2010/06/12 12:00:00
地域密着型サービス NPO法人地域の絆における今年度の事業計画では、2010年12月にコミュニティホーム仁伍、2011年3月に地域福祉センター鹿川【仮称】を開設することとしています。
今後本ホームページ・ブログにおいて、それぞれの拠点が開設されるまでの道程を詳しくご紹介していきますので、是非とも小まめにお立ち寄りいただきたく存じます。
第4期福山市介護保険事業計画に基づいた2010年度指定認知症対応型共同生活介護の公募を経て、当法人が指定事業者に選定されました。グループホームの定員は2ユニット18名です。グループホームという名は既に市民権を得ており、「特養」「老健」と同等、いやそれ以上に実態がイメージされやすい言葉となっています。当法人では、敢えてその「グループホーム」という言葉を用いず、「コミュニティホーム」と建物の名を命名することにしました(事業名は「認知症対応型共同生活介護」を使用)。2006年4月より地域密着型サービスが創設され、グループホームもそのカテゴリーに位置付けられました。つまり、住み慣れた地域の中で継続的・包括的な支援を受けるためのサービスとして位置付けられたのです。あくまで私の個人的な心象に過ぎませんが、従来のグループホームケアは、目の前の利用者にどの様なアプローチをするかに焦点化したケアであったと認識しています。しかし、これからのグループホームケアは、利用者の背景には地域があることをしっかりと認識し、その地域をも支援の対象に捉えたケアの実践が求められているのではないかと思うのです。利用者が今まで生活の基盤とされていた地域と、現在の生活を切り離すことなく一体的に支援していく視点を専門職は持つ必要があります。
その様な観点から、敢えて「コミュニティホーム」と名付けた次第です。「コミュニティホーム仁伍」には、グループホーム機能のみならず、地域交流スペース、福祉よろず相談室、研修室、法人本部事務所の機能を有することとなります。建物は、鉄骨3階建てで、1・2階がグループホーム、3階が地域交流スペースとしての料理教室のできる部屋、地域にも開放できる職員研修室、法人本部事務所を設けています。2階にグループホームがあることで災害時利用者の命を守ることができるのか?といったご心配をされる方もいらっしゃるかも知れません。ご安心いただきたいのは、1階のグループホームの浴室・エレベーター・階段部分は半地下になっており、玄関の方角が異なるものの2階からも1階同様に出入りができる構造にしております。詳しくは、今後のホームページ・ブログにてご確認いただければ幸甚です。
私たちがもう一つ大切にしていることは、利用者の社会的役割の創出です。地域福祉の概念にもあるように、高齢者や障害者は「支えられる側」に固定された人たちではなく、環境や立場が変われば「支える側」回ることがあることをしっかりと認識して対人援助を行う必要性を感じています。判断能力が低下した認知症の方であっても、「寝たきり」の状況で意思疎通が困難な利用者であっても、そこには必ずご本人の志があることを認識して援助活動を行うことが自明ではありますが重要です。その営みが、利用者に対する人間としての尊厳を保持した実践に繋がります。
コミュニティホーム仁伍においては、パーソンセンタードケアを第一義とした上で、就労に近い形の活動を模索していく計画を持っています。3階部分において、障害者自立支援法上の児童デイサービスの運営を、専門職と一緒に認知症高齢者が主体的に参画していく実践や、地域住民との協働で朝市の運営に携わっていく実践を計画中です。具体的な実践内容は、状況に応じて変遷していくものと思われますが、大きな方向性については相違ありません。
是非期待を持って、コミュニティホーム仁伍にご注視いただければ幸甚です。
工事が始まる前の風景(もう二度と見ることの出来ない風景です)
奥に見えるのが地域福祉センター仁伍です。相互に自由な出入りが可能です。
手前が二階の玄関で、1階の玄関は地域福祉センター仁伍側につくられます。
「菅内閣は左翼政権」と安倍・麻生両元首相が批判をされているそうです(『朝日新聞』2010年6月8日)。私は政治学者でも専門家でもありませんので、その辺りのことはよく分かりません。政治に関しては、左翼・右翼の定義も理解していないずぶの素人です。
しかしながら、社会福祉の仕事は、公の責任の下実践される要素が強くその意味において、政治と社会福祉実践は密接な関係にあるようです。その観点から以下叙述します。
菅直人首相は、8日午後の就任会見で下記のように述べたと聞きます。
「私は政治の役割とは、国民が不幸になる要素、あるいは世界の人々が不幸になる要素をいかに少なくしていくのか。最小不幸の社会を作ることにあると考えております。(中略)貧困、あるいは戦争、そういったことをなくすことこそ政治が力を尽くすべきだと、このように考えているからであります」。
「社会保障についても、従来は社会保障というと何か負担という形で、経済の成長の足を引っ張るんではないかという考えが主流でありました。しかしそうでしょうか。スウェーデンなど多くの国では、社会保障を充実させることのなかに雇用を生み出し、そして若い人たちも安心して勉強や研究に励むことができる。まさに社会保障の多くの分野は経済を成長させる分野でもある、こういう観点に立てば、この三つの経済成長と財政と、そして社会保障を一体として強くしていくという道は必ず開けるものと考えております」(『朝日新聞』2010年6月9日)。
国民が不幸になる要素を最小限に減らす社会。これは一言でいえば、格差是正社会を指すのだと認識しています。一部の人々のみが「幸福」と感じる社会ではなく、全ての人々が「幸福」と感じる(少なくとも「不幸」と感じない)社会の構築。不可能であると断じるのは容易いのですが、それを決して諦めないのが学問であり、政治であると私は認識しております。少なくとも、多少の犠牲はやむを得ないと突き進んできた経済成長戦略一辺倒の社会は、変換の時期に来ているのではないでしょうか?
多少の犠牲も許さない。そんな社会を目指すのが政治であり、学問であると信じたい。素人ながらそのように思うのです。また、「世界の人々」をも対象にした「最少不幸社会」は、日本国民の幸福のみならず、人類における普遍的幸福を想定している点において、より福祉的であると言えます。その意味において、如上の発言は福祉専門職としては大いに期待できる内容でしょう。是非とも有言実行を切望したいと思います。
しかし、それを実行するのも結局は国民の意識でしょう。スウェーデンでは、高齢者や子どもに対する質の高い支援に多くの国民が賛同しており、それが政策に繋がっています。わが国の民度はどうでしょう。所詮、その国の国民は、自分たちの民度に応じた政府しか持てないのが定説です。私たちひとり一人が、どの様な社会構築を目指すのかが今強く問われているのではないでしょうか。
無関心は、生活課題を抱えていらっしゃる目の前の利用者をより不幸に導きます。「愛の反対は憎しみではなく無関心」(マザー=テレサ)だからです。
2009年10月の所信表明演説では「地域の絆」の再構築を強く訴え、「コンクリートから人へ」という名言を残し、「いのちを守りたい」と恥ずかしげもなく言い切れるその人柄を持つ鳩山由紀夫総理大臣が2日辞意を表明しました。辞任からたった2日後の本日、菅直人氏が第94代、61人目の首相に選出されました。福祉と政治は密接な関係性があるにもかかわらず、福祉専門職は政治に無関心であり過ぎると予々思っておりました。新政権に対する期待云々を述べる前に、ここで、福祉専門職の立場から鳩山政権を総括しておく必要性があると私は思っています。それは、利用者にとって、福祉専門職にとって鳩山政権はどうであったのかという観点からなされるべきものです。
6月より子ども手当の支給が開始されています。本ブログでも叙述しましたが、手当の支給は現物支給であるべきでした。事実、各自治体は給食費や保育料を滞納している家族に対して、未納分を当該手当から納付することについて承諾書を配布したり、手当の支給口座と、給食費・保育料の振替口座を同一口座にするよう勧めているようです(『朝日新聞』2010.6.3.)。バラマキだとの批判がありますが、確かにその通りであると認識しています。ただし、国立社会保障・人口問題研究所が示す通り、経済協力開発機構(OECD)が国際比較に用いる「相対的貧困率」の内、18歳未満の子どものいる家庭に絞った「子ども貧困率」は、13.7%(03年)で、OECD加盟30カ国の平均12.4%を上回り、12番目に高いと言われています。かつ、OECD加盟国は再分配後に軒並み貧困率が改善するにもかかわらず、日本だけは悪化すると言われています(『中国新聞』2009.11.6.)。つまり、子どもや高齢者、貧困世帯等、社会的に弱い立場にある方々に対して利益の再分配が機能していないことを指しています。これをこのまま放置しておくと、格差は広がり、治安は悪化し、どれだけ福祉専門職が情熱を持って対応を試みても焼け石に水となるでしょう。その意味において、子ども手当は、支給の方法に問題はあるものの、富の再分配という視点において正しい行動であると言わざるを得ません。
鳩山氏は、知的障害者を多数雇用しながら業績を上げるチョークメーカー・日本理化学工業(神奈川県川崎市)に見学に行かれたようですが、政権下では、利用者負担が重くなったなどの声を受け、障害者自立支援法を廃止し、障害者が自立支援法は違憲であると訴えた集団訴訟においては、2013年8月までに新法を制定することで基本合意しました。細やかなことは、全くと言ってよいほど詰められていない有様ですが、大きな方向性としては間違っていないと私は思います。
介護職の処遇のあり方について、民主党のマニフェストでは、月額4万円の賃金向上を謳っていましたが、この件に関しては、その後宙に浮いたままであるようです。この辺りは、新政権では是非とも実現していただきたいと切望します。
福祉専門職からみれば、然程悪いことばかりではなかったと私は総括します。それどころか、過去の政権にくらべれば格段に良かったとも言えそうですね。今政治に求められているのは、どんな立場の人であれ、誰であっても、国民ひとり一人の命を大切にする社会の構築であり、ひとり一人の生き方の多様性を尊重する国民意識の醸成であると私は考えています。目の前の高齢者や、子どもたちの人権をないがしろにして、この国が国際社会で成熟していくとは到底思えません。社会的に弱い立場の人や、少数派の人たちを切り捨てて経済が発展しても、今の時代、国際社会からは失笑を買うだけです。それは成熟した国家とは断じて言えません。また、それは豊かな国家でもありません。貨幣的な価値を指標にした豊かさを追求すること自体が、もはや大時代なのかも知れません。
その意味において、「生活が第一」と唱えたマニフェストは正しかったと言えます。そして、手法はどうであれ、疲弊した地方を再生させようとした小沢一郎氏の実践も悪いことばかりでは決してなかったと思っています。社会福祉分野においても、地域福祉の再生が喫緊の課題であるからです。「彼が06年の代表選の演説で『まず私自身が変わらなければなりません』と言ったのは、うそではなかったと思う。雇用を守れとか、地域社会の荒廃に立ち向かおうとする民主党の姿勢には、小沢氏なりのリアリズムがあったと思う」(山口二郎氏『朝日新聞』2010.6.3.)。
大企業の経営者からみれば、大きく評価は異なるのかも知れませんが、私たち福祉専門職からみれば概してこのような評価もできるのではないかと思うのです。
多くの詰めの甘さが指摘され、非難集中の最後でしたが、「地域の絆を再生しなければならない」「人のいのちを守りたい」と国民目線でおっしゃった総理は最初で最後かもしれません。福祉専門職としては、その発言にホッとしたのも事実です。であればこそ、誠に残念な結末でした。