輩を相手とせず、自分たちの手で自主的に民主的にスポーツのグループを結成し、スポーツの解放区として大学のスポーツ施設を占拠することだ」※2。

 そもそもスポーツの原則は、好きな競技を楽しんで実践することにあるはずです。しかしその原則が叶わぬ状況が蔓延しているのが我が国の体たらくであると言えます。その要因の一つとしては、如上の体育会に体現されるようなスポーツ分野における体質的な問題があるようです。そして、それを自己合理化する要素として、市場原理主義や勝利至上主義があるのでしょう。

 プロスポーツは勿論、オリンピックのメダル争いや高校野球に見られるように市場原理主義がその背景にある以上、スポーツは純粋に楽しむだけのものでは無くなるのではないでしょうか。高校野球においてさえ、甲子園出場を果たすことでそれが母校の宣伝広告になることが言われている訳で、その目的遂行のためには、“優秀”な指導者の指導方針を学校が放置してしまう例も想像に難しくはありません。事実、桜宮高校などではその様な傾向があったように思われます。市場原理主義が強まれば、そこに勝利至上主義の風潮が蔓延っていきます。スポーツを純粋に楽しむことは隅に追いやられ、競技に勝つことだけがその目的と化していきます。そして、そのためには手段を選ばない風潮も芽生えてくるのです。体罰も然り、時にはドーピングも…。

 10代の頃より、スポーツを仕事にすることは特に我が国においては難しいと考えてきました。スポーツの本質は楽しむことであるのですが、それが母校や国家の「威光」、単なる「勝利」のために成されることによって、その本質としての楽しみが低減するからです。

 本件には、体罰の有無といった表層的な問題ではなく、スポーツとは何かという根本的問題がその背景にあります。純粋に楽しむことを本質としながらも、如何に市場原理の中で持続して行けるのか。この二律背反の呪縛から解き放たれる答えは未だ見当たりません。


※1 「『体罰は自立妨げ成長の芽摘む』桑田真澄さん経験踏まえ」『朝日新聞』2013年1月11日
※2 谷口源太郎氏「谷口源太郎の一望無根 17 大学の体育会を解体しよう」『週刊金曜日』2000年7月28日(325号)



誰から何を守るのか?

2013/01/31 11:52:45  社会全般
江田島行でいつも乗船させていただいている桟橋から、松山行のスーパージェットに乗船しました。その時は波もほとんどなく快適な時間を過ごすことが出来ました。
 政府自民党の政権公約通り生活保護費の削減が決定されました。政権公約を着実に進めるジッコウリョクは前政権の轍を踏んでおらずある意味流石にと思われます。しかしながら、このジッコウリョクは国民の利益を擁護する真なる実行力ではないことは明白です。

 13年度分だけで約670億円の削減(就労支援強化や医療扶助の見直し約450億及び生活扶助削減約220億)が見込めるらしい※1。言うまでも無く、生活保護制度は国民の最低限度の生活を保障する最後の砦と言えます。仮に、「真面目に」働いている人々の所得水準が、生活保護水準を下回っているとすれば、生活保護水準に問題があるのではなく最低労働賃金の設定に問題があると捉えるべきでしょう。最低賃金法では、両者の水準の連動性について謳われているのですから※2。斯くの如く生活保護制度は最後の砦というに相応しく、この水準が下がれば、それに連動して最低労働賃金も下がるということにも帰結するのです。となれば、これは生活保護受給者だけの問題ではなく、全国民的な問題として議論が必要なテーマとなるハズです。そのようになっていない事こそが第一義的な問題であり、ハズとカタカナで明記する所以でもあります。

 いみじくも同日中国新聞の裏面、「防衛費は400億円増」の見出しが目に飛び込んできました。社会保障と安全保障は対立概念では無いかも知れませんが、ソーシャルワーカーとしては社会保障の充実を第一義として叫びたいと思います。これから2%のインフレターゲットによる物価上昇と、消費税増税が始まります。例えば、経団連の反応を見ても労働賃金の増加は見込めないのが現状です。収入が増えないのに物価が上がるという最悪の事態が目前に迫っているわけです。そこで、経済格差は更に増大することになるでしょう。

 国とは何かと問われれば、私は国民であると答えます。目前の窮地に追い詰められた国民の生活を守らずして、何処の国から何を守ろうとしているのか。国民の生活を一体誰が守ってくれるのか。私には分からなくなってきました。当政権は自助と自立を強く謳っているようですが、であればそもそもその様な政治は必要なのでしょうか。政治の役割とは何か、といった本質論こそが今問われているようです。

 外交については全くの素人ではありますが、米国を押さえて、中国は今や最大の貿易国であることは理解しています。2011年度の貿易総額は約27兆円と言われており、輸入輸出ともに全体の2割を占めている国です。その様な隣国に対して、対峙・対立を避け、双方に有益な議論を重ねる事こそが国民の利益となるはずです。

 やっぱり、政治にもソーシャルワークの視点が必要なのではないかと思える昨今です。


※1 2013年1月28日『中国新聞』
※2 最低賃金法
第九条  賃金の低廉な労働者について、賃金の最低額を保障するため、地域別最低賃金(一定の地域ごとの最低賃金をいう。以下同じ。)は、あまねく全国各地域について決定されなければならない。
2  地域別最低賃金は、地域における労働者の生計費及び賃金並びに通常の事業の賃金支払能力を考慮して定められなければならない。
3  前項の労働者の生計費を考慮するに当たっては、労働者が健康で文化的な最低限度の生活を営むことができるよう、生活保護に係る施策との整合性に配慮するものとする。



2013年 年頭の辞

2013/01/01 02:23:53  社会全般
地域福祉センター宮浦西主催の餅つき大会の風景。お子様連れの若いご両親が多く参加くださいました。有難うございました。
 本日が一年の始まりであったり、今年が2013年ということに関しては、世界には多様な考え方のある中、ソーシャルワーカーとしてはそのことを尊重したいと毎年この時期に思っています。普遍化された価値規範としての「普通」や「常識」、「公理」といったものから距離を置いて、猜疑心をもってそれを見ることが出来なければクライエントの権利擁護は出来ないと、自明のことではありますが、それを大切に日々暮らしております身にございます。

 そんな考えの私ではございますが、定期的にお立ち寄りいただいております皆様方に若輩の今の考えを少し吐露させて頂きたく存じます。

 私たちの仕事は、まさに生活支援の現場であります。生活は、質的にも時間的にも幅の広いもので、そこには多様な捉え方がある分、多様な出来事が付きものであるとも言えるでしょう。私たちの現場では、様々な問題が日々起こっています。他分野・領域・業界では、大よそ考える必要のないような、厳しい問題とも直面しなければならないこともあります。人々の命を間接的にでも支えていく仕事であり、その人生に寄り添う仕事である以上、それは軽々しいものではなく、重く、時に苦しいものであると認識しています。そんな中、つらく、逃げ出したくなるような出来事に遭遇することもあるかも知れません。しかし、若輩浅学ながらいつも思っています。その様な重く、苦しい経験をし、そして、多くを感じ、考えることが何よりも尊く、それが、私たちを人間として成長させてくれるのではないかと。であればこそ、私たちはこの仕事を誇り得るのではないでしょうか。この仕事を3Kなどと一度たりとも思ったことは無く、むしろ、他の業界と引けを取らぬ素晴らしいものであると思ってきました。全ての仕事は尊いとは思っていますが、中でも、我われの仕事は如上の意においてそれを凌ぐほど尊いのではないか思う訳です。社会福祉の仕事に携わるあらゆる人々にお伝え致したいのは、つらい時、悲しい時こそ、前を向いて仕事をすること、そして、上を向いて仕事をして頂きたいと思っております。誇りを持って、そして、専門職としての研鑽・成長を促していくことが、大変な時こそ、求められていると、それを信条に今まで仕事をして参りました。

 そして、もう一つ大切にしている信条が、常に大局を見ながら仕事をするということです。今現在の大きな社会構造を捉えながら、そして、時間軸を超えた100年先を見据えながら目の前の仕事をこなすということです。これは、社会的企業家として、ソーシャルワーカーとして、そして自称ジャーナリストとして不可欠な営みです。そもそも、社会福祉は、特に、自助では自立した生活を送ることが出来ない人々の権利を守ることを支援することがその仕事であるはずです。であれば、その様な人々の人権を軽視しないこと、つまり、多少の「犠牲」も許さないことをその信条としなければなりません。しかし、現下の社会はどうでしょうか。福島や沖縄における問題も然り、社会福祉専門職が目指すべき社会とは程遠い状況にあるのではありませんか。また、その意において、わが国の社会構造は、国際社会から見ても多分な遅れを取っていると認識しています。これは、経済的な後退以上に実は大きな問題であり、巷で言われている以上に大きく国益を損ねています。

 更に大切なことは、私たちはその人々の人権を丁寧に支えていくことによって、反人権としての侵略や戦争といったものを抑止する役割も担っていることを改めて確認しておきたいと思います。過去の過ちを振り返ってみても、人々の人権や精神・信教・思想の自由が守られている状況で戦争に陥った国は無いはずです。そこを大切に守っている私たちの仕事は間違いなく世界の平和に寄与しているはずです。

 年頭の辞として、お伝えしたいことは、我われの仕事は斯くの如く尊く、素晴らしいということです。そして、毎日の仕事から前向きに多くを学びとり、研鑽を重ねることを通して誇りを持って今年も仕事に取り掛かりたいと思っています。



愚劣なものを少しでも真面にする為に…

2012/12/17 23:08:15  社会全般
過日訪れた宮崎市。多くの出逢いと学びに感謝申し上げます。

 第46回衆議院総選挙では、野党第一党の自民党が2005年郵政選挙以来の大勝を収めました。多くのマスコミの予想が見事的中しましたので、その意において、大きな驚きや感動は特にはありませんでした。

 小選挙区制では、そこに死票が多く発生すること、組織票を保有している大規模政党に有利な展開となることは自明の理であり、民主党の支持率を鑑みれば、当然の結果に帰結したと言うことになります。また、比例票においては、自民党は前回大敗を帰した得票数よりも少ない得票数であった(今回1660万票であり、前回2009年の1880万票から220万票減少)ことを鑑みれば、この大勝が如何に民意を反映していないのかが伺えるでしょう。一部マスコミもこの点を取り上げており、選挙制度自体の問題が改めて浮き彫りになった選挙でもありました。また、今回の選挙は最高裁が「違憲状態」と判断した一票の格差の問題が解決されぬまま行われていますので、三権分立における司法の役割が今後強く問われることになるでしょう。

 しかし、ここで一番私が引っかかっている事。それは、59%前後と言われる投票率の低さにあります。各県で軒並み最低の投票率が記録されていると報じられているのです。人々の政治離れがここ20年ほど取り沙汰されています。なぜ人々は政治に関心を示さないのか。周囲にいらっしゃる高い見識を持つ方ほど、投票行動を起こさない傾向があったりして驚かされることがあります。ブログや執筆物を拝見すると、あまりにも愚劣すぎるので白票を投ずると書かれているものも…。

 小選挙区制という特性を鑑みて、各マスコミの予想がほぼ的中すると言うことは、組織票で多くが決まってしまったことを物語っているのではないでしょうか。組織票、つまりは大きな声を出すことの出来る一部の有権者の声が、この選挙の結果を体現していると言えます。この状況は真なる民主主義の姿ではありますまい。私たちは、マスコミが予測できない結果こそを、市井に示すべきでした。組織票では物語れない民衆の声を反映した結果を。

 古くから言われている、「その国の国民は、自らの民度以上の政府を持つことは出来ない」ことは自明の理ではありますが、白票を投じる国民性もその民度を測る指標とすべきでしょう。選挙権は権利であると同時に、義務でもあるはずです。先進諸国の中には、投票率90%を切る選挙は全て無効として、何度もやり直しを行う所もあるようです。わが国においても、その様な法整備を行うべきではないでしょうか。愚劣だとその活動から距離を置いて、そのことに何の働きかけも行わなければ、その愚劣さは更に度し難いものへと凋落していくことでしょう。愚劣なものほど関わりを避けるべきではありません。

 たかが一票と思うその行為が、私たちの生活の基を成す民主主義を頽廃させているのです。



「想定外」を嗤う

2012/12/06 01:06:53  社会全般
先週は鳥取県倉吉市と宮崎県宮崎市に御うかがい致しました。貴重な経験をさせて頂き感謝致しております。
 首都圏を車窓から眺めながらいつも思うことがあります。数十年前に建てられた高層ビルやマンションの何と多い事か。そして、これらの膨大な建造物はあと何十年健全に聳えていられるのだろうか。そう思うと、島嶼部に架かるたった一本しかない橋を行き交う車輌を眺めながら、また、365日休むことなく一日数十往復を繰り返す新幹線の橋脚を見て、この状態をあと何年健全に維持することが出来るのか地方においても不安な思いに駆られながら生活を送っていました。高度経済成長期以降、その減退が続いている今でも、その成長戦略が謳われ、新しいものが造られ続けている昨今です。しかし、これから数十年における当面の課題は、今まで安易に造り続けてきたモノをいかに維持するのか。また、それを如何に再構築するのか。またそのための費用は如何ほどなのか。と言ったことと真摯に向き合うことが避けられそうにもありません。そのことを前提に、未来永劫続く建造物はあり得ないことを前提に、いつどの程度の費用を要して修繕・改築を図るのかを考えながら、新たな建造をすることが求められると思われますし、建造コストが高くとも極力永く維持が出来る建造物の創出を検討することも不可欠となるでしょう。

 新たに造る時代から、維持する、改築する時代に突入しているのだと認識しております。建造に関して全くの素人の私の直截的な思いを吐露させて頂きましたが、そんな時代なのに、リニアモーターカー然り、次々と新しいものを造り続ける社会に疑問を抱いております。

 いみじくも、中央道・笹子トンネル(山梨県)で天井板崩落の事故が発生しました。まさに、建造物の維持・改築の課題が浮き彫りになった象徴的な事故であると捉えています。実は人間は、自らが建造したそれが、厳密に何年維持することが可能であり、その後どのような改築方法を取れば現在の状況を末永く維持できるのかについて明確な答えを持っていないのではないでしょうか。人体実験と言う実体験を通して、これから人類は経験を重ねていくようにも見受けられます。

 福島第一原発の事故においても「想定外」という言葉が流行りました。しかし、そもそも人間に「想定できる」ものは極僅かであり、常に「想定外」が普遍化していることを自覚すべきではないでしょうか。であれば、恐らくは「想定外」などという、言うも無知さをさらけ出す自明の言葉を発することもありますまい。10代の頃より思うことですが、他生物に比べて人間は賢くも優秀でもないと思っていました。このまま環境破壊を繰り返せば、恐らくは恐竜よりも短命に終わることを考えると、少なくとも他生物よりも劣等な立場にあるのではないだろうかと考えずにはいられませんでした。

 人間は自らが考えるほど有能ではない。その大前提に拠って立てば、成長戦略とは違った「豊かさ」を私たちは見つけられるのかも知れません。




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中島康晴 特定非営利活動法人 地域の絆 代表理事
1973年10月6日生まれ。大学では、八木晃介先生(花園大学教授・元毎日新聞記者)の下、社会学を中心に社会福祉学を学ぶ。巷で言われる「常識」「普通」に対しては、いつも猜疑心を持っている。1億2千万人の客観性などあり得ない事実を鑑みると、「普通」や「常識」は誰にとってのそれであるのか、常に思いを巡らせておく必要性を感じる。いわゆる少数派の側から常に社会を捉え、社会の変化を促すことが、実は誰もが自分らしく安心して暮らせる社会の構築に繋がると信じている。
主な職歴は、デイサービスセンター生活相談員、老人保健施設介護職リーダー、デイサービス・グループホーム管理者。福祉専門職がまちづくりに関与していく実践の必要性を感じ、2006年2月20日特定非営利活動法人地域の絆を設立。学生時代に参加した市民運動「市民の絆」の名前をヒントに命名。
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