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NPO法人 地域の絆

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中島康晴

地域の絆 代表理事 中島康晴

社会構造を睨んだ事故の要因分析を!

2011/04/28 12:00:00  社会全般
日本有数の大きさを誇るループ橋がもう少しで完成します。音頭第二大橋建設中の写真です。


あの事故が起こって早6年が経つのですね。

「尼崎JR脱線事故6年に合わせ、一部の遺族会でつくる『4・25ネットワーク』とJR西日本は25日、事故の真相解明と安全の再構築を目的に共同で議論した「課題検討会」の成果を報告した。(中略)大規模事故をめぐり当事者企業と遺族が直接向き合う異例の取り組み」※1。

 事故の責任を真摯に受け止め、対応策を検討する企業の姿勢は評価に値しますし、大切な親族を失った遺族の前向きな姿勢にも胸を打たれます。

 本報告では事故の要因として、「ミスを報告する環境の欠如や、表に出ていない危険を事前に洗い出す仕組みの不備、人的要因の理解不足などを挙げ」、「さらにペナルティ的な日勤教育、過密な運航ダイヤ、自動列車停止装置(ATS)の未設置にも言及している」※2ようです。再発防止に向けた企業の体質改善は第一義的に取り組まなければならない事項であると自身も賛同できるところです。

 しかし、要因はそれだけでしょうか?この事故に関する要因は、また違った視点でも説明できるのではないかと自身は感じています。もちろん、企業が売り上げ至上主義に陥ってしまうのは、資本主義社会における力学的必然であるとしても、企業の独自体質に大きな問題があることは否めません。資本主義社会においても、経済至上主義の社会においても、社会的責任を全うしている企業は枚挙にいとまがないからです。それでも、私は次の部分に引っかかるのです。「(本報告書では、)運行時間に余裕のないダイヤについては『運転士にあせりや動揺をもたらす可能性は否定できない』との見解を示した」※1。この運行時間に余裕のないダイヤを生み出したのは何処の誰かと。

 永らく北欧で生活をされていた研究職のお話を数年前に伺いました。日本でおよそ30分かけて運行するであろう距離を、北欧では1時間かけてバスを運行させるのだとか。理由は明白です。障害を持たれた方がバスの乗り降りをする際、“ロスタイム”が生じます。認知症の方で、お金の計算や乗車手続きの不明な方も、乗降車の際時間を要しますよね。それを時刻表の中に組み込んで運行をしているのだそうです。

 もう一度問題提起へ。さて、運行時間に余裕のないダイヤを生み出しているのは誰でしょう。鉄道会社の一存でしょうか。最終的に決断を下したのはその通りですが、私はそれだけではないと考えるのです。経済至上主義の中、効率化と合理化を優先するあまり、社会全体が何か大切なものを見失ってしまったことにこの事故が起きているのではないかと認識しています。

 北欧では、障害を持たれた方がバスの乗り降りをする際、20分バスが止まります。その際、乗客は何も文句を言わずに、窓の外を眺めて待っているのだそうです。日本の場合はどうでしょうか。5分バスが遅れたら、文句を言い始める乗客が沢山いるのではないでしょうか。電車が5分遅れれば大問題です。その様な社会全体からかかるプレッシャーが、会社の社員教育・指導を通して、二十代後半の運転士にかかったことがこの事故のもう一つの要因なのではないでしょうか。

 予てより私は、加害者の被害者性に着目できない福祉専門職は失格であると認識してきました。つまり、ソーシャルワークの「ソーシャル」、社会福祉の「社会」の構造を理解しない対人援助は、ソーシャルワークでも社会福祉活動でもないと認識しているのです。事故を起こした運転士の、また一企業の社会的背景にまで目を向けて要因分析しなければ、真の問題解決策を見出すことは不可能です。これはジャーナリズムにおいても同様のことが言え、東日本大震災を受け社会的価値が変遷し始めているこの時期だからこそ、強く社会構造を捉えた分析が求められているのでしょう。


※1『中国新聞』2011年4月26日
※2「社説」『中国新聞』2011年4月26日



葬儀のあり方と原発の関係

2011/04/17 12:00:00  社会全般
3月23日24日に行われた地域福祉センター鹿川の見学会初日には、地域住民の皆様が紅白餅をついて下さいました。誠にありがとうございました。

 お世話になった方々のご逝去の続く昨今です。時間の許す限りご葬儀に参列させて頂いておりますこんな折に、少し不謹慎な発言となるかも知れませんが、この様な葬儀の場が人と人との絆を紡いでいるように見受けられました。葬儀を通して、久しぶりに再会した人々が故人を偲んで会話を交わす。組内の住民が通夜・葬儀のお手伝いを行う。会話は交わせずとも、お焼香の際に面々を互いに確認し合うことができる。特に近頃体調を崩されていると噂されている方をお見かけし、ホッとする場面もありました。

 今や自宅での葬儀が激減しており、専ら民間企業の葬儀会社が会場やお食事から、香典返し、案内文書に至るまで執り行うことが普遍化しつつあります。確かに、家で葬儀を開催するのは大変です。家族・親戚総出でも対応は難しく、否が応でも地域住民やお勤め先の方々の協力が不可欠となりましょう。その点、多少の金銭的支出があろうとも、現在では葬儀会社が全ての手配をして下さるので、便利な世の中になりました。

 一方で、葬儀がシステマチックに効率化されているのも事実でしょう。そこでは、如上で感じた非効率の中にある“幸福感”が減退しているのではないでしょうか。効率化された社会の中では、非効率なものが忌避され軽視されて行くのですが、そこでは、他者に思いやる気持ちや、お互い様の思いが失われているのではないかと心配しております。

 昨日「マイケル・サンデル 究極の選択」※1というテレビ番組を見ました。そこで、原子力発電についての可否を問う設問で多くの参加者が議論を展開しています。もちろん「究極の選択」ですね。

 中でも心に留めたのは歌手の高橋ジョージ氏が言われた一言です。―――生活水準の高い低いの意味がよく分からない。東京では計画停電が行われていて確かに不便だが、夜はなるべく家族一緒で一つの部屋で固まって節電に努めている。しかし、それが返って豊かな生活だと自身は感じている…。

 私自身の見解も、原子力反対の立場です。原爆資料館に訪れたオーストラリア人の驚きがノートに綴られていると昨日の『中国新聞』「天風録」に書かれています。「ヒロシマ・ナガサキの歴史がある日本にすら原発があったとは」※2。そうです、原子力の負の側面を嫌という程体験した我が国が、今度はまた原子力の恐怖に曝されているのです。温故知新がなされていないと私は感じます。

 番組の議論の中にもあったように、危険な原発は地方に存在するが、その恩恵を受けているのは遠く離れた都市部であるとの不公平感にも大きな疑問を持っています。この様に、効率化された“便利な”世の中は、一部の人たちの犠牲によって成り立っているのではないかと私は考えます。

 素人が把握している限りでは、原子力開発には多大な開発コスト(10年前は全体の90%以上と聞いていました今は勉強不足です)がかけられていますが、その割合の半分もしくは、三分の一でも、波力発電や、風力発電、太陽光発電に投じるべきでしょう。

 それでも、停電に見舞われる生活が生じるというのであれば、私たちはそれを甘受すればよいのだと思っています。その様な、懐の広さが今社会には強く求められているのだと私は考えます。

 昨今の葬式のあり方と、原発を推進してきた社会のあり方は恐らく何処かで繋がっているのだと考えます。何かが間違っている。そんなことを思うのは私だけでしょうか。


※1 「マイケル・サンデル 究極の選択 『大震災特別講義〜私たちはどう生きるべきか〜』」NHK総合2011年4月16日9:00〜10:15
※2 「天風録」『中国新聞』2011年4月16日



思いを馳せて行動することの意味

2011/04/12 12:00:00  社会全般
広島宇品港。これからは江田島と広島市内の往来が増えそうです。この海の便に便乗することも、漸次増えることでしょう。


 いま、西日本は平穏そのものです。しかし一方で数百�厠イ譴臣呂任蓮�大変な生活を強いられていらっしゃる方々が存在します。よく自粛ムードは良くない、西日本だけでも経済活動の活性化がなされなければ日本列島そのものが沈没してしまう旨のことが取り沙汰されます。だから、お金持ちはドンドン消費をした方が良いと、テレビのコメンテーターは嘯きます。

 確かにそうなのか…。いや、何かが違うような気がしています。私にも東北地方に知人がおります。彼らとメールのやり取りもさせて頂いております。私たちの想像を絶する生活をされている方が現在進行形で“そこ”にいらっしゃるのです。そのことを否応なく感じている毎日です。私は、そのことに思いを馳せて生きようと心に決めました。その生活こそが非常に尊いものであると。

 平素より一日二食の生活を行っている若輩ですが、被災者の多くは一日一食の生活をされています。だからといって、それを一日一食に合わせた行動を行おうとは思いません。忙しい折には、一食になってしまうこともありますが…。そうではなく、そういう人々がいらっしゃることを胸に馳せて、一日二食の生活をしております。夜、アルコールを飲みながら、被災地ではこの様な生活は中々できていないと思いを馳せます。と、思うと中々お酒も進みません。でもその行動が尊いと私は思うのです。

 想像力、察する力を無くした人間ほど無力なものは無いと自身は考えます。一見同じ行動に見えても、その思いが異なれば、その行動からにじみ出る何かが違ってくるはずです。その何かの違いを若輩は大切にしています。

 大学生の折、私はアルバイト三昧の毎日でした。深夜のバイトも厭わず行い、今思えば放蕩学生だったと記憶しています。好きな洋服と、食事と、勝手気ままな生活をしていた時期があります。しかし、周囲にたった一人だけ一カ月5,000円の小遣いで生活していた友人がいました。私はそのことがいつも頭から離れず、毎日を過ごしていました。放蕩しながらも、彼に思いを馳せることで、恐らく多くの陥穽に嵌ることを避けることが出来たのではないかと振り返ります。彼は、私にとっての「意味ある他者」だったのです。

 人間の素晴らしさは、想像力だと自身は考えます。これを否定するのであれば、読書も、映画も、政治も全て不毛の象徴と化してしまうでしょう。人の気持ちを100%理解することなど、到底不可能な営みですが、そのうち60%、70%を理解することが出来るのも人間の素晴らしさと認識しています。被災者の皆様の60%でもいい、思いを馳せて消費をしましょう。経済活動の活性化を図りましょう。思いを馳せることにより、その営みは、幾分かは尊さを増すことでしょう。





『まちづくりとしての小規模多機能ケア』

2011/04/07 12:00:00  地域密着型サービス

まちづくりに繋がるコミュニティケアの実践��

 前回まで「地域の絆」における共生ケアの取り組みについて叙述しております。児童や高齢者が事業所・地域の中で社会的役割を担っている活動について紹介しました。共生ケアの視点でその他特筆すべきは、障害者の就労訓練としてのボランティア活動の受け入れと、その営みを通して当法人への入職が決まった事例ではないかと思われます。

 ある事業所においては、近隣の精神・発達障害者の作業所と連携し、就労訓練のためのボランティア活動の受け入れを行ってきました。障害者の就労支援の問題はようやく社会問題として顕在化しているところですが、働きたくても仕事に就けない障害者は依然として多く、働く働けない以前に、働く機会を奪われていることによってどの様な仕事に向いて、どの様な仕事には向いていないのか、その判断が出来ない方も非常に多くいらっしゃいます。そこで、まずは作業所以外の現場で就労訓練を目的としたボランティア活動の実践を行い、1カ月に1回定期的にモニタリング・再アセスメントを実施した上、仕事の適性判断や、介護の仕事に適性がある場合は当法人への就労も視野に入れた実践を近隣作業所と連携し試みました。

 地域福祉の概念として、支えられる側は絶えず支えられる存在ではなく、環境や立場が変われば支える側に回ることがあることをしっかりと認識し、どんな方にも強みや能力があり、その強みと能力を生かして社会に役立てることの支援を私たちは大切にしています。ですから、障害を持たれた方の強みや能力を生かせる活動内容を検討していきました。発達障害を持たれた方の場合、青年期の後半になると症状が落ち着いてこられ且つ多弁になられる方もいらっしゃるそうです。そういった方には、お話し好きな高齢者の話し相手になって頂いたり、鉄道が趣味の方には、元国鉄職員だった高齢者のお話し相手になって頂きました。また、言われたことを一生懸命にされる能力を生かして、掃除をして頂くなど、その方が他者より優れた能力があることを認識し、その能力を出来る限り生かす活動を実践したのです。

 1ヵ月に1度のカンファレンスでは、他分野の福祉専門職との意見交換が行われ、福祉専門職としての共通基盤の内私たちに欠けている部分も見えてきました。利用者が失敗することの大切さや、可能性への挑戦に制限をかけないことの重要性を他分野の実践を伺う中で改めて認識した次第です。共生ケアにはこの様な副産物があることに気づかされました。

 如上の実践では、活動を通して作業所職員とご本人がその後の就労先を決められ、活動を止められるケースが殆どで、当法人に就労された方はいらっしゃいませんが、他の事業所実践においては精神障害を持たれた方が就労に結びついた事例があります。ハローワークと相談支援センターの職員と連携し、ボランティア活動を経て就労に繋がったケースです。

 「地域の絆」における共生ケアの特徴は、介護保険事業における利用者を主たる対象者とし、利用者に対するケアの質が担保できる範囲で、「他分野」の方々の支援を行うことにあります。よって、職員は高齢者ケアの研鑽に絶えず励む一方で、「他分野」における研鑽には敢えて手を出さずに、福祉専門職としての共通基盤の範囲で「他分野」に対応することとしています。最大の特徴は、共通基盤で対応できないケースには対応しないという姿勢ではなく、法人外部の専門機関としっかりと連携を取った上で受け入れを行うことにあります。例えば、障害を持たれた方が職員として就労した後、突然出勤しなくなった場合、事業所は深追いせずに、障害分野の専門機関に対応を委ねます。また、活動中に心身の症状が悪化した際も、事業所職員のみで対応することはありません。必ず連携先の専門機関に対応を依頼することにしています。

 同じ空間・居場所は提供させていただくものの、多様な人々に対する具体的支援は、多様な専門職が連携して実践することが私たちの目指す共生ケアのあり方かも知れません。一つの事業所が全てを抱え込んで対応するのではなく、地域には多様な専門職がいるわけで、スペシフィックな外部の専門職の力を借りて、多様な人々の支援にあたることで、地域の中に多様で有機的なネットワークが形成されます。これこそがコミュニティケアの実践に繋がるのではないかと考えているのです。餅は餅屋と言いますが、逆に私たちが専門とする高齢者ケアの専門性を「他分野」の方々に提供することもあるわけです。

 時代の趨勢上、福祉専門職がジェネラリストとしての要請を受けていることは事実ですが、共通基盤で対応できる範囲には限界があります。その部分をスペシフィックな専門職が地域で連携を図り対応していくことこそが今強く求められているのではないでしょうか。

 また、外部との連携を基盤とした共生ケアを実践するためには、法人の理念や方針をしっかりと外部に示していく必要があります。今までご紹介してきた事例中の外部機関は、「地域の絆」の運営方針を理解された上で、連携を模索して来られました。つまり、「地域の絆」であれば、この話に乗ってくれるのではないかと予測して来られたのです。その意味では、私たちが実践する共生ケアの取り組みはネットワークを礎としています。

 共生ケアが徐々に広がりを見せつつある昨今ですが、多くの事業所が実践し日常的な光景となるまでは定着していないのも事実です。その必要性は理解できるが、「敷居の高さ」や「不安」を抱えている事業所も多いようです。まずは、私たちのように、介護保険事業を運営しながら、高齢者ケアを中心に据え、利用者の生活の質を高めるもしくは低下させない範囲において、児童・障害者ケアに取り組むといったことから始めてもよいのではないでしょうか。


施設や送迎車の色彩から見える社会の障害者・高齢者観

2011/04/01 12:00:00  社会福祉
白と黒を基調にした外観をもつ地域福祉センター鹿川。


 広島県江田島市能美町に地域福祉センター鹿川を本日開設させて頂きました。初日から職員の士気も高く、上々の滑り出しであったと認識しております。

 地域福祉センター鹿川には様々な特色があるのですが、今回は施設と送迎車の色彩に焦点を当ててご紹介をさせて頂きます。まず施設の外壁色です。地域福祉センター鹿川の場合、白と黒を基調にしているところに特徴があります。特に黒をふんだんに使っており、ある一面は全面黒の配色となっています。これは地域福祉センター宮浦西の坂上さんの発案ですが、私のお気に入りの配色です。従来の福祉施設の色合いは専ら、優しく落ち着いた感じの色彩が中心ではなかったでしょうか。茶系やグレー系が中心で、時に明るい緑や、オレンジ系を使っていらっしゃる施設も多く見受けられます。その中で黒というのはあまり記憶にありませんでした。だからこそ、この色合いは私のお気に入りです。

 過日2台の送迎車が揃いました。一台はグレーで、もう一方はグリーンです。当法人では、基本的に職員さんに色決めをしてもらうのですが、そこには一つだけルールが存在します。従来の常識を覆す色合いにしてもらいたい、これだけです。この度の地域福祉センター鹿川の車輛は時間の関係上、私が決めましたが、いつもこの様な視点で色決めを行っているのです。福祉用具や福祉車輛の市場化が顕著な昨今では、多様な選択肢の設定として色彩もバリエーションが増えています。従来は福祉車輛=白色と言った時代もありましたが、現在では青やグレー、パールホワイト等の多様な色彩の車輛を見かけます。当法人の各センターにおける車輛の配色でも、オレンジ・ブルー等を積極的に使っているところです。

 私たち福祉専門職は、利用者のその人らしさを追求する専門職です。「その人らしさ」は、抽象的すぎる表現で用いるにはその点留意が必要ですが、私は端的に、利用者に生活や人生における様々な選択をしていただくこと、そこのことを真摯に考え保障していく取り組みが、「その人らしさ」を支えることに繋がると考えています。

 私たちはこのように、中島康晴という利用者のその人らしさは追及しますが、中島康晴が社会の中で位置づけられている「男らしさ」や「青年らしさ」からはむしろ脱却した実践が求められているのだと考えます。「認知症高齢者」や「高齢者」を十把一絡げにした実践は忌避されるべきものでしょう。であるからこそ、私たちは、「年寄らしさ」「障害者らしさ」といった社会が構築してきた価値観を一旦覆す必要があると考えています。もちろん、高齢者や障害者が自ら定義した「らしさ」であればそれは尊重すべきかもしれませんが、そうではない現状を鑑みると社会の優位的価値が生み出したこれらの「らしさ」を突き崩していく必要性を感じずにはいられません。

 高齢者施設の外壁にシックで渋めの黒を使ってもいいじゃありませんか。若者が好む色彩の送迎車輛で、高齢者を乗せてドライブしても何ら問題ないはずです。「高齢者はこうあるべきだ」、「障害者はこう生きるべきだ」といった社会的価値は、偏見以外の何ものでもありません。その呪縛から解放されたところで、職員さんには真なるパーソン・センタード・ケアの実践を志して頂きたいと願う毎日です。



高齢者施設には見えないと地域住民はおっしゃられます。


 国道に面しているため、「何ができたのか?」興味の眼差しで車中から見られることも多々あります。

 レストランと間違われることもありますが…。

地域福祉センター鹿川の送迎車輛

 施設の配色を決めた坂上さんも大満足の色彩でした。施設の外観ともマッチしています。
中島康晴 特定非営利活動法人 地域の絆 代表理事
1973年10月6日生まれ。大学では、八木晃介先生(花園大学教授・元毎日新聞記者)の下、社会学を中心に社会福祉学を学ぶ。巷で言われる「常識」「普通」に対しては、いつも猜疑心を持っている。1億2千万人の客観性などあり得ない事実を鑑みると、「普通」や「常識」は誰にとってのそれであるのか、常に思いを巡らせておく必要性を感じる。いわゆる少数派の側から常に社会を捉え、社会の変化を促すことが、実は誰もが自分らしく安心して暮らせる社会の構築に繋がると信じている。
主な職歴は、デイサービスセンター生活相談員、老人保健施設介護職リーダー、デイサービス・グループホーム管理者。福祉専門職がまちづくりに関与していく実践の必要性を感じ、2006年2月20日特定非営利活動法人地域の絆を設立。学生時代に参加した市民運動「市民の絆」の名前をヒントに命名。
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