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NPO法人 地域の絆

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中島康晴

地域の絆 代表理事 中島康晴

経済指標の限界証明

2011/12/07 12:00:00  社会福祉
サービス付き高齢者住宅のリビング。こんなに素敵なところなら、是非私が・・・。


 最近は結構忙しく本ブログの更新も等閑の状況です。そのような状況下においても、ブログの更新を迫られる事態が発生しました。日本経済新聞はあまり読む機会がありませんが、出張先のホテルでたまたま目にした記事が原因です。

 12月4日付のその社説によれば、「審議会(社会保障審議会介護保険部会)は両論併記ではあるが、介護サービスの必要性が低い人の自己負担を増やすことや介護計画作成の有料化などは先送りし、大企業とその従業員に負担増を求める方向だ。(中略)働く人の処遇改善は大切だが、事実上、赤字国債で手当てしている現状は改めるべきだ。介護施設などの収益は改善している。介護報酬の引き上げよりも、事業者の経営努力で対処すべきではないか。
 介護保険制度改革は、来年の通常国会へ提出する法案に何を盛り込むかが焦点になる。自己負担も含めた介護保険の総費用は2000年度の3.6兆円から11年度当初予算では8.3兆円になった。こんな状態では消費税を上げても制度を持続させられない。まずは徹底した効率化が必要だ。
 軽度者の利用が多い生活援助サービスは、掃除や買い物の手伝いなどが大半だ。こうしたサービスは保険の対象からはずすべきだ。すぐに無理なら将来の廃止を前提に、軽度者の自己負担を1割から2割に上げ利用の抑制を図る必要がある。一定の所得がある人の利用料も上げていい。介護計画作成も有料にして、利用者にコスト意識を持ってもらう必要がある」※。

 社説、つまりこの新聞が、誰の側に立ってジャーナリズムの実践を展開しているのかは明白です。

 2007年度の有効求人倍率は全職業では、0.97でしたが、介護業界は2.10を標しています。同じく2007年度のデーターでは、全労働者の平均給与額は、男性が5,118,800円で女性が3,276,800円でした。それに比べ、福祉施設介護職の男性の平均給与額は3,077,400円、女性は2,771,200円です。またホームヘルパーの男性は2,782,700円であり、女性は2,632,800円でした。これらは厚生労働省のホームページからシロウトでも抽出できるデーターです。経済は数字が命だと認識しておりますが、この事実をどう捉えれば如上の論調になるのか理解に苦しみます。産業界も不景気で給与額が下がっているので、介護職の給与額はそれに比べて然程悪くは無いとの意見も聞きますが、事実誤認も甚だしく、感情論で数字を見てない方々の迷言でしょう。

 現場を担っている私にとってみれば、介護保険制度そのものが万能ではなく、利用者の生活支援に十分対応できていないと痛切に感じている毎日です。介護保険制度の限界を、インフォーマルな社会資源を発掘・創出しながら、それを利用者の支援に繋げて行くことで補っているのが関の山で、福祉専門職は少ない社会資源の中で日々もがき苦しんでいます。

 人の生活は質的にも時間的にも幅広く、介護だけで守れるものでは到底ありません。家事等の生活支援を介護保険制度から外すことは看過できたとしても、では誰がそれを支えるのか、その受け皿論も無いまま切り捨てるのであれば、これは弱者切り捨ての批判を逃れることが出来ない行為となります。この社説はそのような論調に拠っているのです。

 当然にして日本は福祉国家ではありませんが、北欧を代表する福祉国家の特徴は、経済状況が悪化しても社会保障費を担保する姿勢にこそ存在します。事実、一昨年3月に訪問したスウェーデンのソレンチューナ市の行政職は、はっきりと私たちにその姿勢を示されていました。医療や福祉、年金と言ったものは、人が生きていく上で、空気や水と同様に重要なものです。その空気や水を捨て去れば、やがて社会はどうなるのか、推して知るのは子どもにでも出来るはずです。なぜそれができないのか、私は不思議でなりませんでしたが、本社説を拝見して少しわかった気がします。その意味において、本社説は丁度良い“教材”と言えるでしょう。

 それは経済指標のみで社会を捉えることによる限界です。経済指標に焦点化して社会を捉えてもそれは、一部であって全てを捉えたことにはなりません。自明の理ですが、そのことに気付いていないことが病理であり、不幸を招いているのではないでしょうか。

 現在の私の経営哲学の要諦は、「情けは人のためならず」です。自分一人が良くなればと思って行動すればするほど、“利益”は遠のいて行くものです。過日訪れた東北の被災地で、集落の中で一軒だけ奇跡的に無傷であったご自宅があり、その住民とお話をしたことがあります。私がつい「御無事で良かったですね」と配慮に欠ける発言をしてしまった際、「自分の家だけが無事で、何一つ良いことなんてない」と涙を浮かべておっしゃられたのが今でも脳裏に焼き付いています。同じ社会を構成している以上、自分の幸福と他人の幸福は常に何処かで繋がっているのです。

 一部の“不幸”な人たちのためではなく、今は“不幸”ではない私たちのために社会保障は存在します。そして、その存在をうまく活用することにこそ、経済の活性化を見出すことが出来ると考えるのが私の持論です。日本の介護技術は世界に誇れるレベルに到達しつつあります。これを“輸出”し、福祉後進国の援助を積極的に展開することをもって、経済活性化の“武器”にすることも可能でしょう。経済にとって、社会保障は足枷ではなく、ピンチをチャンスに変える起爆剤の要素をもっていると私は認識しています。

 社会構造や、社会政策等、そのマクロの視点で社会を捉え、その上で、数々のミクロな事象を分析することがジャーナリズムには求められています。経済という指標一本でのみ捉えた視点は脆弱と言わざるを得ません。今求められているのは、マクロの視点で社会を捉える力なのかも知れません。そして、それはそのままソーシャルワークに今求められている視点でもあるのです。


※『日本経済新聞』「社説 介護保険は給付抑制と効率化に切り込め」2011年12月4日



福祉・介護人材育成考��

2011/12/05 12:00:00  地域密着型サービス

やる気を引き出す指導法〜福祉専門職育成における要諦

この度、株式会社やさしい手の香取社長をはじめ幹部の皆様方には大変お世話になりました。厚くお礼申し上げます。
 職員の仕事に対する動機づけを維持・強化し、職場定着率を高め、更にそれが育成にも連動するといった少し“高尚”なお話をさせて頂きます。福祉・介護業界では職員の定着率の低さが問題として取り沙汰されています。厚労省の調査結果を大略で見てみますと、主な入職の理由は、「働きがいのある仕事だと思ったから」及び「自分の能力・個性・資格が活かせると思ったから」が大半であり、主な退職・転職の理由としては、「給与等の労働条件が悪いため」や、「仕事の内容がきついため」、「仕事にやりがいがない」、「職員間の人間関係が良くないため」が挙げられているようです※1。これは、「働きがい」のある職場であると認識して入職したが、実際に働いてみると「働きやすさ」と「働きがい」の無い職場であるとの認識に至り退職した事例が数多あることを物語っています。

 まずは少し「働きやすさ」と「働きがい」について考えてみたいと思います。このことを思い起こすと「ハーズバーグの動機づけ・衛生理論」が私の脳裏に浮かんできます。この理論では、「行動の動因は2つの欲求にもとづく」ことを前提としています。2つの欲求では、「第1の要因【衛生要因】」として「賃金や労働条件、人間関係、作業条件等の内容」に対する欲求を指し、「第2の要因【動機づけ要因】」として「やりがいのある仕事、自己成長、目標の達成、達成の承認、責任の増大など」に対する欲求を指すと言われています※2。私は端的に、「働きやすさ」が「衛生要因」、「働きがい」が「動機づけ要因」に其々関係することであると認識しているところです。

 であるならば「働きやすさ」の充足は、例えば、給与水準の向上や、残業時間の削減、有給休暇の取得のしやすさ、手厚い人員配置、福利厚生の充実といったものが挙げられるのではないでしょうか。また、「働きがい」の実感においては、人材育成システムの充実や、法人理念の明確化、所属意識の醸成、適切な権限移譲、福祉専門職としての矜持を持った実践が出来ること等がそれに該当すると思われます。

 ここで注目をしておきたいのは、むしろ「働きがい」の方です。「働きやすさ」を充実するためには法人や事業所独自の努力において、若干は対応できる部分がありますが、その全てにおいては範疇ではないと私は考えております。介護報酬にて、収入の大半はどの法人も同列の状況にありますので、このことに対する取り組みは、一法人・事業所では解決し得ない問題でしょう。だからといって、無論何もしないわけではありません。ただ、いくら努力を重ねても限界があると申し上げたいのです。では、「働きがい」の方はどうでしょうか。その多くは組織的・体系的な問題であり、こちらは法人・事業所努力で多くは対応が出来るものと考えています。「地域の絆」では、「働きやすさ」はもちろんですが、「働きがい」に最も焦点化した人材マネジメントを行っております。法人努力でどうにもならない要素が強い「働きやすさ」よりも、努力によって改善の余地の広い「働きがい」へのアプローチに力を入れているのです。

 多くの職員が求める「働きがい」の中核は、福祉専門職として社会性(社会に貢献すること)の高い実践ができることにあると私は考えています。利用者や家族、地域住民に喜んで頂ける実践がしたいと多くの職員は思っています。そのためにも、自身の専門性をより高めていきたいと。そのような社会的責任や使命感の高い仕事であるからこそ、給与水準が低くとも、労働条件が多少悪くとも、この仕事を選ばれているのだと私は認識しております。

 先ほど挙げた厚労省の調査結果を見ても、そのような動機で就職先を決めていることが読み取れます。また、退職の理由としては、給与等の労働条件の悪さや、人間関係の不味さ等が挙がってはいるものの、やはり仕事にやりがいが無いと言った声も多くある様ですし、一番気になるのは、どの項目にも該当しないその他の項目が一番高率であるということです。かてて加えて、仕事に対するやりがいや矜持が減退すると、金銭的価値を人は求めるのではないかと私は考えておりますので、入職時は「働きがい」を求めて、退職時は「働きやすさ」を求めて辞める構図には、当初の期待の裏切られた感覚が影響を与えているものと推察されます。つまり、多くの職員は、仕事に対する夢や誇りも持てないのなら、せめて、賃金等の処遇で補填してもらいたいという気持ちになるのではないかと考えるのです。

 2000年に介護保険制度が導入され、営利法人も非営利法人も同じ土俵で相撲を取ることが強要されました。その際、社会福祉法人等の非営利法人も、事業性(事業の継続・発展を求めるため収益を上げること)の強化を図ってきたように伺えます。利用者が何人利用して、いくら収入が入ると言った現実的な話が現場の中でも飛び交うようになったのは介護保険制度が導入されてからではないでしょうか。しかし、それは管理職と言われる人たちがしっかりと認識して舵を取ればよい話で、現場で利用者の直接ケアに携わっている職員には伝えるべき話ではないと私は思っています。それを多くの経営者は、現場の職員に求め出したのではないか。

 先ほど申し上げましたように、現場の職員の多くは、専門職としての社会性の高い実践を行い、利用者・家族・地域住民に喜んでもらいたいと思って必死に働いています。経営陣が出来ることは、その思いを大切にすることではないでしょうか。であるにも拘らず、多くの経営陣は現場に社会性ではなく事業性を求め過ぎているのではないかと考えます。それが、職員のモチベーションを下げ、離職率の上昇へと繋がる大きな要因としてあるものと認識しております。

 求人票を見る限り、この業界の給与水準が低いことは一目瞭然です。それでもこの業界の求人に応募し、入職する職員の動機は、給与等の処遇にはないはずです。処遇は良くないが、社会性の高い業務内容に魅力を感じ入職しているのです。であるのに、職場では社会性の高い取り組みが推奨されず、事業性のことばかりを追求される。そのことで、モチベーションを下げて離職する人が多いのではないかという仮説を立てているのです。要するに、給与も安く、夢や希望も感じられないのなら辞めた方が良いと判断されるのでしょう。福祉専門職としての夢や理想、希望を見ることが出来ないのなら、この仕事には何のメリットも見出すことが出来ないのではないでしょうか。

 では、社会性の高さを感じる仕事はどの様になされるのでしょうか。その要諦は、ビジョンを明示することです。目の前の認知症高齢者へのケアが、ご本人はもとより、ご家族や地域にどのような幸福をもたらしているのか、そのことを見せていくことが求められています。また地域住民の理解や協力を促進することが、目の前の利用者の幸福に如何に繋がるのかを見せるのも然りです。

 過日拝読した姜尚中氏の著書においても次のように記されています。
――――「経営者は、これまでのような金融工学的なマネーゲームでは、企業活動の意味を語れなくなったのです。
こうした風潮にともなって、いま、アメリカのビジネススクールなどでは、従来型に代わるテーゼを見つけようと必死になっている気配が見えます。その彼らも、まだ『これだ!』というストーリーは見つけきれていないようですが、こう言いはじめたことだけは確かです。
『なぜ、何のために働くのかという意味づけを、社員にきちんと示せないリーダーは失格である』と。たとえば、『いま、ここでこうやって作っている製品が、十年後の豊かな森林を作るのですよ』とか、『いま、この労働で流している汗が、病気のおじいちゃん、おばあちゃんの心の支えになるのですよ』とか、そのようなビジョンを、フォロワーが納得できるかたちで示せなければならないのです」※3。経済における成長戦略に陰りが見え始めた昨今、産業界においても処遇の向上ではなく、ビジョンを見せることで社員のモチベーションを高める手法が受け入れられつつあるのです。

 目の前の利用者への具体的支援が、どの様な社会貢献に繋がっているのか、この仕事が如何に社会的使命や責任を全うできる素晴らしい仕事であるのか、そのビジョンを示すことなくして福祉専門職の育成は出来ないと自身は考えます。

 また、福祉専門職の育成では、原理原則論や理想・理念を伝えることが不可欠です。人員配置等の多くの制約ある中、理想の福祉実践が出来ず悩んでいる職員が多い中、敢えて、原理原則論と理想を語る必要があるのではないかと私は考えています。「出来ていない」現在を基準に、理想を諦めるのではなく、今「出来ていなくとも」いつかは実現させるための前向きな実践を後押しすることが重要です。恥ずかしいのは、今「出来ていない」ことではありません。今「出来ていない」ことに開き直ったり、居直ったりすることが、専門職として最も恥ずかしい行為であると言えるのではないでしょうか。「出来ていない」現実から、僅かであっても日々改善を図り、前に向かって取り組んでいく姿勢が必要です。それを強化するためにも、経営陣や人材育成担当者には、信念を持って、弛み無く理想を語り続け、その実践を後押しする姿勢が求められています。専門職としての価値・理念や法人理念を、しっかりと理解した上で、それを現場の職員に分かりやすく理解できるよう再言語化することが求められているのです。

 他者が取り組んでいない新しいことに取り組む時、容易には実現し得ない夢や理想に近づく実践時に、人の行動はより尊いものになると認識しています。斯くの如き職場風土でこそ、人は育つし、その職場に誇りを持って留まり続けるものであると認識しているところです。

※1 厚生労働省
「福祉・介護人材確保関係主管課長会議 資料」
(参考資料「介護福祉士等現況把握調査の結果について」)
平成20年12月25日
 福祉・介護分野で働こうと決めた理由
福祉・介護分野の仕事を辞めた理由について見ると、社会福祉士・介護福祉士・精神保健福祉士のいずれも「給与等の労働条件が悪いため」の割合が最も高かった。この他、社会福祉士・介護福祉士については「仕事の内容がきついため」、精神保健福祉士については「職員間の人間関係が良くないため」の割合も多い。

厚生労働省
「福祉・介護人材確保関係主管課長会議 資料」(参考資料「福祉・介護サービス従事者の現状(データ集)」「介護職員の定着の状況等」)
平成20年12月25日
 介護職員の現在の仕事や勤務先を選んだ理由
働きがいのある仕事だと思ったから64.6%・自分の能力・個性・資格が生かせると思ったから36.8%・通勤が便利だから35.2%
介護職員の現在の仕事や勤務先を選んだ理由は、「働きがいのある仕事だと思ったから」、「自分の能
力・個性・資格が生かせると思ったから」が多くなっており、「給与」や「労働条件」の割合よりも、本人の仕事内容に対する意欲の割合が高くなっている。
 介護福祉士の転職理由
仕事にやりがいがない20.5%・職場の人間関係17.1%・給与が低い15.0%・その他30.2%
介護福祉士の転職理由は「仕事にやりがいがない」、「職場の人間関係」、「給与が低い」の順で多くなっている。


※2 田中久夫氏『改訂福祉職員研修テキスト 管理者編』全国社会福祉協議会P.82 2008年5月

※3 姜尚中氏『リーダーは半歩前を歩け』集英社新書P. 56-57 2009年9月




福祉・介護人材育成考��

2011/11/18 12:00:00  地域密着型サービス

人材マネジメントに必要な基本的な考え方


 今回より、5回に渡って人材マネジメントについて叙述させて頂きます。今から継続してお話しすることは、ある一つの考え方に過ぎません。産業界においても、また福祉業界においても人材マネジメントには多様な考え方があります。私の考え方は、ソーシャルワークという専門性と、産業界における組織性を足して二で割った視点であると自己分析を行っているところです。私の考え方が全て正しいと認識しているものではありませんし、それを押し付ける思いも皆無です。あくまで一つの考え方として、捉えて頂き、取捨選択いただければ幸甚に思います。

 まず、第一回目は、人材マネジメントの概要と基本的な考え方、そしてその目的について共通理解を図りたいと考えます。福祉業界における人材マネジメントの構成要素と大まかな流れは、�ゝ畤有∈陵儉G枌岫ぐ蘋��ド床銑�処遇と捉える事が出来ます。人材マネジメントと言えば、直ぐに管理・育成といった言葉がイメージされるかも知れませんが、これら6つのカテゴリーに対して、どの様な方針を持って、実際に何を行うのかを認識する必要がありますし、全体の流れをしっかりと理解する必要性があります。� 峙畤諭廚砲�いては、社会に対してどの様なメッセージを発信すれば繋がりたい人材と接点を持つことが出来るのか。�◆嶌陵僉廚任蓮∨/佑�求める人材の採用基準は何か。��「配置」では、どの様な基準で人を配置し、異動させるのか。�ぁ岼蘋�」では、その目的は何か、それをどの様な方法で達成するのか。�ァ嵒床繊廚任蓮△匹陵佑聞猝椶篁愽犬鰺僂い胴圓Δ里�。�Α崕莇�」では、給与・賞与の体系と福利厚生をどの様な視点で配分するのか。6つの視点で、その方針と実践内容をまず明らかにする必要があるでしょう。これは組織的に実践する必要があると私は考えます。因みに、「地域の絆」における方針と実践内容は当HPに示す通りです。

 全体の流れを捉えて頂いたところで、人材マネジメントの目的について考えてみたいと思います。実は、これが不明瞭であれば、如上の6つのカテゴリーの内容が定まりません。何のために私たちは人材マネジメントに労力を割く必要があるのでしょうか。

 一つは、産業界的な考え方になりますが、私たちの業種は、原材料を仕入れて、それを加工したり付加価値を付与して販売するという単純な経営内容ではありません。この経営活動においては、仕入先から原材料や商材を仕入れるという発想は無く、“販売”する“商品”は職員が提供する専門性と組織性に裏打ちされたケアやサービスそのものとなります。つまり、職員の皮膚の内にある専門性と組織性こそが“製品(product)”に当たるのです。ここの質を高めることが出来るか否かが経営の要諦である業態です。であるにも拘らず、我々の業界はあまりこの分野に熱心に力を注いで来なかったのではないかと思いますし、またそれが社会的評価の停滞を招いているとも分析しています。私たちの業界は、人材マネジメントに労力と時間、資源を投入しなければならない所であり、そのことが組織の発展と継続に欠かせない要諦であることをしっかりと認識することから行動しましょう。

 さて、私たちは何のために人材マネジメントを行うのでしょうか。私は大きな2つの目的があると考えています。一つは、福祉専門職を育成するため、二つ目は、法人職員を育成するためです。私たち福祉や介護の分野には、数百年に渡って裏打ちされた専門性が存在します。その専門性は、法人によって大きく異なるものではないはずです。専門職である以上、どの職場であっても共通する価値・知識・技術が存在します。これが専門性に当たるのです。人材マネジメントを実践するに当たっては、この専門性を組織が理解していなければその管理や指導が出来ません。例えば、厚生労働省は、「求められる介護福祉士像」※1を示していますし、日本社会福祉士会は倫理綱領を明示しています。この様な内容が頭に入らずして、福祉・介護専門職の育成は出来ません。組織の人材マネジメントを担う方々はしっかりとこのことを認識しておく必要があります。

 二つ目の法人職員としての育成については、専門性の中でも何を重点的に実践し得る人材を育成するのか、また法人組織人としてどの様な組織性を求めるのかを理解する必要があるのでしょう。この際最も重要視されるのは、法人理念です。法人理念は、組織の存在意義を示すものであり、職員の考え方の基準や拠り所を示すものです。組織は法人理念を遂行するためにあり、法人が求める人材は、法人理念を遂行するために必要な人材であると言えます。「地域の絆」では、「求められる職員像」を役職や職種ごとに可視化(文書化)して、各事務所内に掲示を行っていますが、その元になる考えは、「法人理念遂行のために必要な職員像」から構築されたものです。法人職員としての育成では、�\賁臉�の中の何処を重点的に実践するべきなのか、�∨/輿反イ留娠鎚�針・機能を鑑みて、どの様な組織性を求めるのか、をそれぞれ考えていく必要があると私は認識します。特に、組織性の考え方は重要です。私たちは個人で実践しているわけではありません。同僚・上司・部下、更には他職種としっかりと連携を図って、チームで対人援助活動を行っています。認知症ケアは一人で出来るわけではありません。私たちは労働者ですから、決められた労働時間しか利用者に接することは出来ませんので、公休や夜勤、早出、遅出といった変則業務の中で互いに情報共有を図って、利用者に接することが基本的なこととして求められています。しかし、その組織性を理解せずに多くの職員が業務に入れば、夜勤帯の出来事を記録に残さず報告しない、家族からの苦情を上司に報告しない、ミーティングで決まったことを守らない、記録に記載されている内容に目を通さないと言った状況が発生します。この様な組織性の不備は、ケアやサービスの低下を強く招くことになります。また、ケアやサービス場面においては、日々様々な課題が発生しているはずです。例えば、送迎のミスや、服薬管理のミス等の決して許されない失敗を職員がした際、それを個人の責任として処理するのではなく、組織全体の問題であると認識し、組織的に解決することが求められますし、その組織力を高めることが良質なケアやサービスには不可欠であると認識できるはずです。この様な、組織性の教育を行うことも、人材マネジメントの要諦であると私は考えています。

 人材マネジメントの目的は、�\賁膺Δ箸靴討琉蘋�と、�∨/与Π�としての育成の視点があり、それは、専門性と組織性の二つの指標でなされるべきであるというのが私の考え方です。専門性と組織性の一般的定義としては以下のような事が言われているようです。「福祉職場においては、個々の職員がそれぞれ固有の専門性をもって活動し、業務を遂行することによって日常的な福祉サービス機能を高度化し(専門性の向上)、もう一方では、一個の組織体として目的に沿った意思統一が図られ、効果的に円滑化する仕組みにもとづいて相乗効果の発揮(組織性の充実)が図られている」※2。

 人材マネジメント自体は、6つのカテゴリーから構成されている旨前述しました。しかし、6つのカテゴリーの中心は「育成」であると私たちは考えています※3。社会構造を鑑みれば、2025年の労働力人口は、2005年比で5〜12%減少すると言われている一方、必要な介護職員数は同90%〜130%増の人員確保が必要であると言われています。これを基に考えても、経験豊富で有能な人材を外から確保するには限界が生まれます。組織の継続・発展のためには、外部産業や新卒者等の未経験者に対する新規開拓も厭わず実践する必要があるのです。つまり、これらの方々を採用し、自法人で育成する仕組みが不可欠となることが明白です。その様に考えても、「育成」は人材マネジメントの第一義として位置づけられるべきでしょう。

 介護保険事業等の社会福祉事業を担う組織は、社会的企業であると私は考えています。社会的企業とは、社会性の高い理念を持ってその遂行のために、ビジネスの手法を取り入れる組織であると考えますが、最も重要なのは社会性の高い理念を持っているということです。社会性とは、社会や地域に貢献すること、他者の役に立つことを重視する性質のことを指します。他の産業界の事業と社会福祉事業が大きく異なる点は、この社会性の高さであると自身は認識しています。人材マネジメントを実践するに当たっては、この社会性の担保も大事な視点となるようです。自法人の職員だけが育てば良いという視点ではなく、地域におけるあらゆる福祉専門職が育っていかなければ利用者は安心してその地域で生活することが出来ません。また、収益を上げる事業性の事ばかりを、職員に教育してもそのモチベーションは高まりません。職員の定着率やモチベーションを高め、福祉専門職の社会的地位を高めるためには、高い社会性の実践が出来る組織風土も必要なのです。

 目の前の利用者への具体的支援が、どの様な社会貢献に繋がっているのか、この仕事が如何に社会的使命や責任を全うできる素晴らしい仕事であるのか、そのビジョンを示すことなくして福祉専門職の育成は出来ないと自身は考えます。「教育とは理想を語ることである・・・」。私の周囲にいる古参者の教えです。




※1 厚生労働省「介護福祉士養成課程における教育内容等の見直しについて」
※2 朝川哲一氏『改訂福祉職員研修テキスト 指導者編』全国社会福祉協議会P.98 2009年1月





二度目の韓国訪問��

2011/11/09 12:00:00  社会福祉

関西国際空港から出発しました!
 初めて韓国に訪問したのは1990年であったと記憶しています。1988年にソウルオリンピックが開催され、その好景気がやや後退した頃に訪問したことを今でもよく覚えています。早いものです。もう、20年の歳月が流れたのですね。私にとっては、まだ新しい記憶の感があるのですが…。

 この度は、日本人間関係学会が主催する「韓国 福祉・医療事情視察」に参加させて頂きました。全日程は、9月5日〜11日まで計6泊7日の旅です。因みに私は、10日の午後から東京で会議が有りました故、10日の午前中一人で引き揚げて羽田に降り立ちました。よって、私だけが5泊6日の視察となりました。「初めての訪中」同様に、今回も複数回に渡って以下思うところを叙述したいと思います。これまた訪中の際と同様、本報告は、韓国の内在的理論を理解していない若輩が、わずか数日間における体感を述べるに過ぎないことを強く付言しておきます。

 9月5日の初日は、ソウル駅周辺のバリアフリーの状況等を視察しました。非常に有能な現地ガイドが、韓国の社会・文化について詳しく説明してくださいましたので、短時間で色んなことが意図して見えるようになりました。

 ソウル駅に着いたのは現地時間の15時前後でした。駅の周辺には50代後半から60代のホームレスの方々が沢山おられました。若い人が多いと、参加者からは声が上がっていましたが、日本のホームレスの平均年齢を鑑みれば同じぐらいではないかと思って歩いていました。ただし、彼らは皆、日本のホームレスよりも胸を張って歩いている様には伺えますので、その分若く見えたのかも知れません。私たちが視察をさせて頂いている間、何度か幾人かの方が、私たちに所謂「物乞い」をされました。有能な現地ガイドが、お金を当たり前のように渡されたのが心証的でした。これらは日本では見られない光景ではないでしょうか。日本よりも寄付文化が発達している韓国では、「物乞い」に応じる民衆を多く見かけました。このように応じてくれる民衆がいるからこそ、韓国のホームレスは「物乞い」をされるのでしょう。日本の場合は、最近は特に応じる民衆がいなくなったように見受けられます。その帰結として、日本のホームレスは「物乞い」をされなくなったのかも知れません。日本のホームレスは、民衆を当てにすることを諦めているのかも知れません。この人たちは何も助けてはくれないと。

 最近読んだ暉峻淑子氏の著書から、次の行が頭を過りました。「私はイラクの救援活動をしたときに、エジプト人の通訳を頼みました。エジプト人は一人あたりの所得がかなり低く、経済的にはとても貧しい国です。いっしょにイラクに行ってもらったのですが、イラクでは死にかけている子どもを抱いている人達や、飢えたりケガをした悲惨な人々にぶつかりました。エジプト人の通訳は私に、エジプトのカイロからイラクまでの往復の航空運賃、ホテル代を除き、通訳料として『一日六〇〇〇円欲しい』と言うのです。普通、通訳料はもっと高いです。
 ところが、そのエジプト人の通訳は貧しい人達に会うと、その六〇〇〇円の通訳料をポケットから出して、惜しげもなくその人たちに渡すのです。そのとき、私のほかにも日本人の学者が二人行ったのですが、私達は、いざというときのために何万円か持っていました。ところが私達は、その通訳の取ったような行動を、まず反射的にとることができないのです。聞いてみると、その通訳の生家も金持ちではないようです。それで私は、『どうしてそんなことするんですか。あなたはカイロに帰って、何か必要なことがあるからこの仕事(通訳)をしてお金を稼いでいるんでしょう』と尋ねると、『喜捨する(喜んで捨てる)ことが、私の喜びだ』と言うのです。確かに、日本人はいつも収支を計算して、損がないように堅実にやっていきます。私はエジプト人のその姿を見て、私達のそういう考え方が何かすごく貧しく思われました」※。続いて、暉峻氏は以下の様に説明します。「人のことを慮るということは豊かさのひとつです。豊かな気持ちというのは、やはり人のことが思えるということです。貧しいということは、自分のことしか考えられないということです」※。

 韓国の寄付文化は、日本よりも醸成されているようです。サムスン電子等の大企業は、挙って売り上げを寄付するのだとか。トヨタ自動車のリコール問題で、韓国でもレクサスが大打撃を受けた年に、現代自動車は売り上げを大きく伸ばしたといいます。しかし、その利益幅の殆どを寄付金に充てたと現地ガイドはおっしゃられていました。それが事実とすれば、これは、日本企業にも是非見習っていただきたい営みと言えます。

 先月訪れた中国に比べ、街は比較的綺麗でした。道路や公共機関の室内の床・壁・天井すべてに渡って汚れが目立たず清潔に保たれた印象です。公衆トイレなどは、比較にならない程綺麗な場所が多かったと認識しています。しかしながら、例えば、清潔に保たれた歩道の端にある溝内などは、タバコの吸い殻が積み上げられ綺麗であるとはとても言えない状況にありました。トイレにしても、日本に比べて、行き届いているとは言えない状況です。

 黄砂の影響があるとはいえ中国の車は、外観及び内装ともに汚れが目立ちましたが、韓国の車はその点綺麗に磨かれていました。日本程ではありませんが、それほど差異を感じないレベルと言えます。日本人が、トイレや車も綺麗に磨きすぎているとも言えますが…。

 ご多分に漏れずソウル駅構内も清掃が行き届き、多くの人で賑わっていました。夜になるとホームレスの方々が構内に入って休まれるそうです。トイレ等の水を使って体を毎日清拭されているホームレスの方もいらっしゃるとか。日本の場合、間違いなくホームレスの方々は夜間構外へ締め出されることでしょう。韓国では今のところそうではないらしい。但し、韓国においても昨今は、そのような対応に対する賛否は丁度半々になっていると現地ガイドはおっしゃられています。しかし、半分であっても、韓国においてはホームレスの方々に対する“寛容さ”があるようです。日本においても10年ほど前まではその様な考えが残っていたのですが、現在は皆無となっています。私の記憶によれば東京都知事が、新宿区のホームレスを強制退去させてしまった辺りから、国民意識の変遷と同時に、ホームレス支援の力が衰退し始めたと認識しております。日本の民度よりも、この点、韓国の民度の方が高そうだと、ソウル駅構内を歩きながら考えました。

 そうそう、バリアフリーの状況を視察に来たのでした。いつも与えられたテーマから外れたことに目が行ってしまう性格です。ご宥恕ください。

 階段の横に、階段傾斜に沿ったスロープがありました。これは中国でもよく見かけた設えです。無いよりはあった方が良いと思いますが、これを利用して重たいキャリーバックを転がすと場合によっては怪我をします。一度中国で試してみたのですが、大男の私ですら転がり落ちる荷物を制御するのがやっとでした。日本の建築基準法上ではまず認められない造りだと、同行していた建築会社の役員はおっしゃられていました。それでいて、階段の傾斜は普遍的に日本のそれより急勾配です。地下道への階段も大変急で目視でその違いが認識できるほどです。

 その他特筆すべきは、注意喚起や標識が多様で、分かりやすいことではないでしょうか。人を表わす標識も子どもや妊婦、高齢者などが一目でわかる標識となっています。駐車禁止区域の標識も、車がレッカー車で運ばれる絵が描かれていました。若者のファッションも日本の若者と大差なく、ファッションやデザインはアジア諸国の中でも洗練されている心証です。

 ソウル駅の周辺に拘わらず、韓国の市街地では、ガムやチョコレートといった小さなお菓子を売って歩かれている女性と男性が沢山いらっしゃいました。私たちにも売りに来られたのですが、どうしてよいかわからず対応はしませんでした。後々、夜の街等でもこの様な場面に何度も遭遇しました。例えば、夜お店で食事をしていると、店内まで入ってきてガムを売りに来られた女性もいました。営業権等の考え方が浸透している日本では中々考えられない光景ではないでしょうか。

 バスの車中から、高級百貨店を多く見かけることがありました。例えば、日本の三越百貨店の跡地に、サムソン電子が経営している百貨店があります。外観からしか伺えなかったのですが、日本のものと比べて遜色ない煌びやかさを感じました。実は、韓国においても生活格差の拡大が顕著らしい。高級住宅街では、高級車が行きかっていますし、駐車場にも殆ど全て高級車が並んでいました。その地域のレストランで食事をしたのですが、楽器の演奏や舞踊を生で見ながら食事をとることが出来るお店です。車は全て新車で高級車ばかり、さらにどれも綺麗に磨かれたものばかりです。高級住宅街の中には、住民の寄付等の支援を受けながらハード・ソフトともに高品質な体制が整った学校があります。そのような恵まれた環境にある子どもと、そうでない子どもとの間で、生活格差の世代間連鎖が巻き起こっている様です。

 韓国では一日に約45名の方が自殺していると現地ガイドの説明。説明を聞いて自身も、そして、参加者一同驚きの反応を示していましたが、冷静に電卓を弾いて計算すれば、人口比で考えれば日本と然程変わらないか、少し多い程度であることが理解されました。日本や韓国のように効率優先の社会はストレスを醸成するのではないでしょうか?

 そう言えば、韓国人は歩くのが速い。何かに急ぎながら忙しく生活している感じを受けました。日本の大阪と少し似ているところがあるようです。中国においても、自己主張がはっきりしている点が大阪に類似していると思いましたし、以前インドネシアに伺った際も、車の運転が大阪と酷似していたのを思い出しました。大阪のせっかちさは、アジア一かも知れませんね。しかし、性急な社会はストレスを増殖するので注意が必要です。次回の大阪市長選では、一福祉専門職として、冷静なる投票を要請したいと思っている昨今です。


※暉峻淑子氏『豊かさへもう一つの道』かもがわ出版 P.45-46 2009年4月



ソウル駅外観


 時間帯にもよるのでしょうか。思ったよりも人は疎らでした。

ソウル駅外観


 ミニ東京駅のような建物が…。

階段の傾斜に沿うようなスロープ


 中国でも、同様の設えを見かけました。重たいキャリーバックを抱えて昇降するよりは楽なのですが、傾斜が急で、荷物のコントロールが難しいといったところでしょうか。


ソウル駅構内


 ホームレスの方々は夜間も構内で休むことが出来るのだとか。トイレ洗面台のお水等で、清拭されているそうです。日本とは、違いますね。


ソウル駅構内のエスカレーター


 注意喚起がわかりやすい設えです。表示物の掲示角度や、位置の高さ等配慮がなされていました。


ソウル駅構内の階段


 階段の勾配は、日本よりも急ですね。


ソウル駅構内のエレベーター


 標識の種類が豊富で、わかりやすいと思いました。


ソウル駅周辺の道路標識


 駐車禁止!よく分かりますよね。

側溝には煙草の吸殻が…。

 路面は日本と変わらぬぐらい綺麗でしたが…。

 小姑のようなブログですね。いけません。


三越百貨店の跡地にサムソン電子のデパート


 煌びやかな建物は珍しくはありませんね。


いわゆる「高級住宅街」にある「高級料理店」で食事

 この度最高級の食事を一番最初に頂きました。経済格差を噛みしめながらの食事でした。



「ちじみ」です。


 見た目もお上品。お味もお上品でしたね。


多くの車は綺麗に磨かれていました。


 各ドアに緩衝用の「スポンジ」が貼付されていますね。これは車を大切にしている証拠だと思ってシャッターを押させていただきました。


他者への想像力を喪失した社会

2011/10/31 12:00:00  社会全般



 2011年10月26日〜30日まで、宮城県石巻市にある地域包括支援センターの活動支援に伺わせて頂きました。3月11日から8カ月が経とうとする時期。遅すぎる訪問でした。宮城県には認知症介護研究・研修仙台センターがあり、認知症介護指導者として大変お世話になっている方々の多い地域です。その他平素よりお世話になっている方々が暮らしています。一刻も早くお伺いしなければならなかったのですが、若輩の段取り不足から今日に至りました。

 この度は、仮設住宅にお住いの方々への戸別訪問とそのコミュニティの調査に携わらせて頂きました。「活動支援」と表現するには烏滸がましいばかりか、却って、現地の職員さんの手を煩わせてしまったのではないかと恐縮しているところです。それでも、現地の職員さんが根気強くお付き合いくださったのは、この教訓を他の地域でも生かしてもらいたいとの思いからではないかと推察しています。自らが被災し、それでも、他の地域を慮る姿勢に敬意を表したいと思います。

 他者の思いを察して知ること。人の痛みを想像し、共感しようとする姿勢。今市井にはこの大切な営みが減退しているのではないかと再認識した5日間でした。他人の気持ちは、100%を理解することなど不可能です。しかしながら、私たち人間には想像する力や疑似体験をする力が備わっているわけですから、その力を用いて、他者の気持ちの60%や70%を理解していくことが可能です。これは、その力を用いて知ろうとしなければ、いつまでたっても理解することはできませんし、強い気持ちで知ろうと思ったところで100%には至らない代物でしょう。ここで私が強く感じていることは、現下の社会では、この「知ろうとしない」人々が多くなっているのではないかと言うことです。

 いくつか例を挙げて、振り返り考えてみたいと思います。写真にあるように、街中には「がんばろう!」「がんばれ!」なる看板や垂れ幕が到る所に掲げられていました。8ヶ月が経とうとしているにも拘らずその被災状況は想像を絶する状況にありました。惨憺たるありさまとは、まさにこのことを言うのでしょう。そこに来て、「がんばろう!」なるメッセージの発信は、受け手の想像力を欠いたものではなかろうかと感じて掲示物を眺めていました。メッセージと言うのは、受け手の状況やその捉え方にまで想像力を巡らせて発しなければ、受け手には届きますまい。つまり、そのメッセージは不毛となるばかりではなく、時に受け手を傷つけることもあるのでしょう。

 同じ被災地においても、災害に対する受け止め方は様々だと認識しました。前を向いて歩こうとされている方、家族を失い未だ「自分だけが生きていて良いものだろうか」と苛まれていらっしゃる方。傍で受け止め支えてくれる他者がいるか否かによって、その状況は大きく変わって来るであろうことは用意に察しがつきます。また、それは、被災時の喪失体験とも密接な関係性があるようにも感じました。築数百年の大切な家が目の前で津波に流されていくことを目視した方。押し寄せる波から命さながら逃げ延びた体験を持つ方。津波は全く目にしておらず、地震のみを体験された方。それぞれの、被災体験によってもその捉え方が随分異なると感じました。しかし、そのような多様な経験と思いを持つ方々がいらっしゃることを私たちはしっかりと共通理解しておく必要があるでしょう。「被災者」は、一言で語れるものではありません。そこには、ひとり一人の異なる体験と思いがあることを知る必要があります。

 生活課題を持っている方々にとっては、仮設住宅は住居の体を成してはいません。両股関節人工骨頭置換の高齢者にとってみれば、足が思うように上がらないことで、浴槽の出入りが出来ない状況にありました。浴室に十分な空間が無いことと、浴槽が深いこと、手すりの位置が無造作であることが原因でした。動作が緩慢である高齢者にとってみれば、玄関の出入りに時間がかかり、結果として、風除室が無いことで風雨の吹き曝しを被ることにもなります。仮設住宅内における全ての通路がアスファルト舗装されている訳ではなく、砂利を敷いただけの設えの所もあり、その際地表の形状は凹凸が顕著で歩行不安定な住民にとっては転倒のリスクが高まります。外灯が整備されている箇所と、非整備の箇所があり、日没時間の早い東北では、夕方以降転倒のリスクが高まるであろう箇所も存在しました。ここにも、提供者と、使用者の二つの視点に乖離があることが伺えます。とにかく、増設して増やせばよいと設置した側と、実際にそこで生活をしている側との思いの乖離が認知できます。これも、立場や視点が変われば物の見え方が変わる代表例かも知れません。本件に関しては、当初は各自が30,000円程度の自己負担を行って、風除室の設置と改修を行っていました。現在では、今後の寒さ対策から、風除室を自治体負担にて設置することが決まっています。その際に、すでに改修した箇所も全て撤去し、画一的に再改修するのだそうです。既設を行った住民にとってみれば、自身の生活にあった設え、例えば便利な棚の設置等、が撤去され画一的なものが取り付けられることに不満を持たれている方もいらっしゃいました。提供者と使用者の乖離がここにも垣間見られます。

 本日地元のあるブロック紙を手に取りました。紙面の内容は、中国地方のブロック紙である中国新聞とは随分様相を異にしています。やはり、原発や震災関連の記事が色濃く打ち出されていました。ここにも、被災当事者と被災非経験者の立場や視点の乖離が見受けられます。

 他者の思いや痛みを察して知る力を、もう少し私たちは培っていかなければなりません。そう言う自身も、当事者に対する聞き取りの際、経験していない被災状況に対する想像力が足りないと反省しました。もっと、想像力が高ければ、もっと共感して話をお伺いすることが出来たのではないかと自問自答を繰り返しました。

 その他活動全体を通して感じたことは、復興の遅さにあります。そして、その遅さの原因は、総体的なビジョンを示し切れていない政府、そして、埒の明かない政府の政策決定をいつまでも待っている地方自治体のビジョン提示力の弱さにあると感じましたし、数名の住民もそのように語られていました。

 その人の環境におけるストレングスの視点で鑑みれば、やはり、地域性を担保した状況での移住が総体的には正の機能を起こしていたように思われます。地域性の担保されている仮設住宅と、そうでない住宅とでは、地域住民の互助・共助機能に主観的ではありますが有意差が見受けられました。地域性が担保されていない住宅では、隣に若い男性が住んでいるにも拘らず、高齢のため換気扇の蓋がはまらないまま放置されているケースもありました。私がその蓋をセットしながら、「お隣の方に頼んだりは出来ないのですか?」とお伺いすると、「知らない人ばかりなので、そこまでは出来ません」とお答えになられました。人は皆、環境におけるストレングスを有しています。その強みを度外視した処遇・対応を行うことは、その後、そのことに対する何らかの(おそらくはフォーマルなものによる)支援が必要になることを意味します。現地のフォーマルな社会資源には限界が来ています。何度も同じ場所へ繰り返し訪問することなど不可能な状況です。であれば、ひとり一人の環境のストレングスたる地域性・共同性を担保した対応が強く求められることが再確認されました。

 この活動を通して、他者の思いや気持ちに思いを馳せること、そのことの重要性を再認識させて頂きました。若輩を受け入れて下さった地域包括支援センターの職員様、調査にご協力いただきました現地の皆様、そして、寝食を共にさせて頂きました全国の社会福祉士会のお仲間、この手配をして下さった事務局の皆様、最後に、私を自由に送り出して下さった特定非営利活動法人 地域の絆 全職員さんに対し深くお礼を申し上げたいと思います。

 視点や立場が変われば物の見え方、捉え方が異なることは自明の理です。であればこそ、私たちはそこに異なるもう一つの考えや思いがあることを絶えず認識して生きていく必要があります。特に私たち福祉専門職は、生活課題を抱えていらっしゃる方々の視点で、社会を捉え、その変革へのアプローチを行う職種です。そのことに対する想像力の欠ける人はこの仕事は向いていないと自身は認識します。

 如上の地元ブロック紙を読んでいると、以下の文面に目が留まりました。
 「とりわけ、障害のある人たちは環境の変化が苦手だ。不自由な暮らしの中でさまざまな困難に遭い、つらい思いをしているに違いない▼再生に向かう地域社会は、障害のある人にも生きやすいものにしなければならない。彼、彼女たちのアート(「障害者アート」)が見せてくれる多様な世界観を尊重できる私たちでありたい」※括弧内は中島が挿入。

 如上のお話が理解できる読者であれば、何も説明の必要はないでしょう。当事者の思いに対する想像力、それこそが私たち福祉専門職の生命線です。では、ジャーナリズムの生命線はどこにあるのでしょうか。




お世話になった石巻市渡波地域包括支援センター外観


 職員さんの前向きさと、ご熱心さに感服致しました。センター長は、私と同級生で、地域福祉に対する思いのとってもお熱い方でした。イケメンです!

同じセンターを担当させていただいたお仲間

ペアのお仲間 静岡県社会福祉士会の小出拓治さん


 息の合うお仲間で、とってもやり易かったです。感謝・感謝。

 私は頭がボッサボッサ。ちなみに早朝です。




3つの地域包括支援センターにて2人1組で活動


 宿泊施設をお借りして、皆さんで寝食を共にさせていただきました。全国から様々な立場の方が集まり、大変勉強になりました。
 
 これは、朝の食事風景ですね。


深夜にまで及ぶ勉強会


 こちらは、夜の勉強会。

 机の上にあるのは・・・・、全て教材ですね。



元小学校の校舎で宿泊


 今は、社会福祉法人ふれあいの里 ラボラーレ登米という障害者の支援施設になっております。長い期間、大変お世話になりました。深くお礼申し上げます。


牡鹿半島の一集落


 初日に被害状況を見て回り、想像力を高めました。


言葉にならない状況


 それでも、想像力を駆り立てました。少しでも、ちょっとでも、皆様の思いに近づけるように…。


そのような気持ちで訪問させて頂きました。

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中島康晴 特定非営利活動法人 地域の絆 代表理事
1973年10月6日生まれ。大学では、八木晃介先生(花園大学教授・元毎日新聞記者)の下、社会学を中心に社会福祉学を学ぶ。巷で言われる「常識」「普通」に対しては、いつも猜疑心を持っている。1億2千万人の客観性などあり得ない事実を鑑みると、「普通」や「常識」は誰にとってのそれであるのか、常に思いを巡らせておく必要性を感じる。いわゆる少数派の側から常に社会を捉え、社会の変化を促すことが、実は誰もが自分らしく安心して暮らせる社会の構築に繋がると信じている。
主な職歴は、デイサービスセンター生活相談員、老人保健施設介護職リーダー、デイサービス・グループホーム管理者。福祉専門職がまちづくりに関与していく実践の必要性を感じ、2006年2月20日特定非営利活動法人地域の絆を設立。学生時代に参加した市民運動「市民の絆」の名前をヒントに命名。
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