相関性のある一般民衆の生活と施設利用者の生活
今回の訪中の目的の第一義は、現地の介護施設の視察であり、そこでの交流でした。訪中の期間で、2カ所の介護施設に訪問することが出来ました。
両者は共に民間主体の介護施設でしたが、規模や財政状況の異なる施設に見受けられました。その様な異なる2つの施設にお伺いさせて頂いたのですが、共通して感じたことが3つ御座います。その3つの思いをここでは叙述させて頂きます。
第一に同じ専門職としてとても嬉しかったことがあります。それは、介護職の方が非常に明るくお仕事をされていたことです。日本の介護職の仕事ぶりを見ていると、忙しさのあまり眉間にしわを寄せてしまっている職員や、悲壮感を漂わせている職員をよく見かけます。私が訪れた中国の介護施設では、そのような職員さんを見ることが無かったと記憶しております。殆どの職員が笑顔で仕事をされているのです。私も一応は専門職ですから、言葉が通じなくとも、それが作り笑いなのか否かは察しがつきます。そう、明らかに自然な笑顔がここにありました。そして、利用者を見る眼差しに無垢感と優しさを感じました。専門性の如何に拘わらず、純粋に高齢者が好きなのだと察して見ていました。
以前、古参の福祉職が、児童養護施設の職員は昔の方が皆笑顔で仕事をしていた旨のお話をされていたとことをふと思い起こしました。今より人員配置も、収入も少なかった昔の職員の方が笑顔で仕事をしていた。話を聞いた際若輩には直ぐに理解が出来なかったので、このお話をよく覚えていたのだと認識しています。氏曰く、今は記録を残すことが強要され、書類仕事が半端なく増加した。だから、人員配置が増えても職員はデスクワークに駆られ、多忙化し、クライエントとも関わることが出来ず、眉間にしわを寄せて仕事をしていると。
確かに人員配置が増えたとしても、その分書類管理や、リスクマネジメント・コンプライアンス・プライバシーポリシーを守るために多様な業務が増加しているのは否めない事実であり、職員の業務量は減少どころか増加の一途を辿っているようです。これは飽く迄私の推察の範囲のお話ですが、古き日本のそんな良い側面がココにもあるのかも知れないと思って彼女たちと接しておりました。
二つ目は、前述した一般民衆の生活水準と、介護施設内における利用者の生活水準の関係性にあります。下記の写真にあるように、都市部は区画整備が公的に進められ、新居に転居した住民の住環境は高水準にあるものの、大多数の民衆の住環境は決して高い水準にあるとは言い難いのが現状です。例えば、首都北京の幹線道路を跨ぐ陸橋でさえ、所々に穴が開いており、その隙間から自動車の往来が見える有様です。私たち日本人の感覚からすれば、直ぐに手直しをしなければならない“欠陥”の状態にあるわけですが、こちらでは欠陥どころか“普通”の存在としてあるようです。このような状態が普遍化している社会において、介護施設内における住環境が日本のそれと同じ水準ではないことは自明の理なのかも知れません。
私たちが訪れた施設は、富裕層の方々が多額の自己負担をもとに入所される施設ではなく、民間が主体的に運営しているものの何らかの公的支援が担保されている施設でした。ですので、おそらく社会保障の対象になる様な施設に該当するものと察しているところです。公的支援を投入し、いわゆる社会保障や社会福祉サービスの対象としての介護施設の在り方を考えると、やはり、一般民衆の生活水準や住環境と、その中にある生活の質は相互作用の関係にあるべきとの考え方が主流であると認識しています。つまり、一般民衆の生活水準が低いにも拘わらず、公的支援がなされている介護施設内の生活水準がそれ以上に高い水準であることは、余程成熟した民度を持たない限り考えにくい。おそらく、北欧の福祉国家ですら、社会サービスは一般民衆の生活水準と同レベルで提供されるべきとの考えが主流なのだと理解しています。真に成熟した福祉国家では、社会的弱者こそ、一般民衆よりも質の高い生活が保障されていなければならないと認識するのやも知れませんが、未だその様な成熟した国家はこの世に存在しないと理解しています。
経済至上主義社会を標榜する日本や中国においては、未だ劣等処遇の原則、つまり、社会サービス受給者の生活は、一般民衆のそれよりも、劣悪でなければならないという考えが蔓延しているのが現状です。そのことを鑑みても、介護施設内の生活水準のみが今後飛躍的に向上することはないでしょう。飽く迄も、一般民衆の生活水準が向上したその後を着いていくことになりそうです。如上の観点から再認識し得ることは、福祉国家であれ、経済至上主義国家であれ、共通するべき考え方は、一般民衆の生活水準と、社会サービス利用者の生活水準は相互作用の関係にあるということです。私はそれに加えて、一般社会の価値と社会サービス従事者の価値にも相互作用性が強く存在しており、結果として、社会の価値が社会サービス利用者の価値や生活にも多大な影響を及ぼしていると認識しているところです。クライエントに対する社会福祉サービスの質を高める営みの行き着く先は、社会の価値や構造を変革することにある。つまり、ここにソーシャルワークの存在意義があるのだと改めて認識しました。
最後の三つ目ですが、私が拝見させて頂いた施設に限って言えば、端的に25~30年ほど前の日本の施設が想起されるものでした。それだけの歳月の“遅れ”があると感じた次第です。それが仮に普遍的な事実であったとしても、中国が日本に追いつくために同様の期間が必要なわけではありません。例えば、ここではオムツをあまり用いていらっしゃいませんでした。実は、乳幼児にもオムツを用いる風習は無いようです。乳幼児のズボンの臀部には同様に割れ目があり、そこから排泄する場面を目にすることがありました。日本のようにオムツ文化が浸透していない模様です。
だからと言って、オムツを勧めることには若干躊躇をしました。日本の歴史を振り返ってみると、サービス提供者主体の時代から、どのような利用者に対しても一律・画一的にオムツの使用を強要してきた事実があります。その後、利用者本位のサービスが謳われ出し、尊厳の保持や個別ケアの実践が成される過程で、個別の排泄ケアが導入され、オムツ外しが盛んに行われた末現在があります。そのように考えると、日本が犯した“失敗”を中国の介護職が犯す必要はないと思いました。また、オムツという文化そのものが善なのかという単純な疑問もあります。例えば、保育場面においてもオムツがなければ、排泄時の子どもの反応を大人たちはもう少し必死で探ろうと観察するのかも知れません。“失敗”してもらっては大変だからと、介護者や保育者はクライエントをもう少し意識をもって観察するようになりはしないでしょうか。
少し極端な例かも知れませんが、何が正しくて、何が間違っているのかを判断することはそれほど容易なことではありません。自身が信じてきたことが、違う角度から見れば大きく“間違って”いることも珍しいことではないでしょう。裏を返せば、日本文化の尺度で中国を見て“間違って”いると捉えたところで、中国文化からは全く“間違って”いないことになります。
私は時に、自身の信じて拠って立つその立ち位置を意図的に揺さぶってみることを大切にしています。上手くできているかは不明ですが、そのように努め立ち振る舞うようにしています。違う言い方をすれば、自己批判・自己否定をする時間を意図して設けているのです。自分の信じてきたもの、積み上げてきたことを一度批判的に見直してみること。これは大変な苦痛を伴いますが、それをせずして人は成長しないと考えるに至りました。このことを再確認できたことが、訪中の自身に対する最高の“お土産”だったのかも知れません。
私の尊敬するアーティストであるザ・ブルーハーツの甲本ヒロト氏も歌っています。
「永遠なのか 本当か時の流れはつづくのか
いつまで経っても変わらないそんな物あるだろうか
見てきた物や聞いた事いままで覚えた全部
でたらめだったら面白い
そんな気持ちわかるでしょう~」※
皆さんは、「そんな気持ち」分かりますか。
※ ザ・ブルーハーツ「情熱の薔薇」作詞・作曲 甲本 ヒロト氏
介護施設Aの外観
隣には診療所が併設されています。
介護施設Aの玄関
日本の感覚では派手やかな玄関です。
証書および勲章文化
玄関に立派なものがいくつか設置されています。その他、行政機関等の玄関にもたくさん掲げられていました。
パワーリハの器材!?
一通り揃っているようですが、使われた形跡があまり感じられませんでした。
ある居室(個室)での風景
娘さんかお孫さんが、面会に来られていました。
私物をある程度自由に持参
在宅生活により近い家庭的な雰囲気を感じました。
日本のトイレの清潔感は世界一
改めてその様に実感しました。
施設管理者および職員さんとの情報交換
気づいた点・思ったことを率直に話してみました。
管理者の方は、非常に熱心かつ前向きに私たちの話を聞いてくださいました。日本のケアの質が高いことはよくご存じで、興味があることが伝わってきます。
現場の職員さんとも情報交換
皆さん非常に明るく、自然と寄り添うケアが出来ていました。
とても前向きな姿勢で話を聞いて下さいました。
ちょっとした段差が彼方此方に
階段の滑り止めにも段差があり、少し危険を感じましたが…。
北京の幹線道路に架かる陸橋
首都の発展した地域でも、このような状況が散見されます。
北京の幹線道路に架かる陸橋
下が透けて見えます。
陸橋の下はこのような状況
石家荘市内は、クラクションの嵐でしたが、北京ではあまり聞かれませんでした。
ここ1年間で、クラクションの数が急激に減り、車線変更の際に方向指示器を出す車が増えたと現地の方が教えてくださいました。
介護施設Bの外観
先ほどのAよりも、財政状況および新しさにおいて、不利な状況に見受けられました。
高い塀と門に囲まれて…。
日本の介護施設では今や見られぬ設えです。
アクティビティの材料
高齢化が進行してまだ間もないためか、元気な高齢者が多いと認識しました。
日本の介護施設も20年ほど前は、元気な高齢者が入所され、朝はラジオ体操等をしていましたし、おむつ交換時等は職員のお手伝いをして下さる利用者もいらっしゃったと聞いています。
それと同じような状況が、ここ中国にもあるようです。
シャワー室
湯船につかる習慣は無い様で、シャワーが主流であると伺いました。
どうも床屋からもらった洗髪台をシャワーチェアー代わりに活用しているようです。
介護施設B建物外観
二階建てですが、当然エレベーターはありません。
代わりに車いすでも昇れる階段が…
「昇れる」を「登れる」と表現したほうが適切かもしれません。とっても急な傾斜となっています。
居室にあるトイレと洗面台
共用のトイレ
このタイプのトイレが中国では主流の様です。間仕切りが無く、座ってするのですが、こちらに向かって座るそうです。
日本でも昔は介護施設には和式トイレがありました。生活習慣の変遷と共に無くなってしまいましたが…。
スローガンが多く掲示
「全てはお年寄りのために…」という意だとか。
人の意識は変遷します。
意識すれば出来る⇒意識しなくても出来る⇒忘れてしまう⇒意識すれば出来る⇒・・・・
だからこそ、当たり前のことでも標榜する必要があるのです!!
台所か厨房か…
日本の衛生面が突出して秀でているのかは分かりませんが…。
スロープの傾斜
急な傾斜であるために、滑り止めの段差を設けています。
明るい介護職員さんたち
気さくで明るい方々でした。利用者に対してもフレンドリーな感覚です。
帰りは路線バスで
バスの車窓からコミュニティを発見
道端や公園の一角で、このような地域住民の集う場面を多く見かけました。地縁は強く存在するようです。
今夜は屋台で夕食を
観光客がまず行かない場所での食事です。
現地文化に触れる丁度良い機会です。
羊の子宮を誤って食べました
皆さん召し上がられたことありますか?
串焼きになっていたのですが、注文と異なるものが混在しており誤って食したところ…。流石の私も、飲み込むことが出来ませんでした。
少しトラウマになってしまいました。
文化の違いに触れることはできましたが…。
帰国前夜。
皆さんであるお店に行きました。
そうです。フットマッサージのお店です。
60分25元
当時のレートで、1元13.5円ですから、約337円となります。
コップも漆器も
レストランでは、プレートとシルバーはこの様に出されていました。
公園が活用され
コミュニティの形成がなされているように伺えます。日本の公園は、よく閑古鳥が鳴いていますね。
首都北京市街地の歩道
この様な設えを多く見かけました。
いざ日本へ…
実はこの後、惨劇が…。
危うく飛行機に乗り遅れそうになり、搭乗口まで3人でダッシュをしました。
その時の写真が示せないのが残念です。
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