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NPO法人 地域の絆

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中島康晴

地域の絆 代表理事 中島康晴

「すべての人間」の安心・安全を

2013/11/16 23:21:55  社会福祉

 司法関係者は無論、一部の社会福祉専門職の間では自明となっている刑務所の「福祉施設化」にかかる報道に目を留めました。報道紙面によれば、「女子刑務所の入所者がこの20年で倍増し、65歳以上の高齢者では10倍になった」ことを取り上げ、身体機能の低下した高齢者や認知症高齢者の介護を行う刑務官の姿が描かれています※1。実は、刑務所の「福祉施設化」は、高齢化のみが顕著なのではなく、以前から知的障がい者や精神障がい者が多数入所していることが報じられていました※2。斯様な結果に陥る要因としては、社会福祉サービスの対象者に対する不十分な支援の在り方や、社会的排除、司法と福祉の連携不足などが挙げられることでしょう。つまり、本来は生存権の保障たる福祉サービスに繋がるべき人々が、そのセーフティーネットから“零れ落ち”、社会的排除の帰結として、刑務所がその受け皿となっていると単純に推察が出来得るわけです。

 冒頭の紙面の中で、自身としては日々問題意識を有しながらも、やはりそうかと再確認させられる件があります。「国は2007年以降、社会福祉士を各刑務所に順次配置。栃木刑務所の社会福祉士の女性は、刑期を終えた人が介護施設に入る手続きに携わるが現状は厳しいという。『「元受刑者」というレッテルもあり、簡単に入所できない。福祉が受け入れたら、再び刑務所に来ずに済む人は多いのではないでしょうか』」※1。福祉施設が、福祉専門職が出所者を拒んでいる事実。これこそが、思わず目を逸らしてしまいたくなる問題意識の内実でした。もちろん、これは福祉施設や福祉専門職だけがその責を負うべきものでは無く、そうせざるを得ない様々な要因がその社会的背景としてそこにあることは推して知るべきでしょう。しかし、と自身は思います。元来社会福祉専門職は、「すべての人間」をその対象としており、そして言わずもがな「すべての人間」を「かけがえのない存在として尊重する」責務があるはずだと※3。であるならば、社会福祉専門職は、あらゆる偏見や差別と対峙する姿勢を自らが有しておらねばならず、そのためには、偏見や差別を生み出す社会構造にも敏感に反応する知見が求められているはずです。認知症高齢者や障がい者に対しては差別意識を有していないが、「元受刑者」には偏見を抱いているというのであれば、そもそも社会福祉専門職としてはその資質が問われてしまうと思うのです。

 5・6年ほど前から、自治体の人権学習会の講師としてお招きいただく機会が増えています。昨今の傾向としては、「誰もが安心して暮らせる…」「誰もが自分らしく生きていける…」といった主題が多いように記憶しています。若輩は語ります。主題の中で最も尊い重要なキーワードは「誰もが」であるということだと。「私たちの」や「地域住民の」などといった限定された人々にとっての安心・安全ではいけないと。認知症高齢者や障がい者、要保護児童、生活保護受給者、そして、「元受刑者」を当然に含めた文字通り「誰も」でなければならないと訴えるのです。仲良しグループは排除の理論で成り立っていると大学時代恩師から教わったことを記憶しているのですが、斯様な閉ざされた社会ではなく、開かれた社会を我々は構築すべきであると強く認識します。

 社会福祉制度は、旧来に比べれば、その種類は遥かに充実してきた感があります。介護保険事業の種別も20種類以上存在し、恐らくこの種類の多さは世界に比類無い位置に君臨するものと思われます。一方、その縦割り化された制度下で働き続けてきた社会福祉専門職の意識に選別主義が蔓延っているようにも見受けられます。今一度、私たちは「すべての人間」を対象にする実践を再確認し、本来の普遍主義たる社会福祉実践を取り戻さねばなりますまい。如上、私が日々有していた問題意識はこの事に帰結するものと思われます。

 私たち社会福祉専門職は、クライエントの視点で社会と対峙し、時にはその変革を促進する専門職です。その上で、差別や偏見に対する対峙、時には闘いは避けては通れないと自身は考えております。しかし、一方で、「すべての人間」を対象にした実践を絶えず意識する必要があるのでしょう。極論すれば、クライエントに差別意識や偏見を有する「人間」も、私たちの実践の対象であると言うことです。地域の絆における地域福祉実践において、いつも留意しているのはまさにこの点にあります。生活課題を抱えている人々を対象とするだけでなく、この人々を排他・排斥している人々をも対象に捉えて実践をするのだと。逆に、批難し排他・排斥するものでは断じてあり得ません。その大局観を持った連帯と連携こそが、私たち社会福祉専門職の考える社会変革を真に促進していくものと信じている訳です。


※1 森本美紀「『まるで福祉施設』女子刑務所で高齢者急増」『朝日新聞』2013年11月16日
※2 矯正統計(2012年度)によれば、2012年度の「新受刑者の罪名別能力検査値」で知能指数69以下の方の割合は、21.1%となっている(テスト不能者を含めれば24.4%)。
※3 カギ括弧内は「社会福祉士の倫理綱領」の「価値と原則」より抜粋。


「公益」を顧みない福祉施設の末路

2013/11/12 00:03:54  社会福祉

2005年11月28日某週刊誌の投書欄に投稿しましたが、掲載されなかったものです。


 市井では、介護保険制度の導入も相まって普通法人から公益法人まで、様々な経営主体が福祉施設を運営している。そうした中、競争を意識してか、公益事業を行わない法人が増えてきている。

 言うまでもなく殆どの福祉事業はビジネスではない。支援費制度はもちろん介護保険制度においても、一定の公的資金が報酬に含有されているからだ。そういった意味では、収支バランスだけを考えれば、「儲かる」仕組みにはなっている。しかしそれは、直接収入に結びつかない、例えば制度外の社会的ニーズに応えるための活動を展開することへの「報酬」でもある。

 今日こうした直接収入に結びつかないいわゆる公益事業を展開している福祉施設はいかほど存在するのか?社会福祉法人が税制上の圧倒的優遇措置を受けているのは、このような公益事業を使命的に行うことが前提であるが、社会福祉法人は公益事業を積極的に行っているのか?昨今の、公益法人制度改革の意図は別のところにあるのだか、社会福祉法人の多くが公益事業・活動を行っていない組織であるならば、件の優遇措置を絡め取られたとしてもそれは仕方の無いことかも知れぬ。

 介護保険施設の利益率が、民間病院の約五倍である事が最近厚労省から発表された。「儲ける」だけの視点で経営を続けていると、「報酬単価」は必然的に下げられる。財政破綻寸前の行政も、まだ「余力」があるのならと、喜んで支出を抑えよう。これからの私達の仕事は、その付加価値として、いかに公益事業を仕事として地域に根付かせて行けるかに懸かっている。


サンタバーバラでの学び

2013/11/08 13:21:52  日常

 世界的研究者に教えを乞いに来たここサンタバーバラとも明日でお別れです。彼の専門分野は社会福祉ではありませんでした。しかし、こちらに伺う前からの予想通り、いやそれ以上の社会福祉実践における薫陶を受けることが出来ました。細やかな学びについては、別途個人的に纏めておくとして、ここでは発信でき得る3つのことについて叙述しておきたいと思います。

 1つは、熟慮の不足する社会に対する憂い。ジョン=ロックや、アダム=スミスといった伝統的哲学や経済学の原書を読まないその道の実践家が増えているとのお話でした。斯様な原書を手に取って、時間をかけて熟読し、自らの人生や現下の社会に思いをはせながら熟慮する必要があるのだと。確かに、現下の社会は熟慮の必要の無い、ある種自身にとって“負担”の少ない音楽や書籍が流行っているとも思われます。私たちは、深く考えることをいつから止めてしまったのでしょうか。また、そうさせているものは一体何なのか。

 例えば、「変革」や「発展」の定義についても原書を基にした解説を頂きました。そこに、従来からの自身の捉え方とは異なる示唆がある訳です。私たちは、職務を含んだ日常の暮らしの中で、如何に物事の意味を考えずに生きているのか、斯様な熟慮の機会を逸して生活しているのか、幾度か自問自答せずにはいられませんでした。と同時に、脳裏に浮かんだことは、「尊厳の保持」「利用者本位」「その人らしさ」「自立支援」といった当分野におけるその一見美しい言葉の数々でした。これらは、真に何を意味する言葉なのか。その理解無くしてその実践は不可能であるにもかかわらず、その熟慮の機会を私たちは有していないのではないでしょうか。まさに、言葉の遊びを重ねつつ、自己満足に浸る実践が津々浦々で展開されつつあるのではないでしょうか。

 こんな時代だからこそ、私たちは率先して、一見面倒臭い事や、回りくどいとも思われる熟慮の機会を忌避せず取り込んでいかなければなりません。もちろん、これらの取り組みが、私たちの実践に即効性ある形で成果として現れることは期待できないでしょう。しかし、比較的長い人生において、その実践の幅と深さを押し広げ、やがて実践における大いなるそれが糧となることは誰もが否定するものではありますまい。また、斯くの如く熟慮の過程においてのみ人間は成長していくものなのかも知れません。容易に手に入る知識や技術による実践では、やはり先駆性や卓越性は期待できないものと再認識することが出来ました。人生や社会に係る伝統的書物や「意味ある他者」との出逢いを通じて、自らが頭を使い、足で稼いだ熟慮の結果にこそ、私たちが人間として、また、社会が「発展」することにそれが繋がるのでしょう。

 2つ目は、やはり、他分野から学ぶことの大切さにありました。ご教示頂いた彼の専門分野は社会福祉ではない旨叙述しましたが、それに加えて、彼は研究者としての実践家であり、分野と実践形態の異なる世界でその名を轟かせておられる方です。思想的には近くとも、その視点が異なれば、従来全く気づき得なかった学びが生成されるものだと改めて気づかされました。例えば、ソーシャルワークの援助過程やソーシャルワーク定義における一般的図式の「間違い」を指摘したり、当分野において自明に用いられている「その人らしさの支援」や「自己決定支援」における「違和感」についておっしゃられていました。援助過程においては、時々に変化する利用者のニーズに対応することを考えれば、矢印の在り方は螺旋形が相応しいことや、「自己決定」や「その人らしさ」はクライエントが決める事であるため、それを他者が支援することに些か違和感を有するとのことでした。ご指摘は尤もだと認識します。今まで、当たり前に思っていたことがそうではないと改めて気づかされた次第です。また、会話の中では、他分野の知見を援用して自らの実践に用いることは勿論なのですが、こちらの実践や理論を他分野に活用してもらうことを念頭に置いた実践やその発表の重要性も示唆されました。今後斯くの如き視点で、実践を展開していこう決意しました。

 そして、最後は、今ここの拠り所となる信念とそれに対する情熱を携えることの重要性にあります。とっても、情熱的な方でした。そして、その信念が実践に対する尊さを醸成されているようにも見受けられました。予てから、人間を説得させる要素は、理論・データ・情動性であると理解をしてきました。良くも悪くも、人々は情動性により、その行動を左右するのだと彷彿されました。またこの信念は、社会に対する視座そのものであり、社会に対する問題意識の在り方であること。社会に対する“あるべき姿”に向けての提言及びその実践が人と人とを強く結びつけるのだと強烈に感じることが出来ました。

 サンタバーバラの時間は19時を回ったところ。この度の学びを文書に纏めつつ、明日出立するための荷造りをしています。出逢いとは、人と人とが自らの思いに導かれた行動の帰結として成されるものだと学んだ記憶があります。つまり、出逢いは、運命ではないと。確かその様に、恩師の講義の中で語られていた覚えがあります。この度の斯様な出逢いに、深く感謝しながらも明日帰国の途に就きます。



「介護予防」について

2013/11/03 00:25:56  社会福祉

2005年4月18日某週刊誌の投書欄に投稿しましたが、掲載されませんでした。

 本欄にて最近「介護予防」についてのやり取りがあったが、私も思うところがあるので以下叙述してみたい。

 「予防重視型システムへの転換」は現国会審議中の介護保険法改正案の目玉である。結論から言うと、「介護予防」を目玉と捉えた所に問題があると考える。「介護予防」を必要な視点の一つであるとは考えるが、それを優先順位の最上位に持って来る所に疑問が生じる。現場の人間として「介護予防」たるリハビリの必要性は実感するところではあるが、それはあくまで高齢者の生活をより豊かにするための「手段」であって「目的」ではない。その「手段」を重要視するところに違和感をおぼえるのである。それは、「介護予防」を重要視し目的視することで健常者中心主義へと発展することへの危惧からくる。

 世の中には常に優位的基準がある。時に「常識」や「普通」と言われるものであるが、それは社会的弱者の論理を度外視した基準でもある。そういった意味では、健常者の「普通」は障害者の「普通」ではありえない。「介護予防」を重要・目的視することは障害者を健常者の「普通」に当てはめることに繋がる。

 大切なのは、高齢者ひとり一人が納得した人生を最後まで送ることである。誰だって自分の事は自分でしたい。そのために「介護予防」は必要であるが、それはあくまで豊かな生活を送るための一つの「手段」でしかない。



「進歩」への近道

2013/10/30 22:44:16  社会全般

2008年8月9日某週刊誌の投書欄に投稿しましたが、掲載されなかったものです。

 新自由主義の名のもと、市場競争の中で、忙しく人類の科学技術は進歩を遂げた。数年前には想像もつかない便利なシステムや製品が世に生まれ続けている。これはひとえに、人類が競争原理のもと切磋琢磨と仕事をしてきた結果であると私は思う。

 競争原理は適度な緊張感を生み出し、人間の才能を最大限に引き出す効果がある。「勝つか負けるか」目前の一勝を勝ち取るために、多くの人は日々闘っているのである。

 人類の進歩を考えた時、科学の進歩とそれは、反比例の関係にあるように思う。科学が目まぐるしく進歩していく一方、人の心はどんどんと貧困化している。便利な生活を享受している一方で、何か大切なものを失っているようである。

 余裕がなくなるためか、競争原理社会の住人は、近視眼で非俯瞰的になりやすく、広い視野を持って長期の展望を考える視点が持てないでいる。

 今社会に最も必要なのは、長期的で、俯瞰的な視点ではないだろうか。目の前の一勝を絶えず求められる競争社会では、生まれにくい視点である。

 そのためには、競争原理における一見非効率で、無駄に思える取り組みが不可欠だと思う。目的地へ一直線と歩まずに、意図して遠回りをして目的地へと到達する。人々の心に、今まで自分では気付き得なかった新たな思いが芽生えるかもしれない。

 その遠回りこそが、実は、人類進歩の最短の近道である気がしてならない。

中島康晴 特定非営利活動法人 地域の絆 代表理事
1973年10月6日生まれ。大学では、八木晃介先生(花園大学教授・元毎日新聞記者)の下、社会学を中心に社会福祉学を学ぶ。巷で言われる「常識」「普通」に対しては、いつも猜疑心を持っている。1億2千万人の客観性などあり得ない事実を鑑みると、「普通」や「常識」は誰にとってのそれであるのか、常に思いを巡らせておく必要性を感じる。いわゆる少数派の側から常に社会を捉え、社会の変化を促すことが、実は誰もが自分らしく安心して暮らせる社会の構築に繋がると信じている。
主な職歴は、デイサービスセンター生活相談員、老人保健施設介護職リーダー、デイサービス・グループホーム管理者。福祉専門職がまちづくりに関与していく実践の必要性を感じ、2006年2月20日特定非営利活動法人地域の絆を設立。学生時代に参加した市民運動「市民の絆」の名前をヒントに命名。
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