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NPO法人 地域の絆

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中島康晴

地域の絆 代表理事 中島康晴

帰納から演繹への狭間で

2010/12/11 12:00:00  社会福祉
認知症介護研究・研修仙台センターに御邪魔してきました。諸先生及び諸先輩方の話に感銘を受けて帰りましたが、まだ頭の中が整理されておりません。
 非常勤講師先の大学や、専門職教育の場で最近よく口にすることがあります。おそらく自身の中だけの一種の流行なのかも知れません。

 「その人らしさの支援」、「尊厳を保持した支援」、「利用者本位の支援」、「生活支援」、「自立支援」、「権利擁護」等々。認知症ケアの場面のみならず、対人援助職における現場では、如上の言葉がよく使われています。実践において重要なのは、これら煌びやかな言葉を目の前の利用者に対して体現していくことにあるのですが、そのためにはまず、この抽象的用語を実践レベルの言葉に置き換えることが求められるはずです。しかしながら、実践現場ではそれが成されていないのではないかと問いかけているのです。

 奥川幸子氏によれば、自らの実践を言語化できる専門職は「第4段階」の中で「第3段階」の専門職※1と位置付けられているように、自らの実践を自らの言葉で言語化する作業が専門職には求められているはずですが、どうもそのことが現場では促進されていないように見受けられます。

 「その人らしさ」とは一体何か?「尊厳の保持」とは目の前の利用者にどのようなアプローチをとることを指すのか?「生活」とは何か?「自立」とは?このような設問に答えられぬ以上、その実践は絵に描いた餅でしかありません。前職の尊敬する上司の言葉をお借りすれば、それはもはや「言葉の遊び」に過ぎません。「その人らしさの支援」をしますと意気込むだけで、何かそれに近づけたような、それが実践されているような気になっているだけでは、専門職として哀しいものが込み上げてきます。

 少し別の視点でよく申し上げているのは、ソーシャルワークや、ケアマネジメントについても同様のことが言えるわけです。私が大学生の折、同級生がソーシャルワーク実習に入っていました。その時彼は、実習指導者であるソーシャルワーカーに、「ソーシャルワークって一体何だと思われますか?」と問うたのですが、返ってきた答えは「よく分からないんだ」、といったものでした。ソーシャルワークをよく分からずに、ソーシャルワーカーとして仕事をしている人々が当時は多くいたように覚えています。十数年経った今ではどうでしょうか。ケアマネジャーに、「あなたにとってのケアマネジメントは何ですか?」と問うて、期待出来る答えが返ってくるでしょうか?以前のことですが、同様の質問を自法人のケアマネジャーにしたところ残念ながら期待すべき答えは返ってきませんでした。

 若輩浅学の私です。正しい答えを持ち合わせているわけでは断じてありません。また正解がないのがこの仕事の醍醐味であることも認識しております。問題なのは、自分たちが大切にしているものは何なのかを認識した上で、その実践レベルにおける定義を自らの言葉で言語化していないことにあります。奥川氏いわく、それを福祉専門職以外の領域の方にもわかりやすく説明できるほどに※2。

 前出の上司に夕食をご馳走になる機会がありました。もう彼此1年ほど前のことです。その際に如上のような話に発展しましたが、「昔の人間はそれが言語化できていた」と彼は仰っておられました。つまり、認知症ケアの走りの時代、現場で利用者のために懸命に実践してこられた諸先輩方が如上の理念型の言語を作り出したのであり、その当時は当然の如く、その言葉の意味を説明することが出来たはずだということです。自らが作り上げた言葉を説明できない者はいないと。

 若輩にとっては、非常にためになるお言葉でした。認知症ケアや対人援助職における現場は、今や帰納から演繹に向かう道程であることが理解されたのです。

 帰納とは、個々の具体的実践から一般的に通用する理論・法則を導き出すことを言いますし、演繹はその逆で、一般化された理論から特殊な理論を推論し説明することを指すことが謳われています。

 それら理念型の言葉は、1990年代以前に現場の実践の中から帰納的に創出されたものなのでしょう。そして時代が流れた昨今、その帰納の過程を知らぬ世代が第一線の現場を担っているため、抽象的用語は実践レベルに言語化されることなく絵に描いた餅として機能し始めているのではないでしょうか。私たちは、今一度、諸先輩が構築された「その人らしさ」や「利用者本位」、「尊厳の保持」、「生活支援」といった抽象的言語を実践レベルに落とし込む演繹的作業を実践する必要があります。

 これも元上司の言葉です。「先輩が構築した理論を、全く進化させずに活用するだけであれば、それは盗人猛々しい行為である」。現在私たちが実践現場で活用している理論は、百数十年に渡って諸先輩方が実践の中で蓄積されてきたものです。それを実践に生かし、そして活用する中で、更に熟成させ、それを後進に受け渡していくことが専門職としての社会的責務なのでしょう。逆説的に言えば、理論を全く知らずに実践している者は非常に“罰当たり”なことをしていると言えます。

 「その人らしさの支援」「尊厳を保持したケア」「利用者本位」を自明の如く掲げ実践している私たちですが、その言葉を今一度実践レベルの言葉に、自らの言語として落とし込むことが今強く求められているのではないでしょうか。

 ――――「介護福祉の専門性を考察するためには、二つの視点がある。一つは理論から考察する場合である。つまり介護福祉の専門性とは何かの問い(定義:理論)から演繹的に見ていく方法である。二つは実践の場から実証的に見ていくこと、帰納的に見ていく方法である。すなわち帰納的方法とは、一人の生活の事柄をよく見る。そして他の事例から共通の因子を見いだして法則性を見いだすのである。学問はこの両者を併用して構築するのである。すなわち理論は実践の場で生かされなければならない。一方実践は理論的な根拠(エビデンス:evidence )をもって行われる。つまり専門性は理論と実践は統合的になることで裏付けされる」※3。


※1 奥川幸子氏『身体知と言語 対人援助技術を鍛える』中央法規 P448-572 2008年8月
※2 奥川幸子氏『身体知と言語 対人援助技術を鍛える』中央法規 P454 2008年8月
「臨床実践のダイナミクス(目に見えない、かたちにならない世界)を根拠だてて映像的に言語化でき、異なる職種や領域への伝達が可能になる」
※3日本介護学会記念講演「介護福祉における専門性」―生活自立支援からー
浦和大学客員教授 黒澤 貞夫氏
社団法人日本介護福祉士会ニュースVol.84(2008年2月15日金)より



信頼の絆と便利さの関係

2010/12/04 12:00:00  社会全般
 最近ソーシャルキャピタルの著書をよく手にしています。東北大学の著名な先生のご講義を受けて以来、自身の実践に照らして鑑みると頭から離れぬ概念となっているからです。

 ソーシャルキャピタルはよく、社会関係資本と訳されていますが、人と人との絆や関係を資本と見立ててそれを増強することを目的として使われているようです。

 人間生活における豊かさは、経済的指標のみでは測れません。懐が温まれば、人の生活が豊かになるわけではありません。人の生活が豊かになるためには、経済的自立のみならず、健康・文化・社会関係・生活技術・信教・政治等の分野における自立が不可欠であることは自明の理です。つまり、経済的な豊かさは、人を幸せにする一つの手段に過ぎないのです。おそらくは、人の豊かさを図るもう一つの全く違った指標としてソーシャルキャピタルは存在するのでしょう。だからこそ、私はその魅力に取り憑かれているのかも知れません。

 写真は、法人本部の所属する仁伍町内会のあるゴミステーションで思わず撮影したものです。いわゆるゴミ捨て場に、ゴミ出しにやってくる住民の心を少しでも安らげて差し上げたいとの思いからお花を植えておられます。お花を植えるのみならず、その前に掃除をし雑草を刈っているのです。これは誰に頼まれたわけでも、決まり事でもありません。住民が自らのご意志で、行動されているのです。素晴らしい取り組みだと思いませんか。心が温まりませんか。豊かな気持ちにならないでしょうか。この様な素敵な取り組みが皆様の地域の中にも沢山あるはずです。しかし、私たちは忙しさの中で、その豊かさを感じることなく生活しているのかも知れません。このような豊かさに目も触れず、また重要視せずに私たちの生活は成り立ってはいないでしょうか。このような行動はお金にならぬ取り組みかも知れません。が、このような豊かさを大切にせずして、私たちは本当に幸せになれるのでしょうか。私たちが生きていく上での豊かさは、実は身近なところに沢山あるのです。そのことを把握し、理解する。そしてそれを増強していく取り組みがソーシャルキャピタルなのだと若輩ながら理解しているところです。

 12月1日にコミュニティホーム仁伍が開設しました。近頃は便利なもので、入り口とトイレの照明はセンサー式になっています。ご存知の通り、来客があればセンサーで明かりがついてくれます。私も夜間出退社する際に助かっています。一方で、隣の地域福祉センター仁伍の玄関にはセンサーが付いていません。向永谷も宮浦西もそうですね。

 センサーが付いていないセンターでは、来客時職員さんが気を利かせて電気をつけて下さいます。センサーが付いていないからこそ、そのような気配りを図ろうと思い行動するのでしょう。では、センサーが付いてしまったらどうでしょうか。ひょっとするとそのような配慮は埋もれてしまうかもしれません。そのようなことの無いようコミュニティホーム仁伍の職員さんには期待を寄せたいと思っております。

 同じ原理で企業では、わざと自動ドアを設置していないところもあると聞きます。手動にして、従業員の方が絶えず気配りをして開閉するのだそうです。それが人間関係の信頼の絆を醸成するのでしょう。これはビジネスモデルの発想かも知れませんが、この取り組みはおそらく直接収入には結びつかない実践であると言えます。その点においては、ソーシャルキャピタルにおける実践のヒントにもなり得るかも知れません。

 如上のように私たちの生活は便利になりました。しかし、決して豊かにはなっていないように見受けられます。経済成長を成し遂げて便利になることのみをもって、私たちの生活が豊かになることはありません。それは手段であって目的ではないからです。

 地域の中で誰もが排他・排斥されない地域社会。困っている方をお互いに支え合える地域。上記事例のように地域住民が豊かな取り組みをしている際、それを認識し、感謝し、増強し合える地域。そのような地域の絆を紡いでいくことが真の豊かさに繋がるものと信じている若輩です。


実は、ごみステーションそのものが地域住民の手作りです。

 地域住民手作りのゴミステーションだからこそ、皆さんで大切にされているのではないかと私は考えています。補助金で業者に委託して作ったゴミステーションであれば、このように大切にされないのかもしれません。

 このゴミステーションは地域の誇りです。私はそう思います。住民の方にも是非そう感じていただきたく存じます。

このような些細なところに幸せは存在します。

 どなたが考え取り組みだしたのか・・・。私はこういったことに幸せを感じる人間です。皆さんはどうですか???

始動するコミュニティホーム仁伍への思い

2010/11/27 12:00:00  地域密着型サービス
コミュニティホーム仁伍 職員自己紹介の場面にて
 11月27日(日)の17時よりコミュニティホーム仁伍懇親会が執り行われました。参加者数は35名。地域の皆様と当法人職員・役員の皆様との交流促進の良い場となりました。

 新たに拠点を開設する際当法人では以下の視点を大切にしております――――。
�ヽ�設の1年ほど前より地域住民に対する説明会を開くこと、�⊇弭�後には、地域住民と専門職を対象とした見学会を2日開催すること、�3�設前には、地域住民を対象とした懇親会を開催すること。

 �,砲弔い討蓮�地域福祉の拠点・まちづくりの拠点をつくるわけですから、施設をつくる前から地域住民との協働の視点は欠かせません。ですので、建設工事を着工する遥か以前計画が定まった時点において、地域住民へのアプローチを私たちは開始しております。地域福祉活動は、開設する以前から既に始まっていると捉えての実践です。�△蓮↓,両�況から常日頃関心を持っていただいている地域住民へのご案内と、フォーマルな社会資源として専門職に認識していただくことで、当事業所の機能と整合性あるニーズをお持ちでいらっしゃる利用者と繋がることも目的としています。

 そして��。利用者に利用していただく前に、常日頃からお世話になっている、またこれからお世話にならなければならない地域住民にまずは施設を利用していただこうという試みです。いかなるお店でも、初めて入るのには勇気がいるものです。しかし、一度入ったことのあるお店は敷居が低くもなりますので、当ホームにおいてもそのような認識を持っていただくための催しでもあります。かつて、ある地域で拠点を開設した際、その懇親会の場で自治会長に「あんたと知りおうてから、もう1年は経っとるなぁ」と笑顔で言われたことがありますが、当法人ではそのような開設の方法を取っているのです。

 当法人の各拠点における地域福祉活動の対象圏域は、自治会を基盤として小学校区までと捉えておりますので、懇親会の際は自治会住民にお声掛けをさせていただきます。実情の把握が十分に出来ていない地域における新規開設に際しては、自治会で何らかの役職をされている方にご案内をさせていただきます。一定の法則性をもった声掛けの方法でなければ、案内を出す方・出さない方の選定方法に主観が入り、その理由を問われることもあるやも知れません。また、案内を出す範囲においても、ある自治会には案内を出し、ある自治会には出さないといった根拠が示せない際は注意が必要です。そうであれば、一層のこと小学校区内の自治会全てに案内を出した方が良いようにも思われますが、それでは恐らく人数が多すぎます。結果として、開設地域の自治会役員の皆様に案内をさせていただくことになるわけです。無論、地域の実情に応じて、説明のできる範囲で、臨機応変な声掛けも行っていきます。例えば、開設に際して大変お世話になった住民の方々や、これからお世話になるであろう方々。大事なことは、なぜあの人を呼んで、あの人は呼ばないのか、と問われた際に一定の説明ができることにあると私は理解しています。事業所にとっても地域にとっても大切な会です。無造作に案内を出すことの無いよう心を込めて対応を行っております。

 懇親会のメニューも、地域の方が恐縮されない程度の家庭的なものを選んでおります。もちろん、飲酒を含めた楽しい食事会です。幾つかの地域で開設すれば、好まれるお酒の種類も地域によって様々です。発泡酒は飲まないという地域もありますし、焼酎よりも日本酒を好まれる地域もあります。また地域住民との距離感によって食事の内容も変わってきます。この度のコミュニティホーム仁伍では、お鍋を提供させていただきました。親密度の低い者同士が始めっからお鍋をつつくことには若干の抵抗があるやもしれません。しかし、ここ仁伍町内会では、4年間の地域福祉センター仁伍での実績がございます。地域住民との親密度はそれ程低くはありませんので、この度はお鍋にさせていただきました。この様に、親密度の変化によって活動の内容が変遷して行くのが地域福祉活動であると私は強く認識しております。

 また、日程や食事・お酒の内容、参加者名簿、席順等を自治会長や住民と話し合いながら懇親会は準備されていきます。建物(ハード)が出来て地域福祉活動が始まるのではありません。建物をつくり、事業を立ち上げる職員の姿勢と志(ソフト及びハート)がまさに、地域福祉活動を促進させているのです。

緊張感はありましたが、意外に慣れていらっしゃる自己紹介でした。

もちろん2次会も開催致しました!中途半端には帰れませんものね!?

優秀な指導者の下で優秀な人材は育つのか?

2010/11/19 12:00:00  社会全般
近頃はフェリーに乗ることが増えました。新たな機会に感謝・感謝。
 新規事業を展開する当法人では、今が新規採用面接のラッシュです。その際、応募して下さった方々から何度もお聞きした話の要旨に、経験豊富な指導者がおらず十分な指導を受けていない、ここでは自分が成長しない、と思ったので当法人の採用面接に応募したといったものが多く存在しました。

 その様にお話しをされた方には透かさずに次の様に質問しています。「そうですか、それは大変でしたね。ところで、ご自身はその間専門書を何冊手に取られて読まれましたか?独自にどのような研修を受けて来られましたか?」。残念ながらそれに対する多くの答えは、自己研鑽の実践が皆無であることが殆どでした。追い打ちをかける様に思わず嘯いてしまいます。「それでは、経験豊富で優秀な指導者の下にいても、その方の指導を十分に受け取ることはできませんよね」。

 学ぶことは、教え手の問題であると同時に、学び手の問題でもあります。インストラクショナルデザインの様に、教え手の専門性を高める視点に立てば、学び手が正しいという原則に立って実践することが求められる訳ですが、学び手が自らの動機を高めて強く学びたいと思い行動しなければそこには限界が生じるはずです。

 優秀な指導者が、優秀な実践者を生み出すのではなく、優秀な学び手が、優秀な指導者を上手く活用出来た際に、その才能を開花させているようにも思われます。指導者が凄いというのは間違いありませんが、その方について才能を開花させた学び手は更に凄いのだと私は認識しております。先生も凄いのだが、それに応える生徒はもっと凄いのだと。

 昨日たまたま見ていたNHKの番組を見ながらその様なことを思い出しました。競泳日本代表ヘッドコーチの平井伯昌氏は、専門外の体験や知識を選手に伝えるのだそうです。マネジメントの本を選手に読ませたり、美術館の絵画鑑賞に連れて出かけたり、大人の集まる会に連れて出る等。平井氏いわく、競泳選手なので競泳のことだけを考えていればそれで良いというわけではなく、様々な経験と競泳を繋ぎ合わせて考えることが出来る選手が強くなる。競泳と関係ないことは一切しないと言った選手は強くなれないのだそうです。

 学生から社会人になり、競泳に必要な体力や技術は向上するが、それだけでは結果が出せないと平井氏はおっしゃられていました。それとは違う分野の出来事を自ら分析して、それを競泳のヒントに繋ぐことが出来る、その様な選手が伸びるのだと。著名な北島選手も然りで、競泳以外の様々な分野の人たちと交流しながら、それをただ単にプライベートだと競泳と分けて考えているわけではなく、その経験を競泳に生かして結果を出しているとおっしゃられるのです。その様な応用力が彼にはあると。

 つまり、学び手に如上の応用力がなければ、どの様な指導者の下であっても多くを学びとることは出来ないでしょう。

 しかし、応用力はどの様に身につけるのか?その第一歩は、目標に向かって信念を持って歩んで行こうとする志の高さにあるような気がしています。今は出来ていない、しかしいつかは到達したい。だからこそ、今を懸命に自己研鑽している志。いつかきっとこうなりたい、だからこそ毎日を投げ出さずコツコツと積み上げている実践。その飽くなき向上心と、志が学び手に応用力を身につけさせるのかも知れません。

 優秀な指導者が、優秀な実践家を生み出すのではなく、優秀な指導者のもとには、志の高い実践家が集まるのです。


※『仕事学のすすめ』「『人間力を高めるコーチング」第3回 ほめずに育てるコミュニケーション術」トランスレーター:勝間和代氏 語り手:平井伯昌(ひらいのりまさ)(競泳日本代表ヘッドコーチ)
本放送 11月18日  PM10時25分〜PM10時50分(教育テレビ)



言葉の重みと発言の難しさ

2010/11/17 12:00:00  社会全般
江田島市沖美町にあるサンビーチ沖美。空も海も澄んでおり、心癒される風景です。
 ある大臣の発言をめぐって、野党より猛烈な批判が巻き起こっている今日この頃です。実はあの発言の場に自身は立ち合っておりましたので、色々と感慨深く勉強になる側面もありました。

 発言の内容自体は、国民感覚からして許し難いものでしたし、こんなこと言ってもいいのかな?、と不安感を持ちながら話を伺ってもおりました。発言内容が不適切であることは自明の理です。

 私が勉強になったと感じる側面は、それが例えどのような状況であったとしても、その発言は独り歩きし、取り上げられるといった事実にあります。そもそも発言とは、一方的なものではなく、受け手との相互作用によって成立するものです。受けて度外視の一方的な発言をする政治家はいないでしょう。よって、その場の受けての雰囲気によって発言者は発言を変えてしまう傾向があるわけです。久しぶりの地元に帰られて、多くの支援者を目の前にした際、それが“冗談”として許される空気があり、その場で発した言葉であっても、その言葉は独り歩きし、別の場所で取り上げられます。それが言葉の重みであり、発言に対する責任なのでしょう。

 特に人前で話すことの多い講師業に従事する者は、自戒の念を持って如上の問題に触れる必要があります。かつて、前職における大恩人より、「お前は人前で話すことの重要性を理解していない!」と叱咤されたことがありましたが、まさにそのことを自覚せずして人前での発言は許されないのでしょう。

 福祉教育や啓発活動を担うことのあるソーシャルワーカーの実践においても、そのプレゼンテーション能力が不可欠であると言われています。人前で話すことの多い私たちも、自分の発言に責任を持たねばなりません。

 自分の発言に責任を持つとは、その発言が独り歩きしても、別の場で取り上げられたとしても、その正当性が説明できること、そのような発言をすることではないでしょうか。自身の信念に基づいて、自身が正当性のあると考える思いを吐露すること、そしてその結果に責任を負うことを決っして発言することが、言葉の重みに繋がるのです。


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中島康晴 特定非営利活動法人 地域の絆 代表理事
1973年10月6日生まれ。大学では、八木晃介先生(花園大学教授・元毎日新聞記者)の下、社会学を中心に社会福祉学を学ぶ。巷で言われる「常識」「普通」に対しては、いつも猜疑心を持っている。1億2千万人の客観性などあり得ない事実を鑑みると、「普通」や「常識」は誰にとってのそれであるのか、常に思いを巡らせておく必要性を感じる。いわゆる少数派の側から常に社会を捉え、社会の変化を促すことが、実は誰もが自分らしく安心して暮らせる社会の構築に繋がると信じている。
主な職歴は、デイサービスセンター生活相談員、老人保健施設介護職リーダー、デイサービス・グループホーム管理者。福祉専門職がまちづくりに関与していく実践の必要性を感じ、2006年2月20日特定非営利活動法人地域の絆を設立。学生時代に参加した市民運動「市民の絆」の名前をヒントに命名。
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